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33:「行けたら行く」レベル

 警察も大学も、対応は早かった。

 緑郎から「先見の巫女が、自分が死ぬ未来を視ちゃったよ!」と、お気に入りのアホ面ウサギのスタンプと共に報告を受けた警察は、その日の内に佐久芽大構内での巡回を始めた。


 そして大学も、翌日には警備員を増強したのだ。いつもなら図書館内や、夜の大学でしかお目にかかれない警備員が、日中のキャンパス内をウロウロ――ついでに制服の警察官も日に何度か見かけるため、学生たちもどこかソワソワと落ち着かなかった。


 鈴緒の視た未来を知らされている職員たちの緊張感は、もちろんその比ではない。ソワソワどころか、とんでもなくピリピリしていた。

 来月には大学入試の共通テストも控えているというのに、大変申し訳ない次第である。


(ううん。本当に悪いのは、人を殺そうとする方だし。わたし、被害者だから。まだ仮の被害者だけど)

 銀之介の車の助手席で、鈴緒は首を振って罪悪感を打ち消そうとしていた。

 対応が早いのは銀之介も同じくで、鈴緒はあの日からずっと彼の車で通学していた。なお下校に関しては、彼の退勤に合わせていると帰宅が遅くなってしまうため、緑郎が迎えに来てくれている。至れり尽くせりである。


 散歩好きの兄とはいえ、毎日大学まで来させるのは申し訳ないなぁと思っていたものの――

「あ、マンガ家の六郎ろくろう先生ですよね? 私、ファンなんですー」

「先生、マジでイケメンだ」

「あの……写真、一緒にいいですか?」

と、リアル女子大生に囲まれてそれはそれは嬉しそうであった。


「いいよ、いいよ! 何枚でも!」

 そんな風にデレデレ顔で安請け合いしていたため、鈴緒の心配は杞憂であったらしい。なんともチョロい男である。そしてグレイシアちゃんへの愛はどこへ行ったのか。


 なお緑郎のペンネームは、本名の漢字を変えただけの「六郎」である。単純かつエゴサーチに弱そうな名前と言えよう。

 彼は専門学生時代、無断で家族のことをエッセイマンガにしてSNSに放流していたところ、出版社の目に止まってそのままマンガ家デビューしたという幸せ者でもある。


 ――そんな呑気でトントン拍子な兄の半生にまで思いを馳せ、鈴緒は眉をひそめた。唇も尖らせる。


「お兄ちゃんってさ、週に一回ぐらいは痛い目見るべきだよね」

 助手席からの突然の物騒な提案に、銀之介は前を見たまま目をぱちくり。

「急だな」

「その、なんか……ふとムカついて」

「そうか。気持ちは分かる」


 分かるらしい。速攻で共感されたため、鈴緒はかえって苦笑いになった。

「毎日お迎えしてもらって、もちろんありがたいんだけどね」

「あいつなりに、君を労わってはいるはずだ」


 ここで会話は途切れた。しばらく沈黙が車内に流れるが、居心地の悪さはなかった。鈴緒もぽんやりと、気の抜けた表情で外へ視線を向ける。銀之介も前を見ながら、時折穏やかな彼女の横顔を眺めていた。


 途中の信号に引っかかった時、銀之介が再度口を開く。

「君が、俺と結婚する未来を先見したと聞いた時、一つの疑問が芽生えた」

 突然の話題に、鈴緒はキョトンとオウム返しをする。

「疑問……?」


「何故土地神は、災害とも無関係な遠い未来を見せたのかと」

「あ……考えたこと、なかったかも……」

 視ちゃった鈴緒は、それどころではなかったのだ。裏拳で兄を沈めた挙句、ゲロってしまう程度には混乱していた。


 しかし直接先見を視ていない銀之介には、一つの仮説があるらしい。

「俺は……君との関係性が、近い将来の不幸に繋がるんじゃないかと考えていた」

 彼の低い声に、苦さが混じる。

「それって、その……結婚云々がきっかけで事件が起きるかもしれないから、土地神があんなラブホの――」

「はぁ!? ラブホっ?」

 危うげなく運転しながら、銀之介は鈴緒を二度見した。器用である。

 ついうっかりの失言に、鈴緒は頬の内側を噛んで動揺を抑える。背中は冷や汗でビショビショだが。


「いえ、なんでも。続けて下さい、どうぞ」

 チベットスナギツネ顔で、なかったことにしようとする鈴緒の無言の圧に、銀之介は珍しく飲まれた。眉をひそめながらも、それ以上の深掘りを避ける。

「あ、ああ……とにかく、君と距離を近付けて良いのか否かまでは、分からないが。今回の君の危機も、ひょっとすると俺が原因かもしれないと思ったんだ」


 陰鬱な彼の声に、鈴緒はチクリと罪悪感を覚える。こちとらバカップルっぷりに動揺しっぱなしで、土地神が未来を見せた意図まで考えが及んでいなかったのだ。

「さすがに、それは考えすぎだよ……時系列だって、めちゃくちゃだし。未来のわたし、五体満足でピンピンしてたよ?」

 図らずも真っ裸な姿を視ているので、五体満足である点は保証できる。


 鈴緒のフォローに、銀之介は少し背中を丸めて珍しく自嘲した。

「ああ、きっと君の推測が正しいとは思う……だが、俺が余計な事をしたばかりに、鈴緒ちゃんが狙われたのではという不安が消せないんだ」

「心配性だねぇ」

「そうだな……しかしその割に、君を諦めるという選択肢は選べなかった。どうしても、君が欲しいんだ」

 鈴緒はその言葉も笑い飛ばそうとしたのに、銀之介の声に込められた熱量に飲まれてしまう。たちまち顔が赤くなった。


「わたし、ものじゃないんだけどっ」

「今のは無礼だったな。すまない」

 無表情に戻った銀之介が、淡々と言った。鈴緒は真っ赤な顔のままうなだれ、かすかに首を振る。


「……別に、謝らなくて、いい。怒ってないから」

「成る程、照れているだけか。満更でも無いなら何よりだ」

「そこ掘り下げちゃうの!? 意地悪だね!?」

 どことなく柔らかな雰囲気が漂い始めていたのに、色々と台無しである。


 鈴緒はじとりと、横目に銀之介をにらむ。そして腕組みをして窓をにらんだ。

「どうせ土地神様が考えてることなんて、分かんないんだし。銀之介さんが原因でも、守ってくれたら別にいいよ」

「勿論だ」

 凛々しく言い切り、銀之介はハンドルを強く握り締めた。

「必ず君を守り――犯人は再起不能にしてやろう」


 後半の、打って変わってドスの利いた低い声から、冗談でなく本気であることが窺えた。鈴緒はひぇっ……と息を飲む。そして脳裏に浮かぶのは、あのどう見ても棍棒な木刀である。


 鈴緒は腕組みをほどき、運転席側へと少し身を乗り出した。運転の邪魔にならない程度に、怖々と彼の顔を覗き込む。

「……あのね。別の事案だけは、起こさないでね?」


 その体勢のままじっと見つめるが、銀之介はしばし無言で前を向いたままだった。それでも鈴緒が真摯に見上げ続けると、ややあって眼鏡越しに視線が向けられる。

「あー、うん。善処しよう」

「する気ないじゃん!」

 今度は打って変わってやる気ゼロの、だるんだるんな声音だったため、鈴緒はたまらず吠えた。

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