目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第5話:クイーン・メイリー号と事件

 一面青の海に囲まれている。出港から一晩が経った。移動による若干の疲労が解消され、爽快な気分で朝を迎える。……朝じゃなかった、めちゃくちゃ昼だ。


 太陽は空の天辺あたりに来ていた。


 体を起こして、客室を見回す。豪華な調度品とフカフカなベッド、陽の光が十分に入ってくる大きな窓、そのどれもが贅沢に感じる。……なんというか、慣れない。つい先日まで一般庶民の生活をしていたのに、急に上流階級upper classの生活を送っているからだ。


 寝癖が少し付いた頭を気にしながら客室から出ると、たまたまフローレンスと扉の前で会った。当たり前だが、私とフローレンスは客室を別にしている。ちなみに完全な個室が用意されるのは一等客室と二等客室だけだったので、どうせならということで一等客室にした。(一等客室は結構な値段がした。見なかったことにした)


「おはようございます。随分遅くまで休んでたんですね。……もしかして体調が悪かったり?」

 フローレンスは心配した目でこちらを見てくる。

「ああ、おはよう。いや、荷物や書類の整理をしていたらだいぶ遅くに寝てしまってね」

「言って下されば手伝いましたよ?」

「ありがとう、じゃあ今度からお願いするよ」


 昼食を摂るには遅い時間帯だったので、軽食を摂ろうとラウンジに行くことにした。

「……慣れない」

 ラウンジは大理石が惜しげもなく使われ、豪華絢爛を体現したようなシャンデリア、フカフカのソファ、ピアニストによる生演奏などなど、相当金をかけて作られていることが分かる。こういう場に来ることは何度かあったが、やはり慣れない。


「コーヒーとパンを頂けますか?」

「畏まりました」

 近くのラウンジのスタッフに声をかける。恭しく対応されると、なんだかムズムズする。今日発行された洋上新聞を手に取り、頼んだものを待つ。洋上新聞というのは、モールス信号で受け取ったニュースを船内でも見られるように独自に編集したものらしい。フローレンスから聞いた。

「合衆国大統領選……」

 洋上新聞の一面には、二人の人物の顔が載っている。片方は現職大統領のハーバード氏、もう片方は対抗馬として最有力のフランクリン氏。今度開催される大統領選はこの二人の一騎打ちになると予想されているらしい。


 争点は「禁酒法」となっているようだ。禁酒法といえば世紀の悪法と呼ばれるほどの法律だ。あらゆる酒類の製造販売を禁止する法律……なぜそのようなものが作られたのは知らないが、禁止されるのは目に見えている。フローレンスなら、なぜ禁酒法ができたのか知っているだろうか。


「お客様、キリマンジャロコーヒーとヌスシュネッケンでございます」

 トレーにコーヒーと皿に乗ったパンが運ばれてくる。


 聞いたことのないパンが出てきた。少し緊張しながら一口食べてみる。……うまい。サクサクとした歯ごたえであり、バターとシナモンのよい香りがする。見た目に反して少しビターだが、そこがよい。


「お楽しみですか?」


「うおっ!?」

 いきなり背後から声をかけられて、思わずビクッとした。背後には、白いあごひげを蓄えた初老の男性がいた。スーツの着こなし具合から相当な上流階級層の人間であると分かる。

「驚かせてしまったようで申し訳ありません。わたくし、こういう者でございます」

 名刺を差し出される。

 ……ウェール・ヤイヅ、ウェール海上交通社長。そういえばこの船「クイーン・メイリー号」はウェール海上交通が所有していたな…なんか聞いたことある社名だなと思ったが、たしかウェール海上交通は連合王国で一、二を争うほどの船舶管理会社だったような。その社長さんか……


