レオナルドはグレイを連れ、手近な空き部屋に入った。長話をするつもりもないので、お互い座らず立ったままだ。
グレイが扉近くの壁にもたれかかりながら、不機嫌そうに言う。
「なんだよ、話って」
この男は相手が王族であろうが全く取り繕わない。その態度が、なおさら信用できる。
レオナルドは彼に向き直ると、単刀直入に聞いた。
「お前、リズのことが好きだろう」
「……は?」
グレイは唖然とした様子でポカンと口を開けていた。しかし、レオナルドの真剣な表情にこれが冗談ではないとわかったのか、思いっきり眉を顰める。
「あんた、そんなこと話すために呼んだの? 何、暇なの?」
「まだ暇ではない。で、どうなんだ?」
黒の瞳をしっかりと捉えて、もう一度問うた。
グレイもグレイで、こちらの真意を伺うようにじっと見返してきたが、やがて諦めたように大きく溜息をついた。
「愛してるよ。心から。もうかれこれ十年以上の片思いだ。何? そんなこと聞くってことは、譲ってくれんの?」
「悪いが、それは無理だ」
「ハッ。心配しなくても、あいつとどうこうなりたいと思ったことなんて一度もねえよ」
即答したレオナルドに、グレイは軽く笑っていた。彼の表情はどこか吹っ切れている。今の言葉は嘘ではないのだろう。
彼の本心が聞けたので、レオナルドは本題に入ることにした。
「グレイ・ギルフォード。リズの護衛騎士になるつもりはないか?」
突然の提案に、グレイは再び唖然としていた。そして嘲笑を浮かべると、茶化すように言う。
「あんた、それ本気で言ってんの? だとしたら性格悪いな。あんたらがイチャついてるの、近くで見てろって?」
「お前、アールリオンの件が落ち着いたら、黙ってリズの元を去るつもりだろう」
グレイの表情が固まった。どうやら図星のようだ。
どうせこの男のことだ。行き先も告げずに人知れず去るつもりだったのだろう。
大方、大聖女のそばに黒目の人間がいれば迷惑がかかるとでも思っているのだろうが、この男は本当に何もわかっていない。急にいなくなれば、リズベットがまた悲しむに決まっている。
彼女はグレイを自由にしてやりたいと言っていたが、勝手に消えたり二度と会えなくなるのは話が別だ。
「……置き手紙くらいは残していくつもりだ」
思惑を見抜かれたのが気に食わなかったのか、グレイはムスッと顔を顰めていた。
(やはり別れの挨拶もなしに去ろうとしていたのか)
あれだけリズベットを泣かせておきながら、懲りない男だ。レオナルドはやれやれというように溜息をつく。
「去ろうとしている原因が瞳の色なら、そんなこと気にせず堂々と彼女のそばにいろ。彼女を想いながらそばにいるのがつらいと言うのなら、別に去るのを止めたりしないが、せめて行き先くらいは伝えろよ」
レオナルドの苦言に、グレイはフッと表情を和らげた。
「お気遣いどうも。でもな、王子殿下。大聖女の近くに黒目がいようもんなら、あいつも絶対に悪く言われる。だから俺はあいつから離れた方がいいんだ。別れの悲しみは一瞬だが、俺がそばにいれば、あいつはずっと悲しみ続けることになる」
グレイの目には、諦観のようなものが浮かんでいた。
これまで瞳の色で多くの差別を受けてきたのだろう。だからこそ、彼はこれまで影に潜んできた。そして近く、リズベットのことを思い彼女のそばを離れようとしている。
しかし、この男が彼女のそばにいたいと願うなら、そうするべきだ。そうあるべきだ。
その願いを叶えるのが己の役割であり、人の上に立つ人間だからこそ、できることだ。
「馬鹿だな、お前は。仮にリズが悪く言われたとして、俺がそれを許すと思うか? 叩き潰すに決まっているから安心しろ。もちろん、お前を悪く言うやつがいても同様だ」
「ハハ……たまにあんたのことが本気で怖くなるよ」
「俺は、お前以上に強い奴を他に知らない。だから俺としては、お前にリズの護衛騎士になって欲しいと本気で思っている」
じっと視線を逸らさず、黒い瞳を捉え続ける。
