グレイは殺し屋の一族に生まれた。
朝から晩まで、殺しの訓練の繰り返し。訓練は実践形式で行われるため、毎日のように歳の近い子供らと殺し合った。
訓練で死んだら終わり。強い者だけが生き残る。相手が誰だろうが、自分が生き残るために構わず殺してきた。
殺して、殺して、殺して、殺した。
当たり前だが、黒目は自分だけだった。強力な魔力を持つ奴らから馬鹿にされ、標的にされた。だから、そんな奴らに殺されないように、誰よりも強く、誰よりも速くなった。
そして気づけば、一族の子どもの中で一番強くなっていた。
しかし、いい加減そんな暮らしに嫌気が差し、グレイは里を抜け出した。今の実力なら、逃げ切れると判断したからだ。
追手の大人たちをことごとく退け、何とか街までたどり着いた。でも、そこで気づいた。自分は里を抜け出したかっただけで、特にやりたいことなどなかったのだと。
それに気づいた途端、自分の人生がどこまでも虚無なものに思えた。
ただただ無気力に街を歩き続け、そして、行き倒れた。そんな時。
冷たい雨が降りしきる中、大通りの脇で死が訪れるのを待っていると、若い夫婦が心配そうに声をかけてきた。
「あらあら大変! 大丈夫? どこから来たの?」
「怪我をしているじゃないか! 良かったら治るまで、うちに来ないかい?」
新手の詐欺かと思った。だが、こんな薄汚れた子供を騙して何になる。
返事をするのも億劫で無視していると、夫の方が無理やりグレイを背負い、半ば強制的に家に連れて行かれた。
夫婦は家に帰ると、お抱えの医者にグレイの傷を治療させた。そして、グレイを温かな風呂に入れ、清潔な衣服を与え、頬が落ちそうになるほど美味しい料理をこれでもかというほど与えた。
彼らは、黒い瞳を恐れなかった。忌避しなかった。
今まで人殺しとしか関わってこなかったグレイにとって、これほどまでに善良な人間がいるなんて、とてもじゃないが信じられなかった。本当に神様がいるとしたら、こんな人達がいいなと思った。
「君さえ良ければ、うちの使用人にならないか?」
怪我が治った頃、そう言われた。そして、もうすぐ子供が生まれるから、ぜひ遊び相手になってやってくれ、と。
どうやらこの家は、エインズリー侯爵家という名の知れた名家らしい。子供をひとり抱えるくらい、どうってことないようだ。
とはいえ、こんな得体の知れない子供を使用人にするなんてどうかしている。そう思ったが、ノブレス・オブリージュの精神で、行き倒れていた子供を放ってはおけなかったのだろう。本当に、善良を絵に描いたような人たちだった。
グレイは他にやることも行くところもなかったので、ひとまず了承の意を返しておいた。すると、エインズリー夫妻は、
「家族が増えたみたいで嬉しいわ」
「これからよろしくな、グレイ」
そう言って、笑っていた。
その後、程なくして夫妻の間に女児が生まれた。当時のことは、今でもはっきりと覚えている。それほどに鮮烈だった。
アメジストのように美しく輝く、薄紫の瞳。珍しい空色の髪。玉のように滑らかな肌。
まさに天使だと思った。
「グレイ。リズベットよ。よかったら抱っこしてあげてちょうだい」
「俺は……いいよ」
こんな綺麗なもの、汚せない。
自分の手は、血にまみれている。
そんな汚れた手で、触れていい存在ではない。
「グレイ。今日から君はお兄ちゃんになるんだ。グレイは剣の腕が立つから、何かあったらリズベットのことを守ってやってくれ」
「お兄ちゃん……?」
「ああ、そうだ」
「お兄ちゃん……」
不思議な響きだった。心の中が、ほわほわと温かくなる感覚。
リズベットと目が合うと、彼女はニコっと笑った。
「おや。リズベットも、グレイのことがお兄ちゃんだってわかったみたいだな。どうだ、グレイ。抱っこできるか?」
「グレイ、大丈夫よ。怖がらないで」
二人に促され、恐る恐る、腕に抱いた。その時の重みは、一度も忘れたことがない。
弱々しく、いつ死んでもおかしくない、儚い存在。だが、たくましく生きようとしている。
なんて、美しい、命。
