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第四話 追憶

 永憐ヨンリェン宇辰ウーチェン宋武帝そんぶていのいる紫王殿へ到着した。

 中に入り、普段通り宋武帝と顔を合わせる。

 宇辰は宋長安専属の刀鍛冶の接待へ向かう為、席を外した。


 「永憐、体調はどうだ?良くなったか?」


 宋武帝が茶を啜りながら尋ねる。

 永憐は「お陰様で」と出された茶を啜りながら言葉を繋いだ。


 「ところで、どうされたのですか?」


 「うん。実はな、華宴かえんを開こうと思ってな」


 「華宴ですか?」


 永憐は少し眉間を寄せ、聞き返す。

 宋武帝は窓辺に向かい、穏やかな表情で話し出した。


 「艶福家えんぷくかのお前も、而立じりつを過ぎた男だ。そろそろ、妻を娶ったらどうだ?」


 「…いや。私は色欲を絶っていますので、そのようなことは」


 永憐は表情一つ変えず、やんわりと断る。

 宋武帝は窓側に顔を向け、言葉を続けた。


 「やはり、まだ前を向けぬか?」


 「……」


 永憐の顔色が少しずつ曇る。宋武帝は静かに外を眺め始めた。

 永憐の頭の中に一人の女性が浮かぶ。それは、祝言を挙げる予定だった美雨メイユイの姿だ…。


 あれは確か、祝言を翌週に控えていた夏の夕暮れ時だった。

 蝉の鳴く音が山中に響き渡る中、これから住み始めようと永憐が買った家まで二人で歩いていた。


 「ねぇ、永郎ヨンロウ!母上が、私の祝言の為に花嫁衣装を縫ってくれたの。とっても綺麗な花の刺繍が入っててね、早く永郎に見せたいんだけど、それでね髪にもね、豪華な飾りを町の人たちに作ってもらって、それを付けようと思ってるの〜」


 「うん。似合うと思う」


 「本当〜?でね、でね〜、、、」


 美雨は相手に話す隙を与えないほど、よく話す女だった。父・心悦の知り合いの商人の娘で、持ち前の明るさが有名な町一番の看板娘でもあった。殺戮ばかりしている永憐に、少しは穏やかになれと心悦が縁談を持ってきたのだ。美雨の熱烈な打診からあっという間に祝言まで辿り着き、今に至る。


 そんな会話をしていると、目の前で宋長安の衣を羽織った護衛の二人が、三歳の男児とその母親を庇うように立ち、剣先を何者かに向けているところに出会でくわした。


 永憐は美雨に「ここで待っていろ」と伝え、宋長安の助太刀に向かった。


 「通りすがりの剣門山の者です。助太刀いたします」


 「ワン家の道長どうちょう殿!助太刀、心より感謝申し上げます!お気をつけください!先日も宋長安付近で女と子どもを食べていた女の妖魔です。恐らく、玄天遊鬼ゲンテンユウキ傀儡かいらいかと」


 また玄天遊鬼か!と永冠ヨングァンの握る手に力が入った。

 宋長安の護衛たちが宋長安の代表的な魔除けの術である『神札じんさつ』を母親に持たせ、陣を張る。

 女の妖魔は額に青筋を浮かび上がらせ怒りをぶちまけるかのように、永憐たちに飛び掛かった。一人の護衛が剣を妖魔に刺したが、妖魔も負けじと護衛の頭を思いっきり捻り、首の骨を折った。もう一人の護衛もその後に続き剣先を向けるが、手斧ちょうなのような爪で手の甲を抉られ、その場で手を負傷してしまう。すると、護衛が放った神札の術が溶け出し、瞬く間に女を庇っていた陣が消えていく。

 「これはまずい」と、永憐は妖魔の鋭利な爪の攻撃を何度か躱し、攻撃を加えるが、一瞬の隙をつかれてしまう。その隙をついた妖魔が男児を掴もうとした刹那、何かが永憐の横を通り抜けた。

 ほんの一瞬の出来事だった。

 永憐は一瞬何か分からなかったが、ハッとして目線をそちらに向ける。すると、美雨が男児を庇うようにして横たわり、その小柄な背中から血飛沫をあげていた。


 「美雨!」


 永憐は妖魔の爪を永冠の柄頭で叩き割り、妖魔の首と胴体を切り裂いた。女の妖魔は「私の子を返せ…」と涙を流しながら、ただの女性の死体となって横たわる。

 男児の母親は「私たちのせいで…ごめんなさい…」と、美雨の顔をさすりながら咽び泣いている…。

 美雨が永憐との別れを惜しむかのように、その場に涙雨が降りそそいだ。


 記憶を断つかのように、宋武帝の声が突如降りてくる。


 「お前の助太刀と、お前の伴侶の命と引き換えに、今は亡き紫秞妃シユヒと幼い賢耀が助かった…。今も、この恩は忘れていない。だからお前をここの国師にしたんだ。ただ、余計な世話かもしれんが、お前には幸せになってもらいたいんだよ…」


