帝国歴1041年7月13日 午後2時15分
大和国姫 謁見の間
……もしもアルテナッシの【逆境裁判】スキルが発動しているならば、そんな風に、明示されるこの場所。
石畳が広がり、朱塗りの御柱が規則正しく起立した上で、壁も天井も果てが見えぬ程遠く黒い、
異世界の異空間、この世から隔絶されたような場所では、
「ひい、ひい、ひいいぃぃぃ」
白装束の忍者、シノビビャッコの、
「ひいいいいいぃぃぃ!」
悲鳴すらも、全くに、虚しく響くばかりだった。哀願の涙をぼろぼろと流していくビャッコ、けれど、
「……言い訳くらいは、聞きましょう」
199cmの身長をもって、見下ろす、
「私を殴殺しようとし、その罪を、エンペリラ様になすりつけようとしたのは、何故か」
「ち、違うのでござる、セイリュウ様、セイリュウ様ぁ! せ、拙者が、あのような行為に至ったのは――」
「至ったのは?」
「や、大和の為、そして、セイリュウ様の為でござる!」
そう、言った。
――その言葉に
「主君を殴殺しようとすることが、なんの為か?」
泰然としながら、いつでも刀を抜けるように心を配っている、ヤギュウゲンブが問いかけた。するとビャッコはぶんぶんと首を、もげ落ちそうな勢いで振った。
「ち、違う違う違う、拙者は殺すつもりなぞ無かった! ただ、"エンリ殿が殺そうとした"という嘘を誠にする間、気絶してもらおうと思っただけ!」
そして、からからになった喉を、どうにか潤すように、ゴクリと生唾を飲み込んだ後、
「それが解らぬゲンブ殿、そして、セイリュウ様ではなかろう!?」
と、言った。
「ゆえに、ゆえにけして拙者は! そ、そもそも全ては!」
そしてビャッコはここで、
「あの皇帝が、セイリュウ様に付きまとうゆえに、だから!」
そう、告げた時、
「――嫉妬、したと」
「――あっ」
……それはビャッコにとって、隠したかったような、けれど同時に、
ずっと見抜かれたかったような、
――〔忍ぶ思いはシノビビャッコ〕
「……は、はい、拙者セイリュウ様を」
図星だった。
「――愛しておりまする」
気持ちを言葉にした途端、瞳に宿るのは悲壮ではない、その目は花のように色づく、そう、
「セイリュウ様、いえ、サクラ様」
――かつてのように呼びかけて
「拙者は――」
あの日、盗み見た桜の花のように、
――忍ぶ思いを
隠せなくなった想いを、発露した、
その瞬間、
「あぶっ」
ビャッコは――"溺れ"た。
「あぶぅ!? うぐ、う、うぶ、あ、ああぁぁぁぁ!?」
何が起きたか何故溺れたか――突然に、ビャッコの周囲のみに滝のような雨が降り始めたからである。体をうつ伏せにしようとも、背が傘になることもなく、寧ろ"地を叩いた雨が顔にまで跳ね返る"有様で、
「おぼべっ、おぼべぶっ、せ、せいりゅ、さま、どめ、どめで」
この広い空間で、いくら動いても、のたうち回っても、追いかけてくる雨に打たれ続けて、そして、
「さ、くら、さ――」
……その名を告げる前には、すっかり、臓腑を水に溺れさせていた。
途端、雨は消える。
口の端どころか、鼻の穴や目からすらも、水を噴き出させるビャッコの姿に、セイリュウは目を細めた。……やがてその視線をゲンブにやれば、ゲンブは、黙ってそのずぶ濡れのビャッコの体を担ぎ上げ、闇の果てへと消えていく。
けれど、それと入れ替わるように、
「いやはや、えげつないことをやるねぇ」
朗々と、調子のいい声で、
着物姿のあの落語家が、
「まぁでも、殺さないあたりは優しいか」
火焔亭アカネが、否、
――アカネスザクが
水浸しの石畳を踏みしめながら、すたり、セイリュウの前に立つ。
「……傍聴席から、エンペリラ様、そして、ビャッコの感情を操ったのはあなたですね?」
「そうさ」
「ビャッコに頼まれて? 自発的に?」
「どっちとも言えないねぇ」
一国の姫相手にも、悠然と態度を変えないままに、
「で、どうする? 私も溺れさせるかい?」
そう言ってアカネは、まな板の上の鯉とばかり、セイリュウの前で両手を広げて見せた。
しかし、
「……いえ、貴方の罪は問いません」
「……そうかい」
「なら、帰るとするか」
着物と一緒に、踵を返した。
だけど、背を向けたままに、
「――どうして、寿限無を
スザクは、
「死に神より、好きな噺だったはずだろ、あんたも、そして」
少し、悲しげに、
「あの許嫁さんも」
そう、告げたけど、
「……帰りなさい」
「……サクラ様、あんたさぁ」
「その名で私を呼ぶのはやめなさい」
「……ああ、わかったよ」
結局、スザクは肩を落としたままに、ゲンブとビャッコと同じく、闇の向こうへ消えていく。
この広大なうら寂しい場所に、長身のサクラセイリュウは、ただ一人佇んでいる。
その表情は、一切変わりないようだった。
どこまでも無感情で、果てしなく、そう、
――からっぽの心を携えているようで
……だけど、
「……寿限無」
ああ、だけど、
「好きだった――だけど」
そう、だけど、
「――ああっ」
涙が、
「あぁぁぁぁっ!」
瞳から、零れたその瞬間、
――水色の髪が桜色に変わる
無表情は終わり、さっきビャッコに降らせた雨よりも激しく、涙は零れ、声が放たれる。
跪いて、長身をすっかり折りたたんで、石畳にぼろぼろと涙を落として、
「ごめんねぇ」
嘆くその声は、
「エンリ君、ごめんねぇ」
けして少年に届かない、本当の気持ち、
「会わないまま帰ってごめんね、冷たく接することしか出来なくてごめんね」
どれだけ本当は愛していても、ずっと気持ちは変わらなくても、
彼女の心は変わらなくても、
「――ごめんね」
体はもう、
変わってしまった。
「同じ時間を、歩めなくて、ごめんね」
――彼女の二つ名が
……否、
"
――{神龍不死サクラセイリュウアンデッド}
……だけどやがて、その涙も枯れて、
髪の色も、あの日の花の色を、
桜色を、失った時、
「恋するって、嬉しいだけやのうて」
その声は、響いた
「――辛いこともあるんやね」
――奇跡の力でここまで来たか
「セイリュウちゃん」
聖女、セイントセイカ、
……彼女の声に、
「どうして、現れたのですか」
セイリュウは振り返らないまま、呟く、
「貴方は私が嫌いなのに」
それへの声は、その返事には、
「うちも、恋を知ったから」
真っ白な聖女は、確かな色を伴っていた。
――頬を染める桜色
「大丈夫」
そして、彼女はこう告げる。
「セイリュウちゃんの思い、叶えてあげるから」
そんな奇跡が起こる事を、
彼女はまだ、知らなかった。