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30:死亡宣告は突然に

 生気のない、虚ろな目をした自分と視線がかち合った瞬間、鈴緒の意識はいつかのように舞台の自分の中に取り込まれていた。

 どこかの遊歩道に倒れている自分の体には全く力が入らず、おまけに途方もなく重かった。もはや指一本も動かせない。

 また全身に激痛が走っているようなのだが――如何せん痛みが強すぎて、そちらはよく分からなかった。ただ代わりに、酷く寒い。


 鈴緒は焦点がぼやけつつある視界を、どうにか動かす。

 すると少し離れた場所に、ナイフが落ちているのを見つけた。刃渡りは、果物ナイフぐらいだろうか。ナイフの刃に冬の陽光が反射し、網膜に突き刺さる。


 光で目がくらむ中、ナイフの近くに男性らしき人物が立っていることにも遅れて気付いた。ただこれ以上眼球を動かすことが出来ないため、その人物の足しか見えない。ありふれたジーンズに、見覚えのあるスニーカーを履いた足――男性のようだ。だが、それ以上のことは分からない。


 動かない自分の体に悔しさをにじませていると、眠りに落ちる寸前のように、意識が途切れ途切れになる。

 鈴緒は、これが自分の死の瞬間なのだと悟った。


 たちまち覚えるのは恐怖だった。

 こんな場所で、たった一人で無様に地面に倒れて死んでしまう――大事な人たちに何も言えないまま、そして看取ってもらうことも出来ないまま生涯を終えることに、途方もない恐怖を覚えた。

 恐怖に駆られ、動かない体のまま脳内で悲鳴を上げる。それと同時に意識がふつり、と途絶えてしまった。


 しかし脳内で上げた悲鳴は、現在の鈴緒の体がつつがなく発していたらしい。

 彼女が次に意識を取り戻した時、椅子に座っていたはずなのに祠の地面にへたり込んでいた。随分とその姿勢でうずくまっていたのか、膝に岩肌が食い込んで冷たく痛い。

 そして先見で視た自分のように、そのまま地面に突っ伏しそうになる上半身を支えてくれているのは銀之介だった。


「鈴緒ちゃん、大丈夫か? どうしたんだ?」

 いつになく気づかわしげな彼の声と、体を支えてくれる腕の温かさに、鈴緒は自分が今はまだ生きているのだと実感する。


 途端、大きな両目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。銀之介もしゃくり上げて泣く彼女の姿に、一瞬だけ目を見開いた。が、すぐに無表情に戻って、もう片方の手で鈴緒の頭を労わるように撫でる。

「先見で、何を視たんだ? 今度こそ邪教の悪魔召喚パーティーか?」

 そうだったら、どれだけよかったことか。鈴緒は力なく首を振る。

「わたしっ……死んでたの……殺され、てた……」

 途切れ途切れの鈴緒の言葉に、銀之介の手がぴたりと止まった。


「――一体誰が、君を殺そうとするんだ?」

 地を這うような氷点下の声で問いつつ、銀之介は鈴緒の泣き顔を覗き込んだ。彼はいつも通りの無表情だったが、瞳孔が全開である。

 現役ヤクザもお漏らししちゃいそうな凶相と、額がくっつきそうな至近距離で見つめ合い――否、見据えられ、鈴緒も両肩を跳ねさせた。先ほどまで感じていたものとは、別ジャンルの恐怖を覚える。


「わっ、分かんな――わたし、体、動かなくて、足しか見えっ……ごめんなさぃ……うえぇぇぇぇっ!」

 鈴緒は子どものようにべそをかき、大泣きした。

 自分を将来殺すであろう相手の、足しか覚えていないという不甲斐なさに嫌気が差したのもあるが、本能が

「銀之介さんがなんか無茶苦茶怒ってるから、とりあえず泣いて謝っとこうぜ」

と、涙腺を更に開放したのだ。


 彼女の本能は、いざという時の仕事が非常に雑である。


 しかし幸いにして、この泣きの一手は悪くない選択だったようだ。

 真顔で静かに激怒していた銀之介が再び目を見開き、次いで困ったように眉を下げた。

 そのまま鈴緒の震える体をギュッと抱き締める。

「違う、君に怒った訳じゃない。怖がらせてすまない」


 がっしりした両腕での抱擁は、少し息苦しさを覚えるぐらいに力強いはずなのに。

 鈴緒は不思議と、安心感や懐かしさを覚えた。いつか視た先見で、彼の腕の中の心地よさを知っているためだろうか。

 強張っていた体からも、ゆるゆると力が抜けて行く。


 鈴緒も細い腕を伸ばし、控えめに彼へ抱きつき返した。彼のシャツが涙と化粧で汚れることへの配慮も忘れ、ぐりぐりと額も押し付ける。

「銀之介さん、助けて」

 弱々しい声での嘆願に、銀之介は彼女の頭頂部へ頬を寄せてすぐさま応じる。

「当たり前だ。絶対に殺させない」


 銀之介は力強く宣言すると、自分にしがみつく鈴緒から少しだけ顔を離した。

「一度家に戻ろう。歩けそうか?」

「えっと……ちょっと、すぐは無理、かも……腰、抜けちゃったみたい」

 鈴緒は銀之介にすがったまま腰を上げようとしたが、下肢が全く言うことを聞かなかった。ガクガクと震えるばかりで、立つことすらままならない。とんだ乳児あるいはバンビ状態である。


 銀之介は頼りなく座り込んだままの鈴緒の足へ、一度視線を投げてから小さく頷いた。

「そのまま掴まっていなさい」

「え? ――ひゃぁっ」

 鈴緒の膝裏に片腕を回し入れ、そのまま易々と抱え上げた。そしてさっさと祠の外へと向かう。


 相変わらずの揺るがぬ歩調と腕力に、鈴緒は盛大に嘔吐したあの日を思い出してつい笑った。

「わたし、銀之介さんに抱っこで運んでもらってばっかりだね。ごめんなさい」

 涙を拭ってようやく顔を上げると。じっと自分を見下ろす鋭い目と、視線がかち合った。しかし眼鏡の奥の三白眼は、鈴緒を安心させるようにわずかに細められている。

「むしろ役得だ。構わない」


 さらりと無感動に言われると、かえってドキリとした。銀之介も彼女の動揺を見抜いたのか、そのまま視線を前へ向けて淡々と続ける。

「勿論、昼夜を問わずこうして君を運ぶことも、全くやぶさかではない。むしろご褒美だ」


 「ご褒美」という単語で、鈴緒の血色が一気に回復した。

「ご褒美じゃないし、こっちは吝かだから!」

「遠慮しなくていい」

「遠慮じゃなくて、ドン引いてるの!」

 鈴緒が先ほどまでのしおらしさをぶん投げて吠えると、銀之介はかすかに笑っていた。冗談半分であったらしい。


 いいようにからかわれたと察し、鈴緒はふぐぅ……とうめいた。ただ彼の顎に一発食らわせるまたは、腕から無理やり飛び降りるという愚行だけは我慢した。普通に自分の身も危ない。

 それに、横抱きで運ばれるのが存外楽しいのも事実である。さすがは「お姫様抱っこ」という異名が付くだけあり、偉くなった気分が味わえるのだ。


 なので鈴緒は、ふてくされながらも彼の首に抱き着いた。

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