帝国歴1041年7月4日19時45分
円卓帝国劇場 観客席
皇帝が住まう城を中心に、学園や防衛機構に研究所など、国に関わる六つの施設が囲むように存在している円卓帝国。その外側は帝国の民達の住居や、冒険者や観光客相手の商業施設が軒を連ねる。
円卓帝国劇場は、その
「沢山の方がおられますね」
「うん、……劇場入り口近くに、チケットの
「それだけ人気ということかもしれませんが――転売ヤーは
「それはそう」
「あれ、あの頭は、もしかしてフィア?」
「隣にいるのはアンナ様でいらっしゃいますね」
10個くらい飛ばしたかなり前よりの席に、フィアとアンナさんは座っていた。声をかけるか迷ったけど、流石にやめておく。感想会は、落語が終わった後にできればいいやと。
そして俺はフィア達が座るその先、つまり、舞台へと目を移す。
そこには赤い布で覆われた四角い台の上に、紫色のざぶとんが置かれている。
「あのざぶとんという敷物の上に座る一人芝居、それが落語なのですよね、ご主人様」
「うん」
大和の落語、大陸の人達にとっては、海の外の異国のエンターティメント、それに対しての
火焔亭アカネ落語会
演目
・時そば
・まんじゅうこわい
中入り
・死に神
時そばとまんじゅうこわいは有名な前座話、それで、死に神はちょっと難しくて長めの、いわゆる大ネタという奴だったはず。……動画で得た薄っぺらい知識に、もうすぐ、本物の厚い経験が重なると思うと、ちょっと嬉しくなる。
とはいえもちろん、俺の心の中には、
(【○○○○】をどうしよう)
というのが、頭の片隅にじっとあるのだけど。
(……まぁ、いつまでって制限時間も無いみたいだし、落語を観てから考えよう。案外、何かヒントがあるかもしれないし)
と、そう思ったタイミングで、
「はいどもども~!」
明るく軽快でありながら、力強く弾む声が、喧噪の中ですらはっきりと響いた。
ただその"たった一つの挨拶"が、会場のざわめきを一瞬で沈めて、視線を舞台へ誘導させる。
声と共に現れたその姿は、
「あの方が、火焔亭アカネ様?」
「そうみたい」
チラシでイラストに描かれたとおりの
「帝国の人達、はじめまして。大和の国で、噺家っていうのをやらせてもらってます、火焔亭アカネと申します。本日はどうぞよろしくお願いします」
ただただ話しているだけなのに、その声も言葉のリズムも、何もかもが気持ちいい。彼女がぺこりと頭を下げた瞬間、自然とわっと拍手が劇場を包む。
「ありがとうございますありがとうございます、まぁ帝国という、私にとっては異国の舞台でありますので、本日の落語はなるべくわかりやすいものをね、揃えさせていただきました。ただそれでも落語っていうのは、人様の頭の想像力を借りる出し物ですからね、ぶっ続けで見続けると疲れてしまいますんで、中入り、という落語とは違う出し物も用意させてもらってます」
確かにチラシを見ると、"まんじゅうこわい"と"死に神"の間に、中入りって書かれていた。
「この中入りに関しては、ちょっとした
そう言ってアカネさんは、右手掌をみせながら、後ろ上へと俺達の視線を促した。そこには、天井と一体化したような、窓ガラスのある観覧席がもうけられていた。
「姿こそは拝謁できませんが、あちらのVIP席には、この帝国の皇帝であるエンペリラ様、そして大和の姫であるサクラセイリュウ様がいらっしゃいます。今回の催しも、二人あってこそのもの、どうか、感謝と敬意をこめて、拍手の方をお願いします」
そう言われた観客達は、さっきと同じように手と手を叩いた――角度的な問題なのか、それとも防犯的な処理なのか、エンリ様とその大和の姫様の姿は、確かに見えない。
……誰も見えない空間の中で、二人の間に流れているのが、幸せな時間なのか、それとも真逆の気まずい時間なのか。そんなことを、ちょっと思ってしまっていると、
「さて、それではこのあと、いよいよ開演となります。また、入場の時に説明されていると思いますが、この劇場でのスキルの使用は、エンペリラ様の【皇帝】スキルによって、本人とセイリュウ様、そして警護の方達しか使えません。とはいえスキルの有り無し関係無く、暴れるような真似はやめてくださいね、それでは、また後ほど~」
と、説明を終えて、舞台袖へと引っ込んでいくアカネさん。またもや自然と起きる拍手。
「楽しみですね、ご主人様」
「あ、うん」
「……エンリ様と、セイリュウ様のことをお考えで?」
「そ、そうだね」
俺の表情から、何を考えているか察したメディはそう聞いてきて、そして、語り始める。
「あくまで私見でございますが、もし、セイリュウ様がエンリ様を本気で拒否されているのなら、このような催しで、二人で同じ部屋で落語を観覧しようとは思わないかと」
「……そうだね」
「……もちろん、政治的な付き合いがあるから、仕方なく、といった可能性もあるでしょうけど」
そればかりは、分からない。
今実際、あの誰にも見えない部屋の中で、どんな言葉が交わされていて、どんなやりとりがされているのか。
……だからやっぱり俺は、祈ることしか出来なくて、
だから、
「プレゼント、受け取ってもらえたらいいんだけどね」
そう、願いをポツリと呟いた。
――皇帝という立場じゃない
エンリ様本人の想いを込めた、贈り物。
「――ええ」
それがどれだけ難しいことかは、当然、俺達にもわかっていた。きっと世界はそこまで、甘く作られていないんだと。
――だけど現実というものは
そんな無慈悲を塗りつぶすほど、残酷で凄惨だということを、
このあと、俺達は知ることになる。