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5:嘘から出たアレである

 鈴緒は家を出て、割と早めに後悔していた。敷地を出る前から既に、恥を忍んで銀之介に相乗りを申し出たいぐらいには後悔していた。さすがに恥が致死量を越えそうなので、しないけれど。


 先ほどの、祠から戻って来る時の比でないぐらい、雨脚が強くなっていたのだ。まるで無意味な意地を張る鈴緒への、刑罰にも思えた。

 ジャカード織りで出来た、野苺柄のショートパンツにも雨粒が散っていた。チョコレート色のタイツにも雨が染み込み、ひやりと冷たい。


 おまけに何も食べずに家を出たため、胃も切なく鳴いていた。ふがいない本体で申し訳ない、という謝罪の気持ちも込めて腹部を撫でさする。

(大学に着いたら……講義が始まる前に、生協に行こう……うん、大きなおにぎりを買うの)

 米食が定着しつつある鈴緒は、大学生協の人気商品である唐揚げおにぎりの姿を思い描いて、己を鼓舞した。


 足回りが満遍なくしっとり湿った頃、鈴緒はようやく大学に辿り着いた。

 今すぐおにぎりを買い求めたいものの、そこをぐっと堪えて図書館へ向かう。牧音との待ち合わせ場所なのだ。


「あ、日向さん!」

 傘を畳んで図書館の自動ドアをくぐった直後、線の細い青年が駆け寄って来た。牧音のサークルの先輩であり、鈴緒が一度だけデートをした相手の串間だ。

 待ち伏せされていたのだろうか、と胸にほんのりと不穏な予感が芽生える。


 嘘やごまかしが苦手な鈴緒は、既に串間へ

「忙しくて恋人を作るなんて考えられない」

と伝えていたのだ。

 そのため彼に向ける愛想笑いも、ついぎこちなくなる。

「おはようございます、串間さん」

「おはよう。ねえ、次のデートなんだけど」

「はいっ?」

 屈託なくそんなことを言われ、鈴緒から愛想が転げ落ちた。何を言ってるんだこの人は、となかなか不躾ぶしつけな視線を注ぐ。


「わたし、お返事しましたよ? 忙しくてそんな余裕ないですって」

「あ、うん、それは分かってるよ」

 鈴緒の声に剣呑さが混じる。空腹によって、寛容さもごっそり削られているのだ。

 彼女の不機嫌には気付けたらしく、串間が少し慌てたように頷く。

「だから、日向さんが落ち着くまで待ってるよ。ね、いつならデート出来るかな?」

「いつって……」


 鈴緒は絶句した。忙しさを理由に、お付き合いという概念自体をやんわり拒んだつもりだったのだが、まさか全く通じていないとは。

(いつ暇になるって、巫女のお役目を降りてからなんだけど……)

 そのためには、緑郎あるいは鈴緒の娘が跡を継ぐ必要がある。現状恋人も要らない鈴緒は当然、子どもを産む予定もない。試したことはないけれど、単性生殖も出来ないはずだ。


 緑郎も、そこそこ顔はいいが性格・気質が災いして独り身である。彼の場合は単性生殖が出来そうだが、緑郎がもう一体増えるのは絶対阻止したい。


 想定を上回る串間の話の通じなさに、空きっ腹の鈴緒の頭は真っ白になった。

(もう、考えるの面倒くさいかも……)

 とりあえず殴って黙らせるか、とぼんやり拳を握った時だった。

「串間さん、すんません。アタシら、今から講義なんで」


 一階の談話スペースから現れた牧音が、二人の間に割って入ってくれた。鈴緒はホッと吐息をこぼし、串間は牧音を見つめて眉をひそめる。

 が、それも一瞬のことだった。

「そっか、ごめんね? それじゃあまたね」

 すぐに柔和な笑みに変わり、串間は図書館を出て行った。やはり鈴緒を待ち構えるために、ここに来ていたらしい。


 ガラス戸越しにも彼の姿が消え失せたところで、鈴緒は牧音にひしと抱き着いた。

「ありがとう、牧音ちゃん! もうちょっとで殴っちゃうとこだった!」

「アンタ有名人なんだから、解決手段に暴力選ぶの控えなよ」

 牧音は呆れ半分に笑いつつ、鈴緒を先導する形で図書館を出る。

「でも鈴緒、相当ストレス溜まってるんじゃね? お兄さん以外に手出すなんてレアだよね」

「あー……うん、そうだね……」


 鈴緒がくたびれた目を、どす黒い雨空へ向けた。途端、彼女のお腹もグウと鳴る。

 大学生協への道すがら、鈴緒は朝の出来事を牧音にこぼした。

「顔から変な汁出たり緑色じゃないなら、多少顔色が悪くてもほっといてほしいの!」

 両手でグッと傘を握って叫ぶ鈴緒に、牧音はカラカラと笑う。完全に他人事だ。

「緑色で汁出てたら、ほぼほぼカエルじゃん。まあ、リップとチークで顔色のサバ読んでるトコあるし、あんまり深掘りされたくないかもなぁ」

「そう。特に最近寒いから、朝なんて顔色悪くて普通なの」

 ため息をついて傘を閉じ、食堂に併設された学生生協に入る。朝早くということもあり、客足はまばらだ。


 鈴緒はようやくお目当ての唐揚げおにぎりを確保し、ふうとため息。

「お兄ちゃんの友達っていうより、意地悪な継母と暮らしてる気分……あの人、どうしてあんなに口うるさいの?」

「さあ。でも鈴緒は、白雪姫なわけだ。よかったじゃん」

「よくない。毒リンゴ食べて、死体好きの王子様に貰われたくない」

「でもさ、巫女業って実際ハードじゃん。職員さんが神経質なのもあると思うけど、心配もほんとにあると思うよ」

 そう言ってなだめる牧音の猫目にも、鈴緒を案じる優しい光が灯っている。


「だってさ、友達の妹なんだし。それも火事で焼け出された時、真っ先に助けてくれるようなマブダチの妹じゃん。普通に心配してくれてると思うよ」

 しかし鈴緒は意固地を引きずり、唇をすぼめる。片道十五分を歩いてきたおかげで、今の血色はばっちりだ。

「そんな心配いいから、ほっといて欲しい……火事だって、先見のおかげで死者も出なかったのに、これって何の罰ゲーム?」


 牧音は、鈴緒のうんざり声にニヤリと含みのある笑みを返す。

「罰ゲームってか、土地神様からの何かのお告げだったりして」

「お告げ?」

「うん。ほら、とんでもない災害の前兆的なさ」

 なかなかの脈絡のなさだ。鈴緒はつい噴き出した。

「お兄ちゃんのお友達が家に転がり込んで、どんな災害につながるの?」

「……職員さんを狙う、殺し屋とかヤクザが襲来するとか?」

「あの人、カタギじゃなかったんだ!」

 銀之介の顔が顔なだけに、牧音の妄言は案外説得力がある。鈴緒は朗らかに笑って、唐揚げおにぎりとほうじ茶の会計を済ませた。


 しかし、牧音の言葉は当たらずとも遠からじであった、と鈴緒は二日後に思い知る羽目となる。

 鈴緒はその日、先見をしてしまったのだ。

 自分と銀之介がイチャコラしながらデートを楽しむ未来を。


 たしかにこの同居生活は、とんでもない災害の前触れであったらしい。

 鈴緒個人にとっての大災害、であるが。

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