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第七話 華宴 壱


 翌朝から形だけの十日間の禁足が始まった。

 特に厳しく咎められることもなく、藍殿から出なければ何をしてもいいという、言わば休息のような穏やかな時間をもらった蘭瑛は、久しぶりに梅林メイリンと茶を啜っていた。その横では、あの白いうさぎも水を飲んでいる。


 「梅林様、この子どうしましょ…。昨日から私と離れようとしなくて…。さすがにここでは飼えませんよね…」


 「あらまぁ、そうね〜。でもまぁ〜、いいんじゃないかしら。永憐様、華宴の準備でここにはしばらく戻られないし、蘭瑛は永憐様の部屋で過ごすことになるから、夜は私の部屋で面倒を見るわ」


 「んっ?永憐様の部屋?!」


 蘭瑛は飲んでいた茶を吹き出しそうになり、驚いた様子で梅林に尋ねた。


 「そうよ。永憐様の部屋には誰も入れないから、蘭瑛をそこに置いておけば安心だもの。永憐様は、もうこれ以上あなたに辛い思いをさせたくないみたい。冷たいと言われる永憐様だけれど、優しいところもあるのよ」


 「……」


 (昨日は仏頂面で、目も合わせてくれなかったのに?)


 少し納得のいかない蘭瑛だったが、しばらく永憐ヨンリェンと顔を合わせずに済むのならと、蘭瑛は嘘くさい笑みを梅林に見せた。


 「嬉しそうね、蘭瑛」


 「ち、違います!そんなんじゃありません!」


 決して、永憐の優しさに触れたからではない。

 蘭瑛は首を横に振って、全力で否定した。

 梅林は「うふふ」と笑いながら、続ける。


 「華宴、無事に終わるといいわね〜。事が上手く運ぶといいのだけれど」


 「そうですね。もしかしたら、永憐様のお妃が決まるかもしれませんしね」


 蘭瑛は特に深い意味もなく、目の前にある小窩頭シャオウォトウを食べながら言葉を繋げた。

 梅林は何か思うところがあるようで、少し間を置いて答える。


 「…それはないと思うわ。永憐様には、永憐様のお考えがあると思うの。そんな簡単に、お妃をお選びになるとは思えないわ」


 「そうなんですか?でも、梅林様。分かりませんよ。絶世の美女が現れたら、永憐様だって気を留められるかもしれませんし、人の気持ちはいつだって動き続けてますから、ある日ふと突然…。なんてこともあるのでは?」


 蘭瑛は面白おかしく梅林に尋ねたが、梅林からの返事は蘭瑛が思っているとは全く見当違いなものだった。


 「じゃ蘭瑛は、永憐様が他の女性と婚姻が決まっても平気なの?」


 蘭瑛は唐突な質問に一瞬ぽかんとしてしまったが、すぐに気を取り戻し「はい」と続ける。


 「永憐様がその方といて幸せならそれでいいと思います」


 本心だ。何の偽りもない。

 永憐に正妻やめかけが出来ても、きっと何も思わない。この国の情勢を担う麗しき国師が、そこら辺の市井の医家に気を留めるはずなどないのだから。

 でも、何故だろう…。

 突然、瞬きと同時に火棘かきょくの枝に触れてしまったかのような鋭い痛みが、蘭瑛の胸に走った。




 それから十日が経ち、宋長安主催の豪華な華宴が、金雅殿きんがでんで執り行われることとなった。

 その日の朝、蘭瑛は梅林から大きな風呂敷を渡される。


 「こ、これは…?」


 「昨日、永憐様から預かったものよ。今日の華宴の衣装。これを着て出席するように、と伝言も預かったわ」


 (一体、あの雪男は何を考えているのか…)


 蘭瑛は、風呂敷を受け取りながら梅林に尋ねる。


 「私なんかが行っても大丈夫なんですか?」


 「永憐様がいいって言ってるんだから、大丈夫よ。堂々としてたらいいわ!またお話し聞かせてちょうだいね」


 梅林にそう言われ、蘭瑛は仕方なく身支度を整えて、金雅殿きんがでんへ向かった。

 最高峰の豪華な金細工が施された建物の前に到着すると、ジャン医官とジン医官がこちらに向かって手を振っている。


 「やだ、阿蘭。素敵じゃなぁ〜い。どうしたの?その衣装〜」


 「永憐様にこれを着て、ここに来るようにと言われたから…。二人は?」


 「私たち?私たちは救護の為に配置されてここに〜。って、えっ?!何ですって?!永憐様にいただいたァッ?!」


 「うん」


 二人の顔からは驚きと怖さが滲み出ている。

 まるで、この後すぐ大きな天災でも起こるのではないかと言わんばかりに!

