アールリオン家での騒動の後、リズベットは王城の一室を与えられ、そこで過ごしている。
最上級の魔力を持つ紫の瞳の聖女であることが発覚した今、リズベットは厳重な警備体制で守られているのだ。
そのおかげで、グレイもしっかり休むことが出来ている。ここ数ヶ月ほぼ不眠不休だったようで、最初の数日は泥のように眠っていた。
グレイにも部屋が与えられており、彼はひとまず事が落ち着くまでそばにいてくれるようだ。慣れない王城でひとりきりは心細かったので、とてもありがたい。
グレイがアールリオン家を襲撃したことに関しては、彼にお咎めが及ばないようレオナルドがうまく取り計らってくれているらしい。国を騙し続けていた逆賊を討とうとした、と言えば、強く責める者もいないのだろう。
アールリオンの醜聞と、魔力暴走の真相、そして真の大聖女の存在が明らかとなり、王城は震撼した。
国王はエインズリー侯爵家惨殺事件と魔力暴走誘発事件の真相究明を命じ、現在はレオナルドが中心となって、アールリオンを裁くための準備を粛々と進めている。
一方のミケルは、兄を王太子の座に戻すよう国王に進言した。
アールリオンの罪が明るみに出れば、国民のレオナルドへの風当たりもきっと弱まるはずだ。元々国民の強い反発により渋々王太子を交代したこともあり、国王はミケルの進言をすんなりと受け入れた。
国王としても、できればより王の素質があるレオナルドに王座を継いで欲しかったらしい。
しかし、王太子交代はそれなりの手順を踏まなければならない。一日二日で何とかなる話ではないので、まずはアールリオンの裁判を優先することになった。
大聖女の件も同様で、現状、大聖女はマイアのままになっている。
マイアはアールリオン家の人間だ。当然、大聖女の称号を即刻マイアからリズベットに移すべきだ、という声も多く上がっていた。
しかし、大聖女が途中で交代することは歴史を見てもそうそうないことに加え、国民に真相を伝えれば少なからず動揺が広がるだろう。王城がごたついている今、それは得策ではないと判断された。
王太子の交代も大聖女の交代も、いずれ行うことは決定されたが、全てはアールリオンの膿を出し切ってから国民に説明する、という話でまとまったようだ。
こうして大聖女になることが決まったリズベットは、王城に来てからというもの、毎日みっちりと妃教育を受けていた。
この日も与えられた自室で必要な知識を頭に叩き込んでいると、グレイがソファにだらりと座りながら声をかけてくる。
「大変そうだな、リズ」
「医師試験の勉強に比べたら、これくらい別にどうってことないわ」
「ハハッ。流石は秀才」
妃教育といっても、礼節や語学、一般教養などは既に身についているので、求められているのは国政の現状と王妃の仕事の把握、そして国内外の要人の把握くらいだ。医師試験を最年少で通過したリズベットにとって、これくらい余裕だった。
グレイと時折雑談を交わしながらひたすら本を呼んでいると、彼が何かに気づいたように扉へ視線を向けた。
「ん? 人が来たな」
「あら。誰かしら」
レオナルドはアールリオンの一件もあり、朝から晩まで忙しく働いている。そのため、ここ一ヶ月ほどはたまに挨拶を交わすくらいで、まともに会えていない。
一瞬レオナルドではないかと期待したが、多忙な彼がこんな昼間に来ることはないだろうと、すぐに期待を胸に押し込める。
「女だ。足音の軽さと歩幅から、まだガキだな。お付きの護衛が二人と……これは王子殿下の側近のじいさんだな」
グレイは耳が良い。足音や衣擦れの音だけで、これだけの情報を即座に拾い上げるのだ。
彼の能力に関心しつつ、リズベットは来客に向け、書斎机からソファに移動する。グレイもひょいと立ち上がると、リズベットの後ろに控えた。
「リズベット様。エイデンでございます。少しよろしいでしょうか」
「どうぞ」
入室の許可を出すと、エイデンがスッと部屋に入ってきた。
王家の別邸にいた時は家令として働いていたが、彼は元々レオナルドの側近だ。レオナルドが王城に戻ると同時に、彼もレオナルドの側近に戻ったというわけである。
「どうされましたか?」
「それが……」
いつも端的に話すエイデンが珍しく言い淀んでいる。不思議に思っていると、彼が続きを話し出した。
「マイア様がリズベット様にお会いしたいと仰っておりますが、いかがなさいますか? レオナルド様からは、『面会の許可は出したが、断ってくれて一向に構わない』と言伝をいただいております」
予想外の来客に、リズベットは目を見開いた。グレイから「女の子が来た」と聞いた時は一体誰だろうと思ったが、まさかマイアとは。
後ろからピリピリとした殺気を感じて振り返ると、グレイが無表情のまま佇んでいた。
しかし、長年彼を見てきたからわかる。その瞳には、煮えたぎる怒りが確かに宿っていた。
マイアは言わば、エインズリー家が殺された元凶だ。グレイが彼女を恨むのも無理はない。
「グレイ。もしつらいなら外にいて」
リズベットの言葉に意表を突かれたのか、グレイは一瞬目を丸くした。しかしすぐに苦笑する。
「気ぃ遣いすぎ。俺はここにいるよ」
「少し我慢させてしまうかもしれないわ」
「大丈夫だって。お前の好きにしな」
「……わかったわ。ありがとう、グレイ」
リズベットはグレイの優しさに感謝しつつ、エイデンに返事をした。
「大丈夫です。通してください」
「承知いたしました」
エイデンが部屋の外で待っていたマイアを連れてきた。その表情は暗く、以前会った時より随分とやつれている。
そして、グレイが「お付きの護衛が二人いる」と言っていたのは護衛ではなく、マイアの監視役の騎士だった。リズベットに会うに当たって、万が一のことがないようマイアのことを見張っているのだろう。
(こんなに仰々しく見張られていたら、マイア様も自分の本心が言えないわよね……)
そう思い、部屋を去ろうとするエイデンを呼び止めた。
「エイデンさん。騎士の方々には席を外していただきたいのですが、よろしいでしょうか」
騎士に直接お願いすることも考えたが、彼らも上官から命令されている立場なので勝手に持ち場を離れることは出来ないだろう。エイデンの許可があれば、きっと彼らも聞き入れてくれるはずだ。
「しかし……」
「グレイがいるので大丈夫です」
渋るエイデンに笑いかけると、彼はグレイに「お願いします」と頭を下げてから、騎士二人を連れ部屋を出ていった。
三人になったところで、リズベットは入口付近に立っているマイアに微笑みかける。
「マイア様。お久しぶりです。またお会いできて嬉しいです」