「……え?」

「わたくし共の船旅をお楽しみ頂けているようで何よりでございます」

「……なぜ貴方のような方が私に?」

「貴殿の噂はかねがね伺っております。……つい興味本位で声をかけさせていただきました。ニューコメン教授殿」

「今は教授じゃないですよ」

「そうなのですか?」

「ええ……少しいろいろありまして」

 説明するには長い時間を要する事情があるのだ。

 ウェールは少し驚いた顔を見せるものの、すぐに平常の顔に戻る。

「……なるほど、事情があるようでございますね。……安心して下さい。貴方のことは誰にも申し上げませんよ。商売は信用第一なのでね」

「そうしていただくと助かります」




「なんだこの船は!? 洋上新聞の一つも置いてないのか!!」

 しばらくウェールと雑談をしていると、怒鳴る声が聞こえた。

「あれは……」

「いかがされましたか? エビル殿?」

 名前を呼ばれた本人はビクッと一瞬方を震わせ、振り向く、そして顔を確認した後、再び激昂する。恰幅のよい体型で、脂汗をかいている。


「ウェール殿! 貴殿の船はどうなっているのですか!? 海洋上での情報を知る要となる洋上新聞が一冊も置いていないとは!」


「……これは失礼しました。どうやら他のお客様が読まれているようです。どうかここは一度、私の顔に免じて場を収めていただきたい。……王国紳士としての振る舞いを頼みますぞ」


「! ……それもそうだな。……しかし、こんなサービスが徹底されない船など私は絶対に認めないからな!」

 そう言って、エビルは逃げるように走り去っていった。


 エビル……エビル交通会社の社長だろうか。たしかエビル交通会社は、上流階級向けのサービスで船舶管理会社として大きく事業拡大したものの、あらゆる面でウェール海上交通の下位互換と呼ばれていて、頭打ちになっていると聞く。


「……なにもないと良いのだが」

 一抹の不安を感じながら、私は窓に映る水平線を見つめた。




 不思議と、その後の二日間は特に何も起こることはなかった。私は順調に船内での贅沢な暮らしに適応しつつあった。……人間の怖いところはものの数日で環境に適応してしまうところだと思う。朝はモーニングサービスで朝食をとり、午前は散歩や読書、昼食後はフローレンスとカードゲームやビリヤードに興じて、豪華なディナーを堪能した後はバーで一杯……合衆国に着いてからの生活が不安になってくるほどだ。




 しかし四日目——合衆国到着まであと一日という時に事件が起きた。

「私の銀が盗まれた!」

 大声で騒ぎ立てるのは、恰幅の良い体型に脂汗を浮かべている、エビル交通会社社長のエビルだ。先日も何かと騒いでいた人物だ。

「本当ですか?」

 添乗員がエビルに尋ねる。

「本当だとも!それとも何かね?この私を疑うのかね?」

 誰もそこまで言っていない。

 エビルは大きくため息をした後、悲しそうに呟く。

「……まあいい、無くなってしまったものはしょうがない」

 クルッと、こちらの方に向き直り、下卑た笑みを浮かべる

「……しかし、こうなったのは杜撰な管理をしていたウェール海上交通に責任があるのでは? これは相当な責任問題となりますぞ!」

 大切な銀が無くなって悲しいはずなのに、やけに嬉しそうな声だ。

「私お抱えの記者がちょうど乗船していましてね、もし合衆国に到着する前に私の金が見つからなかったら、このことを記事にさせて、そして訴訟もさせてもらいます!」


「教授」

 小声で、フローレンスが私を呼びかける。目が合って、確信する。

「君もか」


 どう考えてもあの社長エビルが犯人だ。ただし、証拠はない。


「どうします?」

「……目立たないように、この事件を解決したい」

 私は別に会社の小競り合いに興味があるわけではない。しかし、明らかな不正があるのなら話は別だ。こういったことがまかり通るのは、いち個人としては容認しがたい。

  エビルが一通り騒いでから少し時間が経ち、殆ど野次馬はいなくなっていた。

 添乗員とウェール社長が現場検証をするというので、どさくさに紛れてエビルの客室に入っていく。客室に入って最初に迎えるのは、開けっ放しにされている金庫だ。中には何もない。

