帝国歴1041年7月4日23時11分
平和の守護者本部 第一拘留所エントランス
「――ここが」
「はい、エンペリラ様が、今、いらっしゃる場所です」
華やかなる円卓帝国でも、人がこれだけ集まれば、当然、犯罪も存在する。
罪を犯した者達が、大陸の果てにある刑務所へ向かう前、もしくは、一時的に頭を冷やすために、留められておくのがこの平和の守護者本部にある、拘留所だ。
俺とメディはアンナさんの許可を取り、この場所へと訪れていた。
あの侍――ヤギュウゲンブさんが――エンリ様とここに向かったと聞いたから。
「ともかく、入ろう」
「はい」
会えるかどうかはわからないけど、俺はともかく、扉を開く。
――すると
「え、……デ、デカヴァイスさん?」
石造りの四角い、簡素な部屋で、皇帝陛下の専属騎士が、相変わらずのフルアーマー姿で、部屋の椅子を
「――アルテナッシと、メディか」
そう、言った。
(声が普通の大きさだ!?)
フルフェイスのカブト越しでもわかる、明らかに今のヴァイスさんは、元気がない。
……けどその理由は、簡単に察せられる。
「……皇帝陛下は、あの扉の向こうだ、だが、今は立ち入ることはできない」
「どうしてですか?」
「ユガタと、あのゲンブという男が、皇帝陛下を挟んで向かい合っている」
「――それは」
……入学試験の時に、一度だけしか接敵したことはないけど、それでも執事のユガタさんが、どれだけの力の持ち主かは肌で感じている。
「……私達は今、あのヤギュウという男の望むように動くしか無い」
「ヤギュウさんの、望み?」
「――ああ」
ヴァイスさんは、ヘルメットの中から、こう言った。
「裁判だ」
――裁判
「裁判って、あの、弁護士側と検事側に分かれて、有罪か無罪かを決める奴ですか?」
「ああ、その裁判だとも」
それはなんか……、正直、意外だった。
「自国の姫を殺されかけた上で、公正な判断を仰ごうとされていらっしゃるのですね」
「ああ、むしろ、あのヤギュウという男は、両国にとって最悪の事態を回避しようと動いているように見える」
「最悪な事態?」
メディの問いかけに、ユガタさんが隣にいないのに、"沈黙"した後にヴァイスさんは、
「戦争だ」
と、言った。
「せ、戦争」
「……エンリ様の容疑は、今は殺人未遂だ。現在、サクラセイリュウ様は、魔法院の治療施設で治療を受け続けている。助かるかどうかはまだ分からない」
そういえば、ゲンブさんも殺人未遂容疑だと言っていた。
……確かに、大和の国の人達の心情を考えれば、元許嫁だった"帝国のエンリ様"によって殺されたなら、いや、命をとりとめても、殺されかけようとしたのなら、
それは十分、大和が帝国へ戦争を仕掛ける理由になる。
「そうならないように、裁判で罪を定め、どのようにそれを償うか決めるつもりなのだろう」
「そ、その裁判はいつ?」
「明日だ」
「明日!?」
そ、そんな急にやるもんだっけ裁判って? 普通、もっと時間をかけるものじゃ。
「ともかく
「聖女様――セイントセイカ様が!?」
「ああ、第三者の人間に、公正な判決を求めるために」
そ、そこまで考えて、進めているんだ。検事、裁判長と決まっていて、……あれ? となると、
「弁護士は、帝国側の人間ということになりますでしょうか?」
俺の疑問を、すっとメディが言葉にしてくれた。
「ああ、だが、弁護士はまだ見つからない」
「え? ……そ、そんなことってありますか?」
「皇帝陛下の弁護をし、それで敗訴したならば、地位や名誉を失なうだけならまだいいが、命まで失いかねないからな」
「い、命まで?」
