帝国歴1041年7月4日23時22分
平和の守護者本部 第一拘留所地下牢
窓は当然無く、明かりは一つ二つのランプしか無い、ただここにいるだけで、しんと背筋まで冷え切ってしまいそうな地下牢。
鉄格子の前には男が二人、一人は、侍姿のヤギュウゲンブさん、もう一人は、銀髪の寡黙な執事ユガタクワイエットさん、
そしてその間、隙間が大きな鉄格子の向こうには、
「来てくれてありがとうございます、〔何も無しのアルテナッシ〕さん」
乾いた笑顔を浮かべた皇帝陛下、エンペリラ様が、粗末な椅子に座っている。
……俺はそんなエンリ様には返事もせず、サイドの二人に声を掛ける。
「二人きりにしてもらえますか?」
……その言葉を聞いて、まず、ゲンブさんが柄から手を離した。するとユガタさんも、ナイフを胸の内へと納めた。そして二人は、無言のまま、らせん階段を昇っていった。
俺とエンリ様以外、誰もいない状況で、エンリ様は、
「来てくれるって思ってました」
そう、笑顔のままに話し続ける。
……だけど俺は、その笑顔を見て、寂しく思う。
ああだってその笑顔は、
――前世の俺の笑顔とそっくりだから
……正確には、この世界に生まれ変わって、16歳までの俺の笑顔と。
「事情の方は、ヴァイスから聞いていただけましたか?」
「……はい、一通りは」
「でしたら、是非、お願いがあります」
「なんでしょうか」
「――明日の裁判で、僕の弁護をしてくれませんか?」
――その言葉は
……まるっきり、予想しなかった訳じゃない、そう頼まれる可能性は、一応は、考えていた。
その上で、確かめる。
「俺には弁護士の免許はありません」
そもそもこの帝国、というかこの異世界の司法制度というものが、どうなってるかはそこまで詳しく知らないけれど、流石に資格はいるはずだと思ったから聞いたのだけど、
「明日の裁判は色々と特別ですから、それくらいの無茶は通します」
と、エンリ様はあっさり言った。……そりゃまぁ、殺人未遂事件が起きた翌日に、即裁判なんて、普通じゃあり得ない流れだけど。
ともかく、仮に俺が弁護するとして、確認しなきゃいけないことがある。
「エンリ様は、セイリュウ様を――殺してないんですよね」
その質問にも、
「はい」
あっさりと、答える。
「僕は、セイリュウさんを殺してません」
その事実を告げるエンリ様の様子は、淡々としている。
俺はそのことに、不安、いや、
寂しさを覚える。
「……だけど僕がこのまま、セイリュウさんを殺したということになれば、帝国と大和の間の緊張は、最大まで高まります」
「それが、戦争の引き金になるかもしれないと」
「はい、それだけは、避けなければなりません」
エンリ様の言ってることは真っ当だ。
「……その言い方だと、戦争を回避するためなら、罪を認めたっていいって風にも聞こえます」
「……そんなつもりはないですけど、そうですね」
エンリ様は、皇帝だ。たったひとりで、帝国の民一万人だけじゃなく、大陸中の人達の命を背負う、責任ある存在。
「最後まで、無実を主張して、それでも僕の有罪がどうしても覆らない場合は、そう動くしかないかもしれません」
……だからこそ俺は、
「大丈夫です、アルテナッシさん」
言わなきゃならない、
あの言葉を、
「僕が負けても、アルテナッシさんは気にしなくていい、命を引き換えにしても民を守る」
あの言葉を、
「それが皇帝としての務めですから」
――救いの言葉を
「……エンリ様が」
俺は、からっぽの笑顔のままのエンリ様に、
こう、言った。
「誰かの為でなく、貴方自身がしたいことはなんですか?」
――そうそれは
あの日、16歳になったあの日、施設から追放されたあの日、
何も無かった俺に、メディが言ってくれた言葉、
俺のからっぽの心に、熱を灯してくれたあの言葉。
「……え?」
……俺は、あの日をなぞる、あの日を
あの日のメディの、物真似をする。
「皇帝として民の為に、……誰かの役に立ちたい、その心がけは立派です」
――ああ、俺の心はからっぽで
相変わらず中身が無くて、誰かの真似しか出来なくて。
「だけどそうやって誰かの幸せを願うばかりで、自分の幸せそのものを望まないなんて」
だけどきっとこれは、間違っていない。
自分がしてもらって嬉しかったことを、
誰かにしてあげたいという気持ちは正しいはずだ。
……例え物真似だって、誰かがくれた言葉だって、
それで目の前の人を、
友達を、
「……寂しすぎるよ、エンリ様」
救えるのなら。
……俺の言葉を、いや、あの日のメディの言葉を聞いたエンリ様は、
「な、何を、言ってるんですか」
俺とは違って、笑顔はそのままだった。
「僕は皇帝です、責任のある立場です、滅私奉公、個人というのは本来、存在してはいけないんです」
それは、予想外のもの、あの時の俺とは違う反応。
……本来ならここで、言葉に詰まってたかもしれない。
だけど俺は、"あの日のメディ"からも聞かなかった、
物真似じゃない、"今の俺"の言葉を放つ。
「サクラ様への、想いもですか?」
「――っ!」
俺の言葉は、エンリ様の笑顔を一瞬で消した。
エンリ様は暫く黙っていたけど、やがて、
「――しょうがないじゃないですか」
エンリ様はまず、零すようにそう呟いて、
「しょうがないじゃないですか!」
同じ言葉を、今度は叫んだ。
「好きで好きでしょうがなくて! あの時の、笑顔もぬくもりも、全部忘れることができなくて!」
烈火のように熱くなり、涙を吠えるように流しながら、
「諦めようと何度も思ったけれど、今日、もう一度って願ったんです! あの部屋で、プレゼントと一緒に、全部の気持ちを吐き出したんです! だけど僕は、サクラさんに僕は!」
――事実を告げた
「……ハッキリと、振られたんです」
その言葉は、
「もうけして、一緒に生きることは出来ないって」
エンリ様がセイリュウ様を殺す、十分な動機を語っていた。だけど俺は、
「だけど、それを理由に、殺そうとなんかしてないですよね」
だからこそ、そう、確信する。
「……殺してません」
「でしたら、したいことはなんですか?」
「僕の無実を証明すること、そして」
エンリ様は、言った。
「サクラさんを殺そうとした、真犯人を捕まえること! サクラさんをあんな目に合わせた奴を裁くこと!」
それは皇帝としてじゃなくて、一人の人間としての魂の叫び、
「許せない、許せないから! 絶対!」
――激情
「大好きな人を、あんな目に合わせた人を!」
……そうやってただ泣き叫ぶ姿は、いや、癇癪を起こす様は、14歳という年齢より更に幼く見えて、
だからこそ、
「う、うう、ううぅ……」
俺は、よかったと思った。
あの日の俺のように、泣くことができたのだから。
――心のからっぽは誰にでもある
皇帝という立場に縛られて、初恋を否定されて傷ついて、
……もしかしたら、エンリ様の
「……解りました、エンリ様」
だからこそ俺は決意する、
――【○○○○】
この、
「絶対に、無実を証明してみせます、俺を、この俺を」
友達の為に使うと、心から決めた。
「〔何も無しのアルテナッシ〕を、信じてください」
――何も無いから乗り越えられる
……入学式の時、エンリ様がくれた言葉を思い出しながら、そう告げれば、
エンリ様は、涙まみれの顔で、笑った。
それはあの日の俺のように。