 それもそのはず。冷酷無情、冷眼傍観、冷徹、雪片、雪男ありとあらゆる冷たさで表現されたあの女嫌いの堅物が、女に物をあげるなど、天と地がひっくり返ってもおかしくない事案なのだ。

 オカマ二人は、永憐様とはどういう関係なのか?と、蘭瑛を追求し始める。


 「麗しきあのお方と、一体どういう関係なのよ?!私たちに白状しなさい」


 「別に何もないよ…」


 「阿蘭、そんな濁さなくてもいいから教えなさいよ〜」


 「だから、何もないんだってば〜」


 そうこうしていると、全員金雅殿きんがでんの中に入るよう案内された。

 三人で中に入ると、蘭瑛は鮮やかな色で塗られた建造物に感動し、端の方で待機しながら辺り全体を見渡した。

 中央に作られた人工池を挟んだ左右対称に、それぞれの国が向かい合って腰を下ろし、もてなしを受けている。各国の上級来賓を呼ぶだけあって、服装も装飾もかなりこだわっているようだ。

 ひな壇の最上段には皇帝と皇后の席、他の妃たちの席が設けられており、その一段下には目線を全く合わせようとしない皇太子の賢耀シェンヤオと第二皇太子光明コウミンの姿があった。

 そして、更にその一段下の中央にはあの絶世の麗人、永憐ヨンリェンが、女子おなごからの熱い視線を遮断するかのように、目を瞑って座っている。

 今日の永憐は、いつもと違う正装の為か神々しさが一段と際立っており、罪深く女子の目を釘付けにしていた。久々に永憐の姿を見る蘭瑛も、思わず見入ってしまうほどだ。

 蘭瑛は首を小さく横に振って、視線を違うところへ向ける。

 すると、一際目を引く橙仙南とうせんなんの一人娘が煌びやかな佇まいで茶を啜っているのが目に入った。


 「ねぇ、江医官。あの可愛らしい女性は誰?」


 「ん?あ〜、あのお方は、橙武帝の皇女子・橙美凛トウメイリン様よ。お綺麗よね〜」


 江医官が言い終えると、金医官が「ねぇ!ちょっと、あそこ見て」と上段の端の方を軽く指差す。

 蘭瑛もつられてそちらを向くと、力強く長剣を携えて凛と佇む女剣士の姿があった。


 「あら、また来てるのね、あの怖〜い女剣士」


 江医官の言葉に目で答えた金医官は、苦笑いを浮かべながら続ける。


 「阿蘭。あの女剣士はね、永憐様のお妃の最有力候補と言われている儷杏リーシー道士よ。毎年、華宴に来ては永憐様のお妃の座を狙ってる」


 「へぇ〜」


 似た者同士でいいじゃないか!と蘭瑛は思ったが、一筋縄ではいかない理由があるようだ。強い者は強い者を嫌うという言葉があるように、永憐は気の強い女は嫌いらしい。

 蘭瑛は遠目で、永憐の姿を見る。すると、疲れた顔をした永憐が、何かを訴えるかのようにこちらを見ていた。


 (どうしたんだろう…。具合でも悪いのかな?)


 蘭瑛は永憐に小さく頭を下げ、しばらく永憐の様子を伺うように見つめた。

 すると、その様子を遠目で見ていた女剣士から、剣先のような刺々しい視線を向けられる。別に悪いことをしている訳ではないが、蘭瑛はすぐに口元を一文字に結び、どちらからも視線を外した。


 開演の頃合いを見計らうかのように、金雅殿の中にの音が大きく響き渡った。

 その鼓に続き、きんしつ箜篌くご琵琶びわの音色が合わさるようにして奏でられる。

 演奏に合わせて、宋武帝と妃たちが次々と姿を現し、蘭瑛の目にはあの恨んで止まない光華妃コウファヒ美朱妃ミンシュウヒの姿が、残影を残すかのように映った。

 鳳凰の髪飾りをつけたド派手な光華妃は、ズカズカと音を立てて皇后の椅子に腰を下ろす。周りからの視線を釘付けにできたことにさぞご満悦のようで、一段とまた派手な扇子を偉そうに仰ぎ始めた。

 美朱妃はというと、和やかに微笑み大人しい妃を演じているようだ。


 (あのクソ女たちめ!)


 そんな光華妃と美朱妃を、蘭瑛は殺意を込めてそれぞれ一瞥する。

 しかし、そんな光華妃や美朱妃を見れば見るほど喪失感と虚無感が増し、蘭瑛の胸は砂嵐のように騒つく。

 動悸が激しく、感情が抑えられない…。

 蘭瑛はやはり、ここには居られないと江医官と金医官に伝え、逃げるようにその場から立ち去った。

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