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34.今日は最高に良い日だ


 リズベットたちがアールリオンの屋敷に到着する、少し前のこと。


 グレイはアールリオン公爵の私室にて、彼と二人きりで話をしていた。


 公爵は額に脂汗を滲ませながら、苦しそうに床にうずくまっている。グレイもグレイで、壁にもたれかかって座り、荒い息を吐いていた。


「それ抜いたら、早く楽になれるぜ」


 グレイはそう言って、公爵の腹に刺したナイフを指さす。両足の腱を切断してあるので、公爵がこの場から逃げることは出来ない。屋敷には火も付けたので、私兵の増援が来てもすぐには入って来れないだろう。


「我慢比べといこう、公爵。俺もこの体じゃ、そう長くは保たない」


 夜は刺客との戦闘。昼は、次にいつどこでどんな刺客が攻めてくるかの情報収集。

 そんな日々が何ヶ月も続き、ろくに眠れていない。疲労は限界を越え、体はとっくに悲鳴を上げていた。


 だが、この体は今日まで保ってくれた。それで十分だ。


「先に死神が迎えに来るのはどっちだろうな。ま、俺が先に死にそうになったら、最期にそのナイフを抜いてお前を殺すんだけどな」


 グレイがカラリと笑うと、公爵が憎しみのこもった瞳で鋭く睨みつけてくる。 


「忌々しい、エインズリーの黒犬が……! 直に、騒ぎを聞きつけた他の私兵たちが駆けつける。死ぬのはお前だけだ! う、ぐ……」


 叫んだのが腹に響いたのか、公爵は顔を歪ませた。


 この屋敷は大量の私兵に守られていた。いつかこうなる日が来るのではと恐れて、守りを固めていたようだ。私兵はなかなかに鍛えられていたので、全て倒すのはかなり骨が折れた。


 それに加えてまだ私兵を抱えているとは、大聖女の恩恵とはそれほど大きいものなのだろう。


 大聖女――。


 先ほど会った金色の瞳の少女を思い出し、グレイはわずかに顔を顰めた。


 エインズリー侯爵家殺害に関わっているのはアールリオン公爵のみで、他の人間は何も知らない。

 だから、公爵以外のアールリオン家の人間や使用人は殺さなかった。 


 しかし、たった一人、マイア・アールリオンを見つけた時だけは、煮えたぎるほどの憎悪が湧き上がり、殺したい強い衝動に駆られた。


 この日、公爵はわざとマイアを王城から屋敷に連れ戻していたのだろう。毒魔法で襲撃を仕掛けるなら、治療できる者が王城にいないほうが標的の致死率が上がる。今回の標的は、レオナルドとリズベットの両方だった。


 そんな公爵の策略のせいで、グレイはマイアに会ってしまった。


 気づけばナイフを首元に突きつけていた。


 手入れの行き届いたストロベリーブロンドの髪。何の苦労も知らないような傷一つない手。


 金色の目で大聖女になったが故に、彼女なりにつらいこともあったのかもしれないが、そんな事はどうでもいい。本来大聖女の座は、彼女のものではないのだから。そのつらさも所詮、幻だ。


 エインズリー家が殺される原因となった女。


 リズベットが享受するはずだったものを全て奪った女。


 それなのに図々しくも、リズベットの友人になった女。


 何も知らず、自分が大聖女であることを疑いもせず、ただその地位にしがみ続けた女。


 ああ、無知とは、それだけで罪深い。


 憎い。


 憎い、憎い、憎い、憎い、憎い――。


 だがこの女は、もうリズベットの友人だ。マイアが死んだら、きっとあいつは泣くだろう。


 だから、殺意を心の奥底に押し込んで、押し込んで、押し込んで。見逃した。


 この選択に、悔いはない。リズベットには、ただ笑っていて欲しかった。


 グレイは再び湧いた殺意とともにフッと息を吐くと、天井を見上げた。


「どうせ死ぬまで暇だ。少し話そうや、公爵」

「お前のような薄汚い犬と話すことなど何も無い」

「まあ、そう言うなよ。どうせ俺たち、もうすぐ死ぬんだ」

「…………」


 公爵の瞳には、わずかに怯えの色が滲んでいた。逃げられないこの状況。腹にはナイフ。流石の公爵も、自分に死が近づいていると理解したのかもしれない。


「なあ。なんでエインズリー家を襲った?」

「我が一族から大聖女を輩出するためだ。そんな事、お前はとうにわかっていたのではないのか?」

「じゃあ、なんでそんなに大聖女の輩出にこだわってたんだ? やっぱり地位と金か?」


 グレイの問いに、公爵はどこか遠くに視線を向けた。人生の最期に、己の過去を振り返っているようだ。


「……初めはそうだったのかもな。しかし今は、名声だ。大聖女を世に送り出し、この国にアールリオンありと知らしめること。それが、アールリオン家の当主に代々与えられた役割だった」


 そんなことのために。


 そんなことのために、エインズリー侯爵家の人々は殺され、リズベットは身を隠し怯えて生きなければならなかったのか。


 バカバカしすぎて、かえって笑いが込み上げてくる。


「クッ、ハハッ! なんだよそれ。想像以上のくだらなさだ。怒り通り越して呆れたわ。それで大聖女候補の子どもを殺すかね、普通」

「お前にはわからんだろうよ。家名の重さというやつは」

「ハッ。わかりたくもねえよ」


 グレイは鼻で笑うと、公爵に思いっきり嘲笑を浴びせてやった。


「リズベッドを殺しきれなくて残念だったな。お前が送ってきた刺客が雑魚ばっかりで助かったよ」

「お前さえいなければと、何度思ったことか。本当に……忌々しい」


 公爵はそう吐き捨てると、静かにこちらを睨みつけていた。


 グレイは変わらず嘲笑を浮かべたまま、勝ち誇ったように言う。


「今日でお前が大事に大事に守ってきたアールリオンも終わりだ。近い内に真実が明るみに出る。そしたら今まで築き上げてきた名声も地に落ちるな。いい気味だ」

「……もう黙れ」


 公爵の声は怒りに満ちていた。


 ああ、気分がいい。今日は最高に良い日だ。


 やっと、仇を討てる。

 やっと、リズベットを不安な日々から解放してやれる。


「そうするわ。ま、せいぜい、長く苦しんで死ね」


 目を閉じると、今までのことが走馬灯のように蘇ってくる。


 グレイは最期までの時、自らの過去を思い出していた。


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