今までの人生で一度も涙なんて流したことがなかったのに、不意に熱いものが込み上げて来て止まらなかった。
「あらあら、どうしたの。どこか痛いの?」
「わかるぞグレイ! 感動するよなあ! 俺も初めて抱いた時、号泣したよ!」
止めたくても止まらない涙に困惑しながら、グレイはリズベットを抱きしめた。その時、絶対にこの命を守ろうと誓った。自分に、生きる理由ができた瞬間だった。
そしてそれ以来、グレイは不必要な殺しはしなくなった。誰かを殺すのは、自分の大切なものを守るときだけだと、心に決めたのだ。
リズベットの瞳とその存在は、夫妻によってすぐに隠された。大聖女になり得る力を持つと知られると、命を狙われる可能性があるからだと、夫妻は言っていた。
そして、リズベットの魔力を封じたブレスレットを渡された。必要になった時に、リズベットに渡せと言われて。
もうあの紫が見られないと思うと少し残念だったが、同時に自分がリズベットを守らなければと気が引き締まった。
そしてその後は何事もなく時間が過ぎていき、夫妻はさらに二人の子宝に恵まれた。
また、守るべき命が増えた。責任感と使命感が伴う、穏やかで幸せな日々だった。
しかし、十三年前のあの日、屋敷は阿鼻叫喚に包まれ、全てが崩れ去った。
グレイが刺客を始末しながら夫妻の元に駆けつけた時には、二人は既に傷を負っていた。そしてその腕の中には、リズベットと、息絶えた弟と妹が。
(遅かった……!)
激しい後悔が襲いかかるも、すぐに頭を切り替える。そうしなければ、今ある命も救えなくなる。
「俺が時間を稼ぐから、その間に逃げて!」
「グレイ。もうこの傷では逃げられない。だからせめて、リズベットだけでも逃がしてやってくれ。俺の友人にナイトレイ子爵という男がいる。彼を頼りなさい」
「でも!」
「グレイ、お願いよ。どうか、どうかリズベットを守ってあげて。恐らくアールリオンという家が、リズベットを狙い続けるわ」
「でも……!」
だったらあなた達は?
恩人を、ここで死なせろと言うのか?
ためらうグレイを、夫妻は抱きしめた。
「グレイ。短い間だったけれど、あなたと過ごせて、本当に幸せだったわ。巻き込んでしまってごめんなさい」
「グレイ。この家に来てくれてありがとう。俺も、本当に幸せだった。そして……重荷を背負わせて、本当にすまない」
その時、ガチャガチャと扉の鍵をこじ開けようとする音がした。夫妻は慌ててグレイを離すと、リズベットとともに窓際に連れて行く。
「「リズベット、グレイ」」
夫妻はグレイにリズベットを抱えさせ、二人まとめてぎゅっと抱きしめた。
「「愛してる」」
そして夫妻は窓を開けると、そこから二人を放り投げた。
笑顔で見送った夫妻の背後に刺客の姿がちらりと見えた時、グレイは屋敷の庭の木に着地した。リズベットを抱えたまま、ガサガサと音を立てて地面に落下する。
木が落下の衝撃を和らげてくれたおかげで、幸い自分にもリズベットにも怪我はない。
グレイは急いでリズベットを背負うと、一目散に屋敷から逃げた。刺客が屋敷の中に集中していたのもあり、うまく追手を撒くことができた。
(クソ……クソ……クソ、クソ、クソ!!)
背中で眠ってしまったリズベットを背負いながら、ひたすらに歩いた。
(なんで、救えなかった! なんで、なんで、なんで!!)
一時も休まず、ナイトレイ子爵家を目指して、夜通し歩いた。
(俺の力は、何のために……!)
「グレイ、泣いてるの?」
いつの間に起きたのか、不意に後ろから声が聞こえた。
「泣かないで、グレイ。グレイは悪くない。悪いのは私なの。みんな私を狙ってた。そのせいで、お父さまも、お母さまも、みんな、死んじゃった」
「お前の……せいなんかじゃない……俺が、守れなかったから……俺が……」
涙で目の前が滲んで鬱陶しい。乱雑に拭おうとした時、リズベットが後ろから優しく袖で拭いてくれた。そして、ぎゅっと首にしがみついてくる。
「グレイは、死なないで。絶対、死なないで。ずっと、リズの家族でいて。お願い。お願い、お兄ちゃん」