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22:美味しさの秘密はきび砂糖

 先見の後で、そぼろ大根と根菜の味噌汁が美味しい朝食を食べた鈴緒は、そのまま有無を言わさぬような手際のよさで銀之介の車に乗せられた。

 この手慣れた雰囲気がなんとも胡散臭いものの、どうせ行き先は大学である。鈴緒も諦めて助手席に身を預けた。

 そして隣の、真っすぐ前を向く銀之介の横顔を仰ぎ見る。

(鼻高いなぁ……羨ましい)

 鈴緒は自分の、やや低めの小さな鼻を一つ撫でた。


 しかしほぼ強制とは言え、送ってもらっているわけなので。

 このまま無言でふんぞり返っているのも申し訳ないな、と鈴緒の人の好さが気を回し始めた。お気に入りの、オレンジ色のショートコートの袖についた飾りボタンを指でいじる。そして口を開いた。

「……そういえば銀之介さんって、普段はどこでお昼ご飯食べてるの?」


 まさか鈴緒から話題を振られるとは考えていなかったらしい。銀之介は前を向いたまま、目をぱちくりさせた。次いで横目に彼女を見る。

「俺は食堂を利用する事が多い」

 今度は鈴緒が目を丸くする番だった。彼女も昼食は、ほぼほぼ大学の食堂を利用しているのだ。

「え、そうなの? でも見たことないよ?」

「時間をずらして行くようにしている。昼時に職員がいたら、君たち学生も落ち着かないだろ」


 それは確かに、その通りである。

 稀に教員が座っていることもあるのだが、どうにも気になってしまうのだ。銀之介は怖い顔に反して、色々と気を揉む性格のようだ。

「そうだったんだ。お外には食べに行かないの? この辺、学生向けの安いご飯屋さんも結構あるよね」

 大学周辺には個人経営の採算度外視なドカ盛り定食屋から、人気の格安チェーン店まで、一通り揃っているのだ。鈴緒たちもたまに、喫茶店やファストフード店を利用している。


 しかし銀之介は軽く首を振った。

「食堂の煮魚定食が好きだから、あまり行かないな」

「――ふぅん」

 一拍置いて、鈴緒はそれだけ呟いた。再び、銀之介がちろりと彼女を見る。

「今、『こいつ、相変わらずジジイみたいな食の好みだな』と思っただろ」

「ん? えー、あー……」

 鈴緒が視線を空中にさ迷わせていると、銀之介は小さく嘆息。

「誤魔化し方が、思っていた時のそれだ。学生時代から煮魚定食の事で揶揄われていたから、別に構わないが」


 そうなんだ、と流しかけて鈴緒は今の言葉に引っかかりを覚える。小首を傾げた。

「あれ? 銀之介さんって、佐久芽大卒だったの?」

 一瞬だが、銀之介が顔ごと鈴緒の方を向いた。三白眼が、わずかに見開かれている。

「そうだが、知らなかったのか? 緑郎が言っていると思っていた」

「お兄ちゃんにそんな細やかさ、期待しちゃ駄目だよ。何学部だったの?」

「人文学部の言語学科にいた。お陰で今も、留学生の対応を手伝わされる事がある」

「へえぇぇー」

 まさか、学部まで同じだったとは。鈴緒は感嘆めいた声を、間抜けにこぼす。


「鈴緒ちゃん、大方俺が農学部卒だと思っていたんだろ」

「えっ、どうして分かったの?」

「俺達が在籍していた頃から、農学部と美術学部は変人揃いで有名だった」

「ぅぐぅっ」

 まるきり思考を見透かされており、鈴緒がしかめっ面でうめいた。前を向いたまま、銀之介が口元を緩める。

「君は嘘と隠し事が下手だな」

「……巫女なんて、みんなこんなもんですよ」

 馬鹿正直だとからかわれたような気持ちになり、鈴緒はつい唇を尖らせた。


 しかし銀之介は鈴緒をおちょくることもなく、淡々と返した。

「嘘や隠し事など、少ないに越した事はない。それに正直は美徳だと、俺は思う」

「あ、ありがと……」

 抑揚もなく褒めるので、タチが悪い。鈴緒はややぶっきらぼうに応え、わざとらしく窓の方を向くことしかできなかった。

 顔が真っ赤になっている自信があった。


 徒歩で十五分かかる道のりも、車だと十分もかからなかった。銀之介の出勤時間に合わせたこともあり、いつもより早めの登校となったが、格段に気楽だ。

 銀之介の車は正門を抜け、職員用の駐車場へと滑らかに向かう。

 鈴緒は二人だけの密室空間の終わりに、ホッとするような、どこか勿体ないような、なんともちぐはぐな気持ちを抱いた。

「あ、あの、ありがとう……それじゃあ」

 しかしそれを無視して、慌ただしく車を出ようとしたが。


「待て、雨脚が強くなっている」

 ドアを開きかけて銀之介に呼び止められ、きょとんと振り返る。

「え?」

 ひょっとして牧音と待ち合わせの図書館前まで送ってくれるのだろうか、と一瞬考えたものの、銀之介はさっさと車を出てしまった。どうするつもりなのか。

 次いで彼は車のフロントを横切り、助手席側へ回り込んだ。

 そしてドアを開けて、鈴緒が濡れないよう自身の傘を傾ける。


 まるで箱入り令嬢あるいは、濡れると増殖するグレムリンのような手厚い心配りに、せっかく赤みの引いた鈴緒の頬がまた赤くなった。

「そ、そこまでしなくていいからっ」

「濡れて風邪でも引いたら大変だろ」


 真顔でもっともな主張を返され、鈴緒もそれ以上拒むことが出来なくなった。それに自分がゴネ続ければ、銀之介の黒いロングコートがびしょ濡れになる。

 鈴緒はコートとミニワンピースの裾がずり上がらないよう普段以上に気を使いながら、空色のタイツを履いた足を動かす。そして膝に乗せていたリュックを抱き締め、おずおずと外へ出た。


「あの……色々、心配してくれて、ありがと」

「別に構わない。身支度は落ち着いてしなさい」

 あわあわとリュックを背負い直し、自分の傘を開こうとしていたことも見透かされ、たしなめられた。

 以前の鈴緒なら、言葉の裏に悪意があると信じ込んで「もう、うるさい!」と反感を覚えていただろうが。


 今は言葉通りの意図しかないどころか、自分への気遣いがあるのだと知っている。なのでつい、彼を見上げて照れ笑いを浮かべた。

 すると銀之介が目をぱちくりさせた後で、わずかに口角を持ち上げる。

 彼の分かりづらいが嬉しそうな笑顔に、思わず気恥ずかしさを覚える。


 咄嗟に視線を反らしたことで、鈴緒は気付いてしまった。

 駐車場の向こう側の、数メートル離れたところに牧音がいることに。ニヤニヤとこちらを眺める彼女と目が合い。鈴緒は思い切り身体をビクつかせた。

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