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第十四話 治癒の効果

 サージャは王子に抱えられて、王宮の奥深くに位置する、彼の私室へ連れていかれた。

 その強引なやり方について、文句のひとつも言いたいが、見上げた横顔の気迫に圧倒されて、結局なにも言えなかった。


 部屋に到着すると、王子は出迎えた数人の侍従らしき人たちを振り切って、奥の扉を目指した。

 中に入るとそこは寝室で、王子はサージャを大きなベッドの上に下ろすなり、両手をひとまとめにして頭上のシーツに縫いとめた。


「これは君の浄化能力も、関係しているのか? 全体的に薄れていくものではないのか……」


 長い指で左側の前髪をゆっくりとかき分けられ、むき出しになった額やこめかみに視線を感じた。そして触れるか触れないかの距離で、そっと指をすべらせた。


「特に、こめかみのあたりが」


 そこで不自然に言葉が途切れた。

 サージャは緊張で唇を震わせつつ、うかがうように王子を見上げる。


「もしやこれは……私の治癒魔法のせいなのか?」


 瞳の色は、魔力の色に感化される。

 一般的によく知られている理屈だが、それが実証されるケースは少ない。そのまさに数少ない実例を目のあたりにして、互いの問うような視線が絡みあった。


「そう、かもしれません……」


 サージャは緊張のあまり、前のような改まった口調に戻ってしまった。


「すいません……あとは自分で、なんとか頑張りますんで、その、気にしないでください」

「なにを言ってる。私の浄化魔法が効くなら、私が治癒すればいい。ほら……」


 王子の唇が、こめかみに押しつけられた。そこから流れるような魔力が、ジワリと肌越しに伝わってくる。


(なんか、冷たくて気持ちいい……)


 きっと熱をもっているアザが、王子の治癒魔法のおかげで、落ち着いてきてるからだろう。

 素直に受けとめていたら、唇は前回よりも遠慮なく肌をなぞっていく。それは頬やあごにも感じられ、とうとう唇にまで到達した。


 ――ドクリ、と大量の魔力が舌を介して体内に流しこまれ、サージャは伏せていた瞳を大きく開いた。


 長いまつ毛が揺れる様は、近すぎるせいか、淡くぼやけて視界にうつる。あえかな声の合間に、小さな水音がはねるように響く。やがてゆっくりと唇がはなされた。


「……君の治療法が見つかって、よかった」


 再びやわらかく落とされた唇は、もう治療の一環とは呼べなかった。

 王子はサージャの背に腕を回して、一緒に体を起こした。そのまま深く抱きしめられると、サージャの胸の奥がキュウと苦しくなる。


(こんなのに慣れたら駄目だ……いつ失うかも分からないのに)


 素直に甘えられない自分に、王子はなんて思うだろう。

 かわいげのなさに、伴侶にしたことを後悔するのではないか。彼は王位継承権争いを防ぐためにも、男の伴侶が必要だと言ったが、それはなにもサージャである必要はない。


「体も、見せてくれないか」


 王子の手が、サージャの服の裾に触れた。頭からかぶるデザインの上着は、ゆったりとした作りで、簡単に脱ぎ着できるところが気に入っているのだが。


「あ、あの、ちょっと……!」

「たしか、ここにもあったな」


 上着をめくられ、アザが浮き出ている脇腹に唇が落とされると、サージャは声を上げずにはいられなかった。


「ああ……う、うう……」


 魔力が集中的に注がれると、アザの部分から熱が少しずつひいていく。

 それはむずがゆいような、なんとも言えない感覚だが、それ以上に王子の唇の感触がサージャを身悶えさせた。押しつけるばかりではなく、噛んだり吸ったりと強弱つけながらねぶられると、体の奥がどうしようもないほど切なくうずいた。


