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37.この世で一番綺麗だ


 気づけば、屋敷を包んでいた炎が鎮火している。


 これは恐らくレオナルドの仕業だ。こんな魔法が使えるのは、この国であいつくらいしかいない。全く、本当に滅茶苦茶な男だ。


 アールリオン家襲撃の報告を受けて駆けつけたのだろうが、思ったより早かった。さっさと公爵を殺さないと、後々面倒くさそうだ。


 しかし、全身ずぶ濡れで体が重く、思うように動けなかった。あと少しなのに、体が全く言うことを聞かない。


(ああ、クソ……あとちょっとくらい動けよ)


 一度呼吸を整えようと壁にもたれかかると、廊下からバタバタと足音が聞こえてきた。それも二人分。


 そのうちの一つは、良く聞き慣れた足音だった。そして、予想通りの人物が部屋に飛び込んでくる。


「グレイ!!」

「リズ……」


 その瞳は、心が震えるほど美しく、紫に輝いていた。


 リズベットは一目散にこちらに駆け寄ると、すぐさま治癒魔法をかけてくれた。みるみるうちに体が軽くなっていき、これが彼女本来の力かと驚く。


 さっと治療し終えたリズベットは、大粒の涙をボロボロとこぼしながら叫んだ。


「嘘つき! いなくならないって言ったじゃない!!」


 彼女がぽかぽかと胸を叩いてくる。その痛みすら、愛おしい。


 思わず両手で彼女の頬を包み、紫の瞳を覗き込む。


 その瞳から溢れる涙でさえ美しい。


 ああ、やはりお前は、美しい。


「……やっと……やっと、見られた。やっぱりお前の瞳は、この世で一番綺麗だ」


 本当はリズベットに釈明の一つでもするべきところだったのだろうが、十八年ぶりにその瞳を見て、感嘆以外の言葉が出てこなかった。


 リズベットはこちらの予想通り、激しく怒り狂った。


「どうして何も言ってくれなかったの!? どうして勝手に消えたりしたの!? 死なないって、いなくならないって言ったじゃない! 許さない! 絶対許さない!」


 大泣きしながら叫ぶリズベットを、グレイは思いっきり抱きしめた。


 彼女の一言ひとことが胸に響く。悲しませて申し訳ないと思いつつ、こんなにも自分のことで怒ってくれることが嬉しかった。なんとも歪んだ感情だ。


「ごめん。ごめん、リズ。ごめんな」

「絶対許さない……許さないんだから……」


 胸の中で泣きじゃくる彼女の頭を、背中を、ひたすら優しく撫でた。まるで子供の頃に戻ったみたいだ。昔はよくこうして、彼女を慰めていた。


 そんな感傷に浸っていると、外から大勢の足音が聞こえてくる。アールリオン家の私兵たちだろう。足音からして、その数は優に百を越えている。


 それにすぐさま反応したのはレオナルドだ。彼は忌々しそうに窓から外を見遣ると、チッと激しく舌打ちをした。


「家族の再会を邪魔するとは、随分と無粋なことをする」


 グレイはリズベットの涙を拭い彼女を立ち上がらせてから、自分も窓の外を見た。


 かなりの人数が庭に集まって来ている。回復した今ならこれくらいどうってことないが、リズベットがここにいるのが少し懸念だ。


「王子殿下。リズのそばを離れるなとは言ったが、わざわざこんなところに連れてくんなよ……」


 文句を垂れると、レオナルドは呆れ顔で睨みつけてくる。


「馬鹿が馬鹿なことをするからだ、馬鹿。お前が死んで全てが解決しても、リズが喜ぶはずないだろう、馬鹿者」

「ハハ……耳が痛いな」


 グレイは苦笑しながら窓を開け、窓枠に手をかける。数は多いが、十分もあれば始末できるだろう。


「俺が片付けてくるから、リズのこと守っておいてくれ」


 そう言って窓から外に飛び降りようとした時、レオナルドがそれを止めた。


「その必要はない」


 彼は窓からスッと腕を出すと、パチンと指を鳴らした。すると、庭にいた私兵たちが一斉に叫びだす。グレイはその光景に目を疑った。


「おいおい、まじかよ……」


 私兵たちは全員がその場で氷漬けにされていた。呼吸はできるように頭だけは凍っていないが、それ故に皆、断末魔のような悲鳴を上げている。


 レオナルドは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「フン。しばらく固まっておけばいい」

「ハハッ。やっぱ半端ねえな、あんた」


 すると不意に、リズベットが二人の袖をぐいっと引っ張った。


「グレイ、レオ様! 公爵が!!」