 永憐は静かに宋武帝を見上げた。

 宋武帝は永憐と向かい合うように座り、続ける。


 「朕とお前はよく似ている。良い男も、歳を重ねると良い縁談はもらえなくなるからな。まぁ、お前次第だが、前を向けるのなら早い方がいいぞ」


 永憐はしばらく間を置いて「努力します…」とだけ伝えた。宋武帝はそれ以上、永憐に触れることはせず、別の話を振る。


 「まぁ、そんな耀もいい歳になった。耀の花嫁選びというのもあってな。どうだ?誰かおらぬか?」


 永憐は親友の深豊シェンフォンが言っていた、橙武帝とうぶていの一人娘・橙美凛トウメイリンを打診した。

 宋武帝はよし!と意気込み、橙武帝に向けて鶴紙を書き出した。その様子を横目に永憐は「光明コウミン殿下もご参加されるのですか?」と問う。賢耀の義弟にあたる光明のことを言われた宋武帝は、筆を止め、溜め息を吐きながら眉間に皺を寄せた。


 「皇后の手前、表面上は参加させるつもりだが…、あいつは衆動しゅうどうに明け暮れているらしい」


 「衆動…ですか」


 永憐は剣豪であっても、男色の世界には精通していない。宋武帝に何と言ってよいのか分からず、口を閉ざした。


 「衆動を咎めはしないが、全く光華妃といい、光明といい、あの二人には頭を悩ませてばかりだ…」


 宋武帝から、今日一番の深い溜め息が漏れる。

 それからしばらく永憐は、宋武帝の悩みの種を聞きながらこれまでの心痛を宥め、夕餉頃になって紫王殿を後にした。



 それから三日も経たないうちに、華宴の噂は瞬く間に広がった。今日の医局はそれもあって、一段と賑やかだ。


 「耀ヤオさまとミンさまのお相手探しの宴だって〜」


 「や〜ね、そこにはあの堅物大魔王、ワン国師も含まれてるって話よぉ〜」


 「え〜、私、もしかして呼ばれちゃう?」


 「んなわけないでしょ!あんたみたいなオカマが!」


 騒がしい医局では、オカマ医官と入り浸つようになったオカマ患者数名が、冗談を交えながら盛り上がっている。


 蘭瑛ランイン秀綾シュウリンは「へぇー」と私たちには関係ないといった様子で、茶を啜っていた。


 「お二人の皇太子の御成婚はすぐに叶いそうだけど、あの堅物大魔王…いや、永豪君よんごうくんが御成婚となったら、ここの女たちは一体どうなるのかしらね〜?!嫌よ、私は!そんな恋に敗れた女たちの面倒見るのー!」


 江医官が手を振りながら嘆く。

 蘭瑛は思わず吹き出してしまい、確かにそうだと頷いた。

 その横から面白おかしく秀綾が続ける。


 「流行病じゃなくて恋煩いの病が流行るかもね〜。ねぇ!蘭瑛。今のうちにさ、恋煩いの薬でも作んない?」


 秀綾は調薬になると目を輝かせる。

 「いや…」と言って、蘭瑛は秀綾と向き合うように、机を挟んだ前に座った。


 「六華鳳宗では管轄外。艶薬つやぐすりしか作れない」


 「何?!その艶薬って!」


 「ん〜、事中の維持継続に良いとされるものや、男性の本懐を遂げるものとか、圧倒的な催淫作用を働くものとか?他にも性的不能や不妊に効く霊薬とかかな〜」


 秀綾は顔に手を当て、顔の前で手を振った。

 しかし、秀綾の態度をよそに蘭瑛の言葉に食いついたジャン医官とジン医官は、獲物を捕らえたように目をぎらつかせて蘭瑛の顔に近づいていく。


 「ちょっと、あんた。その本懐を遂げるものってやつ、私たちに教えなさいよ!」


 「え?何に使うの?」


 「阿蘭〜、それは内緒よ。私たちも私たちの秘密があるのよ。ね?」


 「そうよぉ〜。誰にも言えない淫猥いんわいなことぐらい」


 秀綾は蘭瑛の疎さと、どうしようもないオカマの会話に溜め息をついた。秀綾は蘭瑛が作ってくれた、桂花糕グイホアガオを頬張り、窓の外を眺めると見てはいけない何かと目が合った気がした。

 秀綾はすぐに振り返り、乱れた脈を整える…。


 「秀綾?」


 「…うん?」


 「何かあった?」


 「ううん。何も」


 蘭瑛の言葉に秀綾は何もないと見せかけて、抱いた恐怖心を流し込むように、一気に茶を飲み干した。

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