 こんな感覚は生まれてはじめてで、サージャは恐ろしくなってとうとう泣き出してしまった。


「こわがらせて、すまなかった」


 王子はちっともすまなそうな顔をしてなかったが、サージャのはだけた服を整えてくれて、なだめるようにこめかみや髪に唇を落とした。

 しかたなく鼻をすすって、落ち着きを取りもどした途端……グウ、と、どちらともつかない腹の音が鳴った。


「ぷ……あはは」


 サージャは思わず吹き出してしまった。

 すると王子が、どちらの腹の虫かな、などと真剣に聞いてきたので、我慢できずに大笑いする。

 それこそ涙が出るほど笑ってしまい、なんとか笑いを引っこめるころには、先ほどのおかしな雰囲気は一掃されていた。


「昼食は、私の部屋に運んであるはずだ」

「いつも部屋で、ひとりで食べてんの?」

「……ああ、でも今日からふたりだな」


 先にベッドから降りた王子が、サージャに手を差しのべる。

 それから二人は手を繋いで寝室を出ると、すでに有能なメイドにより準備が整っていた昼食の席に着いたのだった。




 ディランは小柄な伴侶と、四角いテーブルをL字に囲って座り、いつもより遅めの昼食を食べた。

 特に話すこともなく、黙々と食べ進めている細い肩をぼんやりながめる。


(さっきは危なかった……)


 カーテンが開かれた寝室は明るく、シーツに横たわるサージャの肌が、やけに白くまぶしかった。

 自分の治癒魔法が、彼のアザに効果があると知ったとき、少しは自分も彼の苦しみを減らすことができるのだと、単純にうれしかった。

 そして夢中で彼に治癒魔法を使っているうちに、いっそのこと魔力を分け与えたらどうだろうと唇を重ねた――魔力の受け渡しは粘膜接触がもっとも効果的だと、どこかで聞いた覚えがあったので、それを試さずにはいられなかった。


 サージャの舌はとろけるように甘く、気をゆるませたとたん、意識を持ってかれそうになった。

 そのせいで、うっかり魔力を性急に与えすぎて、サージャを驚かせてしまった。


(顔色が良くなった……すでにアザの様子に変化がみられる)


 サージャの左目の周りには、以前のように黒ではなく、緑色の蔦模様となっていた。

 まさにディランの魔力を吸ったようで、その光景に背徳的なよろこびすら感じてしまう。

 しかし、これはあまりにも不謹慎だ。この模様が残っているうちは、サージャの体内で浄化しきれてない瘴気が残っているサインなのだから。


 普通の体ならば、瘴気の影響を受けると、その患部から臓腑に影響を及ぼし、放置しておくと最悪命をもおびやかす。

 つまり、こうしてサージャが日常生活を送れるのは、彼の特異な浄化力と、瘴気への抵抗力の高さに尽きる。


(彼の瘴気を取り除く方法があるか調べてみよう。それまでは私の力で、彼の体の負担を少しでも軽くできたら……)


 ――きっと彼の体調は回復する。


 ディランはそのためには、己の魔力をすべて使いきってもかまわないと思っていた。


 幼いころ浄化魔法の才を見出され、調子にのってコッソリと、森の立ち入り禁止区域に足を踏み入れた。

 後を追ってきた魔法騎士団のおかげで九死に一生を得たものの、魔獣にかけられた瘴気の影響で、一時は発狂寸前まで追いこまれた。


 体内の不安定な浄化魔法と、体に入りこんだ大量の瘴気が反発しあって、意識障害を引き起こしたのだ。

 だがそれも時間の経過とともに回復し、すべては自分の瘴気に対する抵抗力の強さだと過信した。

 軍部に入ったのも、王族としての公務よりも、浄化魔法の才能を活かしたいと考えたからだった。


 そのうぬぼれた愚か者の知らないところで、ある青年が身を削って盾になっていたとは知らなかった――知らなかったとはいえ、犯した罪が消えるわけでも許されるわけでもない。

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