 グレイが公爵に視線を向けると、彼はいよいよ意識が朦朧としかけていた。


「リズ、こいつはここで殺す。それでお前が命を狙われることもなくなる」

「馬鹿者。死人の口をどうやって割れと言うんだ。こいつには聞かなければならないことが山ほどある」


 案の定レオナルドに止められ、グレイは不満げな表情で舌打ちをする。やはりこの二人が来る前に殺しておくべきだった。


 心の内で後悔していると、レオナルドは目を眇めてニヤリと口角を上げる。


「安心しろ。こいつはこのまま連行して取り調べ行きだ。それにここで生かしておいたほうが、こいつは残りの人生を長く苦しむことになる。そう簡単に死なせてやるものか」


 レオナルドは思ったより執念深い男らしい。あっさり殺そうとした自分より余程恐ろしい奴だ。


「リズ、治療を頼めるか?」

「わかりました」


 リズベットは頷くと、片手を公爵の腹の傷にかざし、もう片方の手でひと思いにナイフを引き抜いた。


 公爵は「ぐあぁ!」と喚いたが、リズベットが瞬時に傷を治したので、すぐに落ち着きを取り戻す。レオナルドは治療を終えたリズベットを、サッと自分の背の後ろに隠した。


 公爵は体を起こしながら、恨めしそうにレオナルドを睨みつける。


「殿下……どうなさるおつもりですか。私を裁く確かな証拠がなければ、そこの黒犬は死罪を免れませんぞ……」

「残念だったな。ミケルの証言が取れた。今晩にでもアールリオン製薬の強制立ち入り捜査を行う。徹底的に調べ上げるから覚悟しておけ」


 二人の会話でグレイはあることを思い出し、ポケットから小さな硬い箱を取り出す。


「王子殿下。良い物やる」


 レオナルドに放り投げると、彼は器用に片手でキャッチした後、その箱をまじまじと見つめた。


「これは、録音の魔道具か?」

「耐久性も高く、火でも燃えない優れモノ。俺が死んでも証拠が残ればと思って」


 レオナルドはそれだけの説明で気づいたのか、目を見開いた。


「まさか……!」

「ああ。そこに、公爵がエインズリー家を襲ったっていう証言が入ってる」


 グレイはニヤリと笑う。


 ほんの数分前、死ぬまで暇だからと公爵に話を持ちかけたのは、黒幕本人の証言を得るためだった。うまくいくかは正直五分五分ごぶごぶといったところだったが、公爵はまんまとこちらの思惑にまってくれたのだ。


 公爵は絶望に顔を歪めながらも、額に青筋を浮かべて怒鳴った。


「き、貴様ァ! 謀ったな!!」


 グレイは真顔に戻り、座り込む公爵の頭を上から思いっきり踏んづけた。そして、地を這うような声を出す。


「喚くなよ、公爵。地べたに頭こすりつけてリズに感謝しろ。お前が殺したかった相手に命を救われるとは、随分と皮肉なもんだなあ?」

「もう、グレイ! せっかく治療したのにまた怪我させないで!」

「あ、やべ」


 思いっきり踏みつけすぎて、公爵は気を失っていた。すぐにリズベットが治癒魔法を施したので、まあ大丈夫だろう。


「これを運ぶのは面倒だな。ちょうど部下たちが到着した。片付けは彼らに任せて先に帰るとしよう」


 レオナルドの視線の先には、近衛騎士団の者たちの姿があった。


 そういえばレオナルドとリズベット以外見当たらないなと思っていたが、先に二人だけ大急ぎでこの場に駆けつけたらしい。護衛も付けず、たった一人でこの事態を収めてしまうとは、流石英雄だ。


 レオナルドが窓から外に向かって「全員捕えておけ」と指示を出すと、騎士たちは皆、氷漬けにされたアールリオンの私兵たちに同情の眼差しを向けつつ、テキパキと作業を始めていた。


「グレイ、一緒に帰ろ?」


 リズベットが上目遣いでねだってくる。その瞳には強い不安が滲んでいた。また黙ってどこかに行ってしまうのではと心配になっているのだろう。


 しかし、彼女は大聖女になる身だ。黒目の自分がそばにいても、良いことは何ひとつもない。


「俺は目立つから、こっそりついてくわ」


 苦笑してそう言うと、リズベットはグレイの袖を掴み、不満げにじっと目を見つめてくる。こればかりは譲らないという顔だ。


(あー、かわい)


 結局、グレイが折れた。昔から、この可愛い妹のお願いには弱いのだ。


「わかったよ、一緒に帰ろう」

「うん!」


 満面の笑みを浮かべた彼女は、まさに天使のようだった。


 ああ、今日は本当に、最高に良い日だ。


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