「エビル社長でしたか、他に盗まれたものはありますか?」

 私はエビルに質問してみることにした。「疑わしきは罰せず」が罪刑法定主義だが、私は「疑わしきは徹底的に調べてシロかクロか決める」主義だ。


「誰だ?……まあいい、他に盗まれた物ないはずだ。私は客室の金庫に銀の延べ棒しか入れてない。ほかの貴重品は部下に指示して持ち歩かせていたからな」


「なるほど、では最後に金庫に銀が入っていたのを見たのはいつですか?」

「昨日の夜だな。私は防犯に抜かりがないから、毎日寝る前に銀の延べ棒が金庫に入っているか確認していたのだ」

「そ、そうですか……」

 防犯に抜かりがないなら盗まれないんだよな……


「では、銀の延べ棒が金庫に入っていることを知っていたのは誰ですか?」


「私と、この私のバトラーだったはずだ。私はそこの彼に銀の延べ棒を入れておくように指示をした。……もしかして彼なんじゃないか?」

 指さされたバトラーは、慌てだす。

「そんな!私が盗むわけがないじゃないですか!」

「どうだかな、それにこの船には労働者階級working classの人間も乗せていると訊く。彼らがやったんじゃないか? いや、もしかしたら君たちが彼らに情報を流したとか?」

 無理矢理にでもウェール海上交通のせいにしたいようだ。

「今その決断をするのには、証拠が不足しています。ちなみにこの客室にはだれか入ることはありましたか?」

「私は誰も入れておらんぞ……私はな」

 添乗員の面々を見る

「清掃員が清掃で何度か入った程度ですが、複数人で清掃をするのが基本なので、銀の延べ棒を持ち出すのは難しいかと」

 なるほど、実に合理的な考えだ。

「いや、わからないぞ!そいつらが全員裏グルだった可能性だってある!」

「落ち着いて下さい、ちなみに他の貴重品はどこにあるんですか?」

「これだよ」

 エビルは部下に持たせていたというトランクを開け、その中身を見せる。指輪やネックレスなどの、宝石を使った装飾品、絵画や陶器、金の延べ棒、そして一本だけ銀の延べ棒が入っていた。

 ……なんだこの節税満点セットは?

「これが、盗まれた銀の延べ棒と同じものですか」

 一本だけの銀を指差す。金の延べ棒とほぼ同じ大きさだ。

「そうだ。……どうやら一本だけこちらに紛れていたようだな」

 一瞬、エビルは目をそらした。もしかしたら、このトランクに何かあるのかもしれない。


 不審?


 まさか……!再びそのトランクの中身を見てみる。


 その中身を見て、私は気づいた。


 エビルは


「あっ」

「うわっ」

 私と、添乗員が同時に声を上げる。海運に詳しい添乗員も気づいたようだ。

「え?なんですか?」

 フローレンスが首をかしげる。

「いや、なんでもない。……そうですね?」

 少し言葉を強くして、添乗員に何も言わせないようにする。下手したらこの盗難事件が解決できなくなるからだ。

「……ええ」

 添乗員は何も言わなかった。やはりウェール海上交通の社員は優秀だ。



「ちなみに、この銀の延べ棒、少し手に触ってもいいですか?」

「ふん、好きにしろ」

 手袋をつけ、銀の延べ棒を持ち上げる。

 重さはだいたい一ポンド(およそ五〇〇グラム)に感じる。手のひらに収まるサイでこの重さ、なるほど……もしかしたらかもしれない。 

「他のものも見ていいですか?」

「ああ、好きにしろ」

 ニヤっと下卑た笑みを浮かべるエビル。相当な自信があるようだ。

 他の荷物も手に取ってみる。私はトランクの中の【あるもの】を持った瞬間、


 この事件を理解した。


「大体のことはわかりました。ありがとうございます。よし、行こう」

「え? 教授?」


 私とフローレンスはその場を後にした。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?