帝国歴1041年7月4日8時3分
アルとメディの下宿の食卓
「ここがアルさんとメディさんのお部屋なんですね」
「は、はい、皇帝陛下」
「そのような椅子しかご用意できず申し訳ありません」
突如俺達の下宿に訪れた、円卓帝国第七代皇帝エンペリラ様。食卓の椅子に座り、きょろきょろと辺りを見回すエンリ様に、俺達は恐縮しっぱなしになる。
ひとしきり部屋を見た後に、机に置いた謎の箱の傍で、俺とメディににこりと笑い、
「どうぞ、お二人もお座りください」
と、言っていただいた。
「は、はい!」
「お言葉に甘えさせていただきます!」
慌てて俺達も、対面に座る。するとエンリ様は少し苦笑し、
「どうかそんなかしこまらないでください、前にお会いした時は、友達として話させていただいたじゃないですか」
「それは――分かっているのですが」
エンリ様の問いかけに、俺は冷や汗をかいて、
「この3ヶ月、エンペリラ様の偉大さを、伝聞でなく直に感じ取った今となっては、あの時の振る舞いがとても無礼に思えまして」
そう、メディがすっかり本音を言ってくれた。
――14歳の少年皇帝
エンリ様の治世は、その【皇帝】スキルだけに頼ったものじゃない。社会の維持と支援に積極的に関わり、外交問題に頭を巡らし、保守と革新、それぞれの意見をバランス良く取り入れ、独断すべき時はそうし、人に頼るべき時は頼る、とてもじゃないけど、思春期の少年とは思えない活躍を見せる。
もちろん、エンリ様の体制が盤石じゃないことは、"アンナさんの葬式"の件からもよくわかる。
けれど結局、
(きっと、エンリ様じゃないと、アンナさんを説得することは出来なかっただろうし)
それだけ偉大なのを知ったから、この前みたいに友達感覚で、というのはちょっと難しかった。
だけど、
「……拗ねますよ」
「「え?」」
エンリ様は、とんでもないことをおっしゃられた。
「
「え、ちょ、ちょっとエンリ様!?」
「そのようにお目々うるうる机を人差し指でいじいじなんて、あざとい真似はおやめください!?」
いやいや、皇帝陛下がすることじゃないって!
「わ、わかりました、エンペリラ様、俺達は友達です!」
「エンペリラ様?」
「申し訳ありません、エンリ様!」
俺が慌て、メディが愛称で呼べば、エンリ様はぱぁっと破顔した。
「ありがとうございます!」
う、え、笑顔が眩しい。……この人心掌握は、天然なのか計算なのか、ともかく底知れなさを感じてしまう。そんなことを考えていると、メディが、
「そ、それでエンリ様は、本日はどのようなご用で」
そうズバッと聞けば、エンリ様は、
「はい、こちらを渡したくて」
ポケットからなにやら取り出し、俺達の前に差し出すように置いた。
「――これはチケットですか?」
メディが言ったとおりであり、そしてそこには、
「火焔亭アカネの落語会?」
という字に加え、赤い髪をして着物姿、手に扇子をもった女性の
「はい、今日の夜8時から、帝国劇場で、帝国と大和の友好の為に、落語の催しが開かれるんです。チケットが余ったので、ぜひ、お二人にも来てほしくて」
「そ、そうなんですか」
ま、まさか異世界で落語会に招待されるとは。前世じゃ、WeTubeで一回か二回くらいしか見たことがない。ただ、
「壺算を知っているアルさんだったら、きっと、楽しめるかなって」
エンリ様はそう勘違いしている。……ごめんなさい、壺算の知識は、WeTubeの解説動画なんです。
(よく考えたら俺、説明書だけを読んで、実際に体験してないってのが多すぎたよね、前世)
それでなんか分かった気になっていたことを思い出すと、ちょっと落ち込む。……仕事でいっぱいいっぱいで、せめて画面の中に経験を求めていたことが、どれだけ滑稽だったかを今更に自覚する。
……うん、だからこそ、
「……ありがとうございます、嬉しいです」
前世で出来なかったことを、今世でやる。素晴らしい機会をくれたエンリ様に、俺はひたすらに感謝する。
「あ、ありがとうございます、私はラクゴは初めてですが、とても楽しみです」
「えっと、エンリ様も
メディの感謝に続き、友達として誘いに来たのだから、そういうことかな? と思ったことを俺は聞いた。
するとエンリ様、「申し訳ありません」と、断った後に、
「僕は大和国側に、来賓として招かれているので、いわゆるVIP席から観覧することになります」
「あ、そうなんですね」
「――となると一緒に観る相手は」
メディが推理した通りだったか、そこでエンリ様は、
"なんとも言えない複雑そうな表情"を浮かべて、
「大和国の姫、セイリュウさんとです」
と、言った。
――サクラセイリュウ
エンペリラ様の、元許嫁。
幼いながらもエンリ様は、本気でサクラ様との結婚を望んでいたし、サクラ様もそのことを約束してくれていた、と。
だけどある日、一方的に婚約は解消された。
……それがサクラ様の意思か、政治的な判断か、それはエンリ様にもわからない、ただ、
「この箱の中身は」
エンリ様はまだ、
「サクラさん、じゃなかった、セイリュウさんへのプレゼントです」
サクラ様が好きだと、あの日、聞いた。
「……未練がましいですよね、贈り物なんて」
「そ、そんなことは」
「わかってます、この
そう言って、エンリ様は目を細める。
「それでも、好きなんです」
その時の表情だけは、
皇帝としてのものじゃない、年相応の、恋する少年のものだった。
……少しばかりの沈黙が流れてから、メディが尋ねる。
「
「――花です」
エンリ様は、
「大和の国に一本だけ咲く、特別な花、姫になるものしか、見ることが出来ない花、誰にも見せたことのないものを、特別にって――ふたりだけのないしょだよって言って、見せてくれた花です」
そう言った。
「それを、ガラス細工の工房で、花の置物として作りました」
「え、……エ、エンリ様が手ずから作ったのですか?」
「はい、もちろん! あの花は僕とサクラさん、じゃなかった、セイリュウさんとだけの秘密ですから、人に頼んで作ってもらう訳にはいきません」
――一国を治める者の手作り
……それが意味することは、きっと、
「……とても大切な、特別な思い出なのですね」
メディが言ったとおりのことだと、俺は感じていた。
「はい!」
そう元気よく返事して、エンリ様は笑顔で立ち上がり、その、箱を抱える。
「落語も、セイリュウさんが好きだったから、今日一緒に、見れるのがとても楽しみです」
「――エンリ様」
「それじゃ、失礼します、ありがとうございました」
そう言ってエンリ様は、立ち上がろうとする俺達を手で制して、そのまま足早に――だけど笑顔を忘れずに、部屋を出て行った。
俺達は、テーブルの上のチケットを見る。
「恋することが、キズか」
「確かに、噂で聞いたことがあります」
メディ、
「皇帝陛下は婚約破棄された相手を諦めきれない、
「しゅ、
その噂は、国にとってけしてよいものじゃないのは確かだった。
実際のところは、わからない。
本気で大和の姫、サクラセイリュウは、エンリ様を心の底から拒否しているかもしれない。
……だけど、人の色恋なんて、外からあれこれ言うものじゃない。
どうか、
それに俺達には、
「……それでさ、メディ」
また、問題があって、
「
「ああ、そうでした!?」
人の心配をする余裕がないことを、俺達は改めて思い出すのだった。