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32:薫陶なのかこれは

 歩く人型嗅覚破壊兵器、あるいはニンニク怪人と化した兄のおかげで鈴緒は冷静さを取り戻せた。

 先見の直後は頭がこんがらがっていたものの、落ち着いて再度記憶を振り返ることで、新たな気付きもあった。


 一つ目は、鈴緒が殺害されるのは、昼を過ぎた辺りだと考えられること。

 未来の自分に意識が入り込んだ際に見えた太陽の位置は高く、また日暮れには程遠かったためだ。

 二つ目は、殺される場所は恐らく大学構内であるということ。


 鈴緒は自分の腕をさすりながら、上記の気付きについて補足する。記憶を掘り返すついでに、死ぬ寸前の凍り付くような寒さも蘇ってしまったのだ。

「……なんとなく見覚えのある遊歩道で、結構きれいにお掃除されてたと思う。あと、遠くに共通棟も見えてたかも……」


 しかめっ面の彼女の言葉に、銀之介も腕を組んで短くうなる。

「見覚えはあるが、馴染みがない遊歩道――裏門の辺りかもしれないな。鈴緒ちゃんが普段利用しているのは正門と、共通教育棟が主か?」

 さすがは大学職員。話が早い。

「そうだね。あと図書館と人文棟と……あ、美術学部の方にも時々行ってるよ」

 鈴緒が挙手して言い添える。


 友人の倫子の出迎えで、美術学部棟も案外見知った場所になっていた。行く度に妙なものを見かけるので、密かなお楽しみスポットでもある。


「分かった。農学部・理学部・経済学部棟の周辺に警備員を配置するよう、掛け合おう」

 銀之介の淡々とした言葉に、鈴緒がどんぐり眼を見開く。

「かけ合うって、誰に?」

「上に」

「うぇっ……それって、学長さん!?」


 入学式でなんか見かけたかなぁ、という大物の気配を察知し鈴緒はのけぞった。銀之介は軽く肩をすくめる。

「いや、前座の部長止まりだ」

「前座」

「そう、前座」


 部長職って前座なのか――鈴緒はほんのりと社会の闇を垣間見た。

(ドラマとかだと偉そうなのに……本当は中途半端に偉い人なんだ……)

 しょっぱい顔の彼女を、銀之介はじっと見た。

「佐久芽市民で、巫女に恩義の無い者はいない。君の危機とあれば、大学も協力を惜しまないだろう」

「そうかなぁ……」

 鈴緒はへらりと笑い、耳を彩るフープピアスをいじった。


「もちろん警察にも連絡済みだよー。しばらく構内も巡回してくれるってさ。裏門とか、農学部とかが怪しいってことも伝えとくね」

 緑郎も明るい声で応じた。

「いやー、積んどいてよかったよ、徳!」

「徳を積んだのはお前じゃなくて、鈴緒ちゃんだ」

 冷ややかに銀之介が指摘する。


「いやいや、おれもちょいちょい酔っぱらって、警察のお世話になってコミュ深めてるよ?」

「それは徳どころか、先方の不信感を募らせていないか?」

 銀之介の疑念を、鈴緒がへッと鼻で笑って吹き飛ばす。

「大丈夫だよ。最初から全然信用されてないと思うから」

「それもそうか」

「やーん! スズたまもひどーい!」


 鈴緒は兄のクレームを丸ごと聞き流し、代わりに一つ閃く。

「あ。犯人が捕まるまで……お友だちとは、事情を伝えて離れてた方がいいよね?」

 自分と一緒にいては、友人達も事件に巻き込んでしまうのではないか。そう危惧しての提案だった。

 しかし銀之介は首を真横に振った。

「君の心配ももっともだが、単独行動はむしろ危険だ。複数人でいた方が君の安全に繋がる」

「でも……」

「それに先見の中の君も、一人だったんだろう?」

「……それは、うん……」


 そう。大学構内の事件であるが、鈴緒は一人だったのだ。先見で視た未来を変えるならば、むしろ誰かとべったり連れ歩くべきである。

 しかし友人が身代わりにならないだろうか、と鈴緒は仄暗い不安に体を震わせる。脳裏には、死ぬ間際の虚無感が再び蘇っていた。


 心細そうに丸まる鈴緒の背中を、銀之介の大きな手がポンと叩く。

「勿論、事情を話す事には賛成だ。その上でお友達にも、無理のない範囲で協力を仰ごう」

「……ん」

「全員が危機感を持っていれば、必ず防げる」

「うん……そうだね」

 彼の言葉に、鈴緒は背筋を伸ばして前を見た。表情も明るさを取り戻す。

 改めて言葉にすれば、彼の案が一番安全だと思えたのだ。


「あ、そうそう! 警察署から、防犯グッズならいくつか貸し出しオッケーって連絡も来てるね。使えるものは、なんでも使おうよ」

 緑郎もそう言い添える。

「それにみんなでブザーとかスタンガンとか持って、ついでに銀之介も連れ回したら超安全じゃん?」


 ヘラヘラと能天気な声に、銀之介は片眉を持ち上げた。

「俺は防犯グッズじゃない」

「まあ、たしかに。どっちかというと、鈴緒のセコムだよねー。月額料金も不要でほんと助かるー」


 この言葉には、銀之介だけでなく鈴緒も顔を歪めた。ついでに頬も赤らむ。

「そんな、四六時中一緒じゃないし!」

「えー、家でも大学でも一緒なのにー? 離れてるのなんて、授業中とウンコしてる時ぐらいでしょ?」

「おっ、お風呂も寝室も、大学の行き帰りも別々でしょ! 大学で顔合わせる方がレアだから!」

 彼と敵対関係にある、と長らく思い込んでいたのだ。大学でそんな頻繁に遭遇していれば、恐らくストレスで病んでいたはずだ。


 専門学校卒の緑郎が、意外そうな声を出す。

「へー、そうなんだ? 職員って割と出番ないのね?」

「問題があれば、いち早く矢面に立たされるがな」

「わー、大変だー……ってかさ――」

 ここで緑郎が言葉を切った。どうした、と問う代わりに二人が首を同方向にかしげる。

「……なんでおれだけ、リモート参加なわけ?」

 鈴緒のスマートフォンの画面に、ふてくされた顔の緑郎が大映しになる。ちなみに彼がいるのは、二階の自室である。


 一階のリビングにいる鈴緒と銀之介が、すかさず答えた。

「臭いからでしょ」

「臭いからだろ」

「ハモんないでよー! 人でなしー!」

 画面の向こうで、緑郎が甘ったるい顔に悲壮感を漂わせて嘆く。

「加害者の分際で被害者ぶるな」

 銀之介が冷淡に返した。鈴緒も兄のニンニク怪人ぶりを思い出し、幼い顔立ちをしかめる。


「今日は出来るだけ、部屋から出ないでよ。出ても残り香で分かるんだからね」

「スズたまもひどーい!」

「うん、酷いのはお兄ちゃんの体臭ね」

「なんか言うこと、銀之介に似てきた!?」

「ぐぅっ……!」

 緑郎のこの嘆きに、鈴緒はたわわな胸を押さえて大いに傷つき、ついでに銀之介はちょっぴり嬉しそうに頬を綻ばせていた。

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