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10:色んな意味で想定外の真実

(……うん。やっぱり謝ろう)

 お風呂の湯舟で膝を抱え、鈴緒は反省した。銀之介に謝罪するべきだ、と。


(あそこまで酷く言う必要なかったもん。銀之介さんもショック受けてたし……このまま寝たら、夢見が悪くなりそう。あと、明日の朝ごはんで雑巾の搾り汁入りお味噌汁とか出されたら、絶対泣いちゃう。作ってもらってる手前、文句も言いづらいし……)

 なんとも後ろ向きかつ保守的な理由から、鈴緒は風呂上りに銀之介を探した。ほかほかに温まった身体が冷えないよう、パジャマの上から丈の長いカーディガンも羽織る。


 しかしうっかり部屋の前にスリッパを置き忘れてしまったため、素足でひたひたと歩く羽目になった。晩秋の夜の廊下は灯りを点けていても薄暗く、そして静かだ。

 銀之介は仮住まいとして提供している書斎あるいは、リビングにいることが多い。鈴緒はまず、一階のリビングから探すことにした。


 その予想は正しかったようで、リビングに近づくとドアの下から灯りが漏れていた。

 しかしタイミング悪く、かすかに男性二人の声も聞こえている。緑郎と銀之介が話しているようだが――いつもよりも声量が小さい。何か内緒話でもしているのだろうか。


 緑郎がいる上、内々の話し合いをしているならば、鈴緒は顔を出さない方がいいに違いない。

 謝罪チャンスを逃すことを無念に思いつつ、方向転換をしようとしたところで

「お前さ、鈴緒に惚れてるんでしょ? なんでいっつも見つめてるだけなの? もっとガンガン話せばいいのに。ウチの妹、今フリーなのにさー。せっかく居候もさせてあげてるのにさー」

からかうような不満そうな、緑郎の声が聞こえて来た。思わず鈴緒の足が止まる。


 しばらくの間、かすかに男性の唸り声のようなものが聞こえる。そこから少しして、銀之介の声もした。

「無理だ。あまりにも可愛すぎる。いつもあの子の前に立つと、緊張して余計なことしか口走れない」

「えー……お前、別に童貞ってワケじゃないよね? 大学ん時も彼女いたよね? それとも実は、DのTでいらっしゃる? または……DのK?」

「童貞でもドンキーコングでもない」

「ほほう、じゃあFのKでしょ!」

「ドンキーコングでない以上、ファンキーコングな訳がないだろう。脱線するからもう止めろ。あと懐かしいな、ファンキーコング」


 兄の低レベルなボケを、律儀に拾ってあげる銀之介も銀之介である。立ち尽くす鈴緒は、働かない頭でそう考えた。


 ふへへ、と緑郎の呑気な笑い声が漏れ聞こえた。

「そう思いつつちゃんと拾ってくれるのってさ、愛だよねー」

「そんな訳あるか」

 沈痛なため息が挟まれる。


「……お前相手だと、脳みそも使わずに話せるんだが」

「やだなー、脳みそぐらい使ってよ」

「使う余地がない。しかし……鈴緒ちゃんは無理だ。あんな理想そのものみたいな女の子に、初めて出会ったんだ」

「お前ってさ、結構可愛い生き物好きだよな。女の子の好みもそうだし、犬とか猫もむっちゃ好きだよなー」

「猫カフェにもよく行く。マンションがペット禁止だったから」

 意外な趣味嗜好である。


「わあ、超好きじゃん」

「ああ、好きだ。だから鈴緒ちゃんに威嚇されている今も、人慣れしない保護猫を見守っている気持ちになる」

「健気かよー、もー! いつの時代の人なの、ねえ!」

「いいんだ、鈴緒ちゃんが遠目に幸せそうなら」

「じれったいなぁ。押し倒しちゃえばいいのに」


 どうやら鈴緒の真の敵は、兄であったらしい。不同意性交を推奨するな。

「してたまるか。実兄が犯罪を後押ししてどうする」

 全くもってその通りである。


「……ま、見てるだけで幸せって気持ちも、ちょっとは分かるけどね。おれもグレイシアちゃんに生で会ったら、ドキドキしながら眺めてるだけかも」

 緑郎が、どこか陶然とした声で言った。

「誰だそれ。フィンランドの女優か歌手か?」

「ううん、ポケモン――ほら見て、この子ね。どう? 可愛いでしょー?」

「は? お、おお……そうか、うん……」

 恐らく緑郎にスマートフォンでも押しつけられているのだろう。銀之介の歯切れの悪い相槌が聞こえた。


 この会話を片方の耳で聞きながら、鈴緒は横歩きでじわじわと後ずさった。出来るだけ物音を立てないよう、無意識に息も止めてリビングから遠ざかる。

 そして足音が聞こえないであろう距離を稼いでから、薄暗い廊下を走る。途中の階段で一度転びかけたものの、二人に気付かれることなく自室へと駆け込んだ。


 そしてラグの上で膝を折り、廊下を歩いてすっかり冷たくなった髪を振り乱してヘッドバンキングをする。叫び声だけは、どうにか堪えることが出来た。


 全く気付かなかったのだ。

 自分が銀之介に惚れられているだなんて。夢にも思わなかった。

(だってだって……ずっと顔怖いし、にらまれるし、小言も多いし、嫌われてるって思うでしょ!)

 驚きのあまり思わずヘドバンを繰り返す鈴緒であったが、恐怖や嫌悪感の類は覚えていなかった。


 それはきっと、銀之介の自分への好意と同時に、兄がだいぶ厄介な性癖の持ち主だという要らぬ事実も知ってしまったからだろう。おかげで情緒がしっちゃかめっちゃかだ。

「お兄ちゃん、ポケモンが恋愛対象なの……?」

 鈴緒は震える声で、自問自答するように呟いた。

 むしろこちらの方が、恐怖である。


「……どうしよう……おれの結婚相手だよーって言いながら、グレイシアちゃんのぬいぐるみを紹介されたら……どんな顔すればいいの?」


 この二つの真実の内、どちらに衝撃を受けるべきなのか未だ分からず。

 鈴緒はなおも頭を抱えて転げ回る羽目となった。

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