ハイランド王宮の東側には、国外からの賓客を出迎える謁見室が、ズラリと十二ほど並んでいる。
そのうちの一室では、先刻からアンクラン国の使者二人が、ハイランド国の王太子と、彼の弟である第三王子がやってくるのを、今か今かと待ちわびていた。
今回アンクラン国王の命により、大陸西側一の大国へ派遣されたのは、外務大臣の筆頭補佐官であるアンクラン第五王子、スタンレイ・アンクラン殿下と、彼の従兄弟で神殿預かりの神官、ロイス・キュリーネンだった。
「父上がなぜ、よりによってロイスを僕の付き添いに命じたのか、なんとなく分かった気がするよ」
スタンレイは、後ろでひとつにくくった長い金髪を揺らして、座り心地の良いソファーの背もたれに首を押しつけた。脚の長さをもてあますように、つま先までユラユラと揺らしている。
「お行儀が悪いですよ、スタン」
「そら、これだ。アンクランの品位を貶めないよう、僕を見張るためだろ?」
ソファーの背面でユラユラ揺れる尻尾に、ロイスは銀色に輝く短髪の頭を小さく振って、ため息をついた。
「その不真面目な態度さえ改めれば、あなたは優秀な外交官なのですけどね」
ロイスは薄い唇をひき結ぶと、冬の湖のような色をした切れ長の目を伏せた。
顔は端正な部類なのに、酷薄な印象がぬぐえない表情に、ストイックな神官服が相まって、全身からとっつきにくい雰囲気をかもし出していた。
「お待たせしました」
そんな前置きで入室したのは、明るく社交的な笑顔を浮かべた、派手な身なりの王太子で、それに続く第三王子だろう黒い騎士服の男は、対照的に無表情だった。
互いにひと通りの儀礼的なあいさつをすませると、スタンレイはさっそく本題を切り出した。
「先の魔獣討伐において、ディラン王子殿下のご活躍ぶりは、我がアンクランも聞き及んでおります。なんでも瘴気の影響を受けずに帰還されたとか」
「いえ、私はたいしたことはしておりません。部隊の皆がかばってくれた結果、ケガすることなく無事帰還を果たせたまでです」
「おやおやご謙遜を。遠征途中で、瘴魂をはさみ打ちにする作戦のために、隊が二手に別れたそうですね? あなたは負傷した副隊長の代理をつとめ、マリキス隊長が率いる隊とは別の、もう一方の隊を指揮したと聞いておりますよ?」
スタンレイはひざの上で両手を組むと、テーブル越しに身を乗り出した。中性的でやや甘め過ぎる顔立ちには不釣り合いな、抜け目ない金色の瞳が、真っ直ぐ第三王子に向けられている。
それでも第三王子は表情を変えずに、淡々と口を開いた。
「体面上、私が副隊長の代理をつとめたまでです。実際は後方にいて、ほとんど戦いに参加しておりません」
「そうですか……腕がたちそうにお見えですけどね。実際ハイランド王家でもめずらしい、軍部に所属する第三王子殿下の剣の腕前については、近隣諸国でもかなり有名ですよ?」
「それも誇張された噂に過ぎません。それと、この度の遠征を最後に、軍部からは身を引きました」
「えっ、それはまたどうして」
スタンレイが、少し大げさとも取れる反応をみせた。
すると、それまでずっと黙っていた隣のロイスが、静かに口を開いた。
「軍をおやめになるにあたり、心残りなどございませんでしたか」
「……ありませんね。役に立ちそうもない人間が去るのは、極めて合理的ですから」
その横顔に、ロイスは一瞬眉をよせた。しかしすぐに表情を改めると、さもたった今思い出したかのように、明るい笑みをのぞかせた。
「そういえば、最近ご婚約されたそうですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「お相手は、神殿のかたとうかがいました。私も同じく神殿につかえる身なので、機会があれば、ぜひお祝いのごあいさつをさせていただきたいものです」
「それは難しいかと。彼は体が弱く、今は体調をくずしているため、身内以外は面会謝絶なのです。お気持ちだけ受け取ります」
「それは残念ですね」
ロイスはそういって、顔色ひとつ変えない王子殿下の顔をながめた。
「アンクランの王子は、今夜だけ王宮に泊まって、明日の朝にはここを立つらしいが、神官はもうしばらく滞在するそうだ」
王太子は、謁見室からだいぶ離れた王族の居住エリアに入ると、回廊の柱を背に腕組みする。
「どちらかというと、あの神官のほうがやっかいだな」
「先ほどの謁見で、なにか嗅ぎつけられるような失態を犯しましたか」
王太子は肩をすくめて、苦笑いをこぼす。
「失態なんてなかったさ。同時にそこが問題だよ。あの受け答えでは、君が遠征中ずっと後方で守られていた軟弱者にはとても見えないし、副隊長の代理で隊の指揮をまかされていたわけだと納得がいく」
「……普通に受け答えしてるつもりでしたが」
「お前の、その『普通』がよくない。かと言って馬鹿なフリをすれば、それはそれで別の問題になる。あの神官、なにをどこまで知っているのやら」
ディランは、王太子の言葉に目をすがめた。
「なんの話です?」
「君の伴侶についてだ」
王太子はやれやれ、と凝っているのか肩を回した。
「あの男は、リトアギルの血を引いている、という噂がある」
「……リトアギルの」
ディランは唇を薄く開いた。サージャと同じ、特異な浄化力を持つのだろうか。
「今のところ彼について、お前の伴侶のように浄化したという噂はなかった。しかし彼の母親がそういった能力を持っていたらしく、調査したところ過去に瘴魂の対処にあたった記録が見つかった。息子の彼も、母親と同じ才能を期待されたようだが、どうやら開花しなかったらしい」
「それで王族にもかかわらず、神殿預かりに?」
「彼に浄化の才がなくても、彼の子どもは分からない。ちょうどお前の伴侶のように、隔世遺伝が起こり得るからな。神殿で囲いこんで、もし彼に子どもができたら取り上げて、しかるべき扱いをするのだろう。なんせアンクランの神殿は、もともとリトアギルの神官を囲い込むための檻として使われた場所だからな」
アンクランの歴史で、最大の汚点とも呼べる『リトアギルの使役』については、この大陸でも有名な話だ。
瘴魂に対抗できる高い浄化力を持つ民を隷従し、意のままに使役し、やがて国を滅亡へと導いたのは罪深い。数千年もの昔の話だが、彼らの咎は、時が経てば許されるというものではない。
一説によると、リトアギルの血が途絶えたから、瘴魂が増えたとも言える。
リトアギルの神殿は『深淵の森』の奥深くに存在し、神官たちが定期的に瘴気を除去していたため、魔獣が発生することもなく、森の均衡が保たれていたという説だ。
(もしアンクランの連中に、サージャの存在を知られたら……)
ディランはグッと利き手を握りしめた。
「それでは、あの神官の滞在中は、私が付き添いましょう」
「そう言うと思った。ならば彼らが我が国にきた真の目的はなにか、ついでに探ってくれ。それと大神官にも気をつけろ。もしかすると連中と、密かにつながっている可能性がある」
ディランも、大神官については疑っていた。
サージャの『形代』について、命じたのは王妃だが、術者を連れてきたのは大神官だったと、王妃直々に聞いた。
術者は『形代』の術をおこなってから、時を置かずして、何者かの手により命を落とした。王妃は最初、王家の手による者かと疑って調査をしたが、けっきょくは犯人をつきとめることはできなかった。
(もしかすると、彼らがなにか知っている可能性もあるな……)