「"お前の所為で戦争が起きた"、と、恨まれる可能性がある。……その累は家族にも及ぶかもしれない、そう考えれば、下手に弁護など出来ようがない」
ヴァイスさんの話を聞く限り、状況は最悪で、そしてどうやっても覆せないように思えた。
……いやでも、
けどそれは、
「エンペリラ様が、本当にセイリュウ様を殺そうとしていたかによりますよね?」
そう、それが前提だ。
あの白い忍者さんの言うことをそのまま真に受けて、本当にエンリ様がセイリュウ様を殺した前提で考えたけど、そもそも、
「エンリ様は、そんな人殺しをするような人じゃない――」
そんな思いを口にした途端、
「そんなの当たり前だろうがぁぁぁ!」
「うわ!?」
ヴァ、ヴァイスさんの大声が、炸裂した。俺とメディは思わず耳を塞ぐ、鼓膜の奥がキンキンする。
……だけどその大声は、一度きり、
ヴァイスさんは、また静かに語り出す。
「……
ヴァイスさんは、目を細めて、
「皇帝陛下とて神では無い、私達と同じ、過ちを犯すこともある人間なのだ――その可能性を否定することも、私にはできない」
「ヴァ、ヴァイスさん」
「……なぁ、〔何でも有りのアルテナッシ〕」
ヴァイスさんはまた、俺のことを、間違った二つ名で呼ぶ。
「私はずっと、庶民やFクラスを、見下すようにして生きてきた。……父と母にそう育てられたこともあるが、それだけじゃ言い訳の出来ない――私の選んだ生き方だ。貴族と庶民の壁が無くなることは即ち、伝統も秩序も放棄するに等しい、帝国そのものが滅びる危険な考え方だと」
……ヴァイスさんの言うこともわかる、
いくらエンリ様が、貴族と庶民が仲良く生きる国を理想にしたって、エンリ様自身が貴族なんだ。
それは即ち、皇帝じゃなくて、庶民の誰かが治めてもいい国になる。その場合エンリ様は、あらゆる特権を失うことになる。
――それがいいか悪いかはまた別問題だ
貴族にも守るべき家族があることを、俺達は、アンナさんを通じて知っている。
「そんな考え方はやめた方がいいと、エンリ様やユガタに、何度もたしなめられても、私は、やめなかった、やめられなかった。これは差別では無く区別だと、エンリ様と、この帝国を守るために必要なことだと、……だけど」
ヴァイスさんは、
「今ようやくわかった、エンリ様に必要なのは、貴族でも、ましてや庶民でもない」
俺の目をまっすぐ見て、
「――友達なのだ」
そう、言った。
「……今のエンペリラ様が、本当に望んでいることは、私にはわからない、それを聞き出せるのはお前だけだ」
「――ヴァイスさん」
「あの方と、話してくれないか?」
……その言葉を聞いて、俺は、自分の拳をぎゅっと握りながら言った。
「そのつもりで、ここに来ました」
……そうだ、そうなんだ。
俺は庶民で、エンリ様は皇帝だけど、今日の朝、エンリ様は友達として俺の家に訪ねてくれた。
それにあの時――帝国劇場のエントランスで、ゲンブさんに担がれて、喋れない状態のエンリ様は、
確かに俺に、何かを訴えかけていた。
それがなんだったのか、聞かなきゃいけない。
「メディはここで、待っていてくれる?」
「かしこまりました、ご主人様」
メディの言葉を聞いて、俺は歩を進め、扉を開く。
そこには地下へと繋がる階段があった。ランプが壁に灯るらせん階段を、俺はぐるぐると降りていく。
――2回くらい回ったあと、降りたならばそこには
刀の柄に手をかけたヤギュウさんと、
ナイフを握って身を低くしているユガタさん、そして、
「……来てくれてありがとうございます」
鉄格子の向こう側で、とても皇帝には似つかわしくない、粗末な椅子に座った、
「〔何も無しのアルテナッシ〕さん」
エンペリラ様が、笑っていた。
だけどその笑顔は、からっぽだった。