目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

6:アンビリバブル・フューチャー

 祠の中に作られた幻の舞台は、隣駅の風景を切り取っていた。駅前の大きな時計の下に、銀之介は立っている。誰かを待っているのか、時折腕時計を覗き込んだり、スマートフォンをいじったり、周囲を見渡したりと少し落ち着きがない。


 鈴緒は当初、この後で彼が傷害事件や殺人事件に巻き込まれるのだろうか、とビクついていた。

 いくら嫌いな人物とは言え、目の前で顔見知りが傷つけられる光景は御免被りたい。

 しかし彼女の怯えや恐怖を吹き飛ばすように、舞台袖からもう一人の登場人物が現れた。なんと自分だった。


 今よりもどこか垢抜けた雰囲気の鈴緒は、二つ三つほど年上に見える。成人後らしき自分もグルリと駅前を眺め、すぐに銀之介を見つけて駆け出した。

 それはもう――満面のキラッキラ笑顔で。我ながら、何かの広告に使えそうな満点スマイルである。


「銀之介さん、遅くなってごめんね」

 銀之介へと駆け寄った未来の鈴緒は、甘えるように彼の腕にしがみついた。銀之介の無表情も、ほんのり和らぐ。

「いや。鈴緒ちゃんこそ、懇親会で疲れただろ。どうだった?」

 隣駅の近くには、大きな公民館もある。どうやらそこで、巫女業関連の行事があった後らしい。現在の鈴緒も定期的に参加している。


「うん、めんど――じゃなくて、有意義でした。はいっ」

「なるほど。面倒だったんだな」

 目を泳がせてごまかす鈴緒の頬を、銀之介が空いている手でそっと撫でた。慣れた様子のスキンシップに、現在の鈴緒はギョッと目を丸くする。未来の自分が嬉しそうに双眸そうぼうを細めるから、余計に驚愕した。


 二人が舞台の上をゆっくり歩き出す。それに合わせて、背景も駅前からショッピングモール内のものへと変化した。

 そして現在の鈴緒は、未来の二人が自分の前を横切った時に、とんでもない発見をしてしまった。

 二人の指に、お揃いらしきプラチナの指輪が輝いていたのだ。もちろん、左手の薬指にはまっている。


 現在の鈴緒が目と口を全開にして戦慄わなないている間に、未来の推定新婚カップルはモール内の広告に目を向けていた。

 お得な料金での、沖縄へのパッケージツアーを宣伝する広告だった。透明度の高い海にシーサーの置物と、取って付けたようなハイビスカスの写真が使われている。


 未来の鈴緒が、ポスターに羨望の眼差しを注いで呟いた。

「いいな、沖縄……行きたいなぁ」

 傍らの銀之介も、しげしげとポスターを眺める。いつの間にか二人の手は、指を絡めて繋がれていた。

「そうだな。君が巫女を引退したら、一緒に行くか」

 鈴緒は彼を見上げ、大きな目をぱちくりする。

「それ、何十年後の話?」

「だいたい二十年後ぐらいだな」

 あっさり返答する銀之介に、鈴緒は屈託なく笑った。


「ふふっ、先の長い話だね」

「早期退職後の楽しみがあるのは、いい事だ。いっそお義父さんとお義母さんを見習って、移住するか?」

「沖縄に? 銀之介さん、お仕事とか大丈夫なの?」

「向こうの教育機関に転職か、あるいは蕎麦屋でも始めるのもいいな」

 ああ、と鈴緒が訳知り顔で頷く。

「退職後のおじさん、お蕎麦に目覚めがちなあるあるだね」

「そう、あるあるだ」

 銀之介の口角も持ち上がった。


 彼の笑顔なんて、現在の鈴緒は未だお目にかかったことがない。

「ちなみに作るのって、普通のお蕎麦? ソーキそば?」

「そうだな。鈴緒ちゃんはどっちが好きだ?」

「うーん。焼きそば」

「選択肢が増えたな、困った」


 ――バカップルである。これはバカップルの会話の見本図である。


 全身を震わせていた現在の鈴緒は、この光景に鳥肌を立てて頭を両手で抱え、

「ぎゃあああああああああああああぁぁぁっ!」

 祠全体を爆発しかねない叫び声を上げた。

 途端、先見の舞台がふつりと消え去る。


 ランタン以外に光源のない薄暗い祠の内部は、しばし静寂に包まれた。しかし数十秒ほど後に、簡素な扉を叩く音がする。

「鈴緒ー、どしたー? デッカいゲジゲジでも出て来たか? もしヘビなら兄ちゃんも無理だから、頑張ってやっつけてよー。ってか、開けて大丈夫?」

 頼もしさゼロの呼びかけをしながら、緑郎がやや控えめに扉を開いた。巫女が先見をしている間、当人以外はたとえ身内でも立ち入り厳禁なのだ。


 立ち入ると、土地神から物理的制裁が下されるらしい。理不尽過ぎる。


 うなだれる妹の背中から、先見は終了あるいは中断しているらしい、と判断した緑郎はホッと息を吐いて扉を全開にした。木の扉のきしむ音で、鈴緒ものっそり振り返る。

 緑郎の背後には、エプロンを身に着けたままの銀之介も立っている。

 彼とばっちり目が合った瞬間、鈴緒の脳裏に蘇ったのはもちろん、先ほどの実りのないバカップルトークである。


 瞬間、彼女の中の羞恥心が限界を越えた。


 椅子を横倒しにしながら立ち上がった鈴緒は、ふらふらと二人へ近づく。

「あ、あっ……ああ……」

 目の焦点も合っていない妹の姿に、緑郎もただ事ではないと察した。

「スズたま? どしたの? なんかカオナシみたいになっちゃってるけど……え、憑かれた系? やだ、巫女が取り憑かれるとか要素多いよー!」

 妙な驚き方をする彼へ肉薄した鈴緒は、上半身を後方へ捻りながら右腕を構える。

「あああああーっ!」

 取り憑かれているというか、悪霊そのもののような唸り声を上げて、鈴緒は裏拳を繰り出した。緑郎の頬に見事命中する。


 この時の鈴緒の姿を、後に緑郎はこのように述懐した。

「もうさ、『バイオハザード』に出て来る敵じゃん」

と。


 タイラントまたはリサ・トレヴァーと化した鈴緒は、裏拳で兄を鎮めると次に本丸であろう銀之介も狙った。背の高い彼の頬をぶん殴るのは無謀と、本能で判断したのか。

 すかさず攻撃手段を足に切り替え、綺麗に円を描いて回し蹴りを繰り出した。呆然とする彼の腹部を蹴り抜く。巫女にしておくには惜しいフォームである。


 しかし残念ながら、ガリ勉メガネ風の銀之介だが存外荒事に慣れているらしい。鈴緒の蹴りをあっさり受け止める。

 そして怒った様子もなく、むしろどこか気遣わしげに鈴緒の顔を覗き込む。

「鈴緒ちゃん、どうしたんだ?」

 今この瞬間、彼との接近は致命傷である。鈴緒の白い頬が、ぶわりと赤く染まった。


「あああああああ! ――ヴォエェッ!」

 再度バカップルの未来予想図がありありと蘇り、鈴緒は白目を剥いて絶叫しながら膝を折り、そのまま盛大に吐いた。


 朝食前でお腹が空っぽだったからか。

 吐しゃ物はサラサラの液体で、わずかに黄色がかっていた。

 ちなみに鈴緒は後日、胃液は黄色いのだという豆知識を得ることになる。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?