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24:さすがは兄のズッ友である

 銀之介は事務局に到着すると、傘を畳みながら一つ深呼吸を行った。

(……可愛かった。破壊力が凄まじかった。なんだあのはにかみ笑顔は。死ぬかと思った。可憐にも程がある)

 これはもちろん鈴緒のことである。自分のすぐそばで、上目になって照れたように微笑む彼女は銀之介目線だと天使そのものだったのだ。おまけに甘い、いい匂いもした。彼女は主成分がお砂糖なのだろうか。


 酔った勢い任せでの告白だったが、結果的に鈴緒が自分を恋愛対象と見てくれるようになったのは幸いだ。それに長年の誤解も解けた。

 また、どうやら彼女と結婚出来る可能性があるとも知れた。前世の自分は、どれだけ徳を積んだのだろうか。世界でも救ったのだろうか、と降って湧いた好機に五体投地で感謝したくなる。


(ただ、先見で視たという点が気掛かりだ)

 浮かれながらも、銀之介の冷静な部分はそこに首をひねっていた。閉じた傘を、事務局前の傘立てにポンと突き刺した。


 先見は、街に訪れる災いを切り取って垣間見せるものだ。しかし鈴緒の反応を見る限り、結婚が即災害に繋がる未来を視たわけではなさそうだ。

 もしそうならきっと、もっと直接的に結婚を回避しようと提言ないし行動しているはずである。彼女はそういう女性だ。


 ということは真実、事件性皆無な夫婦の一幕を視たはずだが――土地神は何故そんなことをするのだろうか。これが不思議でならない。

(俺と鈴緒ちゃんの関係性が、別の災害を引き起こすのか? それも直近の)


 この可能性が高いような気がした。わざわざ遠い未来を見せた理由にもなる。

 彼女と良好な関係を構築するのが、吉なのか凶なのかは全く分からないが――

(惚れているんだ。口説くに決まっているだろ)

もはや鈴緒の可愛さに、無言でキュンキュンしている場合ではない。緊張で色々と口走ってしまうのは変わらないが、全力で好意を示すつもりである。


 銀之介は一つ頷き、事務局の通路を進む。二階にある総務部のフロアへ行く途中で、同じ課の後輩に後ろから呼び止められた。コートを脱ぐ手を止めて振り返る。

「先輩、おはよーっす」

「ああ、おはよう」

「さっき一緒にいた女の子って、先輩の彼女サンっすか?」

 銀之介は「こいつはどこから見ていたんだ」と、後輩を呆れた気持ちでしげしげ眺める。が、表面上はいつも通りの無表情のため、一歳下の後輩はのほほんと笑ったままだ。


 そして銀之介は、社交の類が下手な性格である。わざわざ当てこすりを言ったりするのも面倒、と端的に事実を述べることにした。

「友人の妹だ。この前の火事で家が駄目になったから、新居が決まるまで彼女の家に厄介になっている」

「あー、そういや燃えたし水浸しになったしで、大変だったって言ってたっすね……じゃああの子、今度紹介してくれません?」

「は?」


 何故そうなるのか。銀之介の眉間にしわが刻まれた。総務部フロアの施設管理課へ向かう二人の横を、経理課の職員が通り抜けようとするも、銀之介の鬼の形相に気付いてキャッと叫んだ。


 が、若さ故に怖いもの知らずらしい後輩は、照れくさそうに頭をかいている。

「実は前からあの子、食堂とかで見かけてて。可愛いなって思ってたんすよ。たしか巫女さんしてる子ですよね?」


(見栄など張らずに、『口説いてる最中でーす!』と言っておけばよかった)