この男のことはそれほど多くは知らないが、彼がリズベットを心から大切にしていることは良くわかる。十三年間にも及ぶ長い間、刺客を退け続けるなど、並々ならぬ想いがなければ出来ないことだからだ。
そんな男が彼女の護衛をしてくれるなら、これほど心強いことはない。
「ハァ。強欲な奴だな。全く」
「無理強いはしない。お前が望むなら、だ」
しばらくの沈黙があった。
グレイはわずかに目を伏せじっと考え込んでいたが、やがて決心したように深く息を吐いた。
「いいぜ。騎士になっても。ただし条件が二つある」
「なんだ。言ってみろ」
「まず、騎士爵をくれ。そうすれば、あいつへの風当たりも少しはマシになるだろ」
「元よりそのつもりだ。もう一つはなんだ」
その問いに、グレイは口角を上げニヤリと笑った。
「万が一にでもリズのことを傷つけたりしたら、お前を殺してリズを連れ去る。その条件で良いなら、受けてやるよ」
思っても見ない条件に意表を突かれたが、レオナルドはすぐに承諾した。
「いいだろう。そんな事は天地がひっくり返っても起きないが、肝に銘じよう。お前に命を狙われていると思うと、気が引き締まる」
「あっそ。じゃあ、俺は俺なりのやり方で、あいつを幸せにするとしよう。一生守ってやるよ」
グレイは満足げな表情で遠くを見つめていた。これからの未来を、リズベットの隣にいる未来を、思い描いているのかもしれない。
そして何かを思い出したように、彼はカラリと笑った。
「でもまあ、リズにとって俺はこの世で一番大切な家族らしいからな。早くあいつの一番になれるよう、せいぜい頑張れ、王子殿下」
恋敵に発破をかけられ、レオナルドは思わず苦笑した。
悔しいが、この男の言う通りだ。リズベットにとってこの男が大切な家族だという事実は、一生変わらないだろう。
ならば自分は、彼女にとって最高の夫になろう。一生、彼女を幸せにしよう。
「ああ。努力するよ」
* * *
リズベットが自室で勉強を再開していると、グレイがひとりで戻ってきた。どうやらレオナルドは執務に戻ったようだ。
「おかえり。話、何だったの?」
「リズ。俺、お前の護衛騎士になることになった」
「はあ!?」
予想外すぎる展開に、リズベットは思わず大声を上げた。
二人きりで一体何を話すのだろうと思っていたが、これは想像を大きく越えている。
「なんでそんな話になってるのよ!?」
「王子殿下に誘われて、それで。お前が迷惑なら辞退するけど」
大聖女、ひいては次期王妃の護衛騎士なんて、かなり地位の高い役職だろう。そう簡単に誘われたりするものではない。グレイが選ばれて誇らしく思う一方、気がかりなことがあった。
「迷惑なんてことは全くないけれど……でもグレイ、本当にそれでいいの? 私はもう大丈夫なんだから、私に縛られることなくもっと好きに生きていいのよ?」
グレイがリズベットを守ることを義務だと感じているなら、エインズリー侯爵家を守れなかった償いだと感じているなら、彼を解放したい。彼には、自由に生きて欲しい。
それにグレイは、託していいと思える人間が現れたら護衛を引退してもいいと言っていた。レオナルドに託した今、彼が無理に護衛を続ける必要はないはずだ。
しかしグレイは、フッと優しい笑みを浮かべた。
「リズを守ることが俺のやりたいことで、歩みたい人生なんだ。だから、お前のそばにいさせてくれ」
「そう……なの?」
そんなこと言われたら、これ以上は何も言えない。それが彼の意志ならば、尊重しないわけにはいかないだろう。
「ありがとう。じゃあ、これからもよろしくね、グレイ」
「おう」
内心、すごく嬉しい。
もちろんグレイがそばにいてくれることもそうだが、何より、黒い瞳の彼がそれを気にせず表舞台に立とうとしていることが、震えるほど嬉しかった。
今までのグレイなら、そんな選択は絶対にしなかったはずだ。恐らくレオナルドの言葉がグレイを変えたのだろう。
リズベットは未来に思いを馳せる。
未来はきっと、希望と幸せに満ちている。