 獄卒めいた強面の裏でそんな反省をする銀之介であったが、彼は思い悩むよりも行動するタイプなのだ。

「――そういえば昨日、部長がお前を研究支援課に異動させようか考えていると言っていた」

 なので思いっ切り強引だが、食いつかずにはいられない話題をぶちまけて煙に巻く作戦へ打って出る。


 そして効果はてきめんで、後輩は顔面蒼白になった。

「えええええー! 嫌っすよ! だって先生ら、全っ然話聞いてくれないもん!」

 研究支援課は名前の通り、教員たちの研究を支援する課である。つまり予算を巡って、偏屈・変人揃いの教員たちと日夜戦わねばならぬ魔窟なのだ。能天気な後輩もブンブンと首を振って抵抗する。

「お前は年上からの受けが良いから、問題ないだろう。来年から頑張れ」

「先輩の方が向いてますって! だってビヤガーデンの時、学長に思いっきりメンチ切ってたじゃないっすかぁ!」


 今年の夏、職員や教員も交えてホテルのビヤガーデンを貸し切った宴会での出来事を持ち出し、後輩がごねる。しかし銀之介はまさか、と肩をすくめる。

「あれは学長の長広舌なご高説を拝聴しながら、『お腹減ったな』とただ見つめていただけだ。メンチを切る等という、品性下劣な行為はとてもとても」

 白々しい嘘に、後輩は地団駄を踏む。

「嘘ばっかりぃ! 農学部のお馬鹿ちゃんがイノシシ捕まえて学内で逃がした時も、ヘッドロックで捕獲してたじゃないっすか! どこのバンビーノだよって思いましたもん、オレ!」


 市街地に迷い込んだイノシシを捕まえ、牡丹鍋にしようとする農学部学生は何故か毎年現れる。そして毎回、学内でイノシシを逃がすのだ。いい加減懲りればいいのに。

「あれはまだウリ坊だったからな。あまりの愛らしさに、思わず抱きしめて愛でただけだ」

「いやいや、どう見てもイノシシでしたし! キバ生えてたし! あとこの前は、巫女ちゃんに言い寄ってたお馬鹿ちゃんも、宙吊りにしてましたよね?」


 むしろあれは、宙吊りで済ませた自分を褒めてやりたいところである。あの場に鈴緒がいなければ、恐らく遠心力を使ってボロ雑巾のようにぶん投げていただろう。

「意外に軽かったんだよ、彼。我ながら驚いた」

「無理がある! びっくりしたの絶対、あのお馬鹿ちゃんの方ですし、あまりにも無理がある!」

「そうか。それは悪い事をした」

 抑揚なく言えば、後輩が盛大に顔をしかめる。


「むっちゃ白々しい……あとほら、前にテント立ててた留学生も、未知の言語でお説教して泣かせてたじゃないっすか」

 その留学生は、美術学部に在籍している。美術学部は大学受験の受験日に合わせ、受験会場の周辺に毎年アート作品を展示するのだ。ちなみに大学側は、一切頼んでいない。

 留学生の彼も、アート制作チームのメンバーだった。キャンパスにテントを設置し、泊まり込みで作業をしようとしていたのである。


 そんなこともあったか、と銀之介は薄汚れた天井をはたと見上げる。

「あれは英語だったと思う。未知の言語ではない。拙い英語に誠意を込め、懇切丁寧にテント生活は健康を損なうと伝えただけだ」

「いやいやいや。それであんな号泣します?」

「俺の真心が伝わったんだろう」

「胡散臭っ!」

 物怖じしないうえ、付き合いがそれなりに長い後輩は露骨に疑惑の目を向けていた。


 そんな部下二人の会話を、施設管理課の課長は自分のデスクでパソコンを叩きながら聞いていた。

(あの時の旭谷あさひや君、思い切りファックを連呼してた気がするけど……まあ、いいか)

 拙いどころか、留学生が一言も言い返せない勢いでまくし立てる現場を目撃していた課長だったが、それは指摘せずに作業を続ける。


 あれ以来、くだんの留学生の素行は目に見えてよくなったのだ。それに真冬のテント生活は、どう考えても健康に悪い。

 ならば大学側として、怒涛のファック責めも大目に見るべきであろう。

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