「一応、理解はしました。木乃花さん、そういう話は先にしてください」
「はい…。ごめんなさい」
木乃花ちゃんは珍しく怒られていた。
木乃花ちゃんと細野さんはあくまでビジネス仲間であり、メイドさんとは木乃花ちゃんが個人的に雇っただけの関係で、細野さんとメイドさんの間に直接的な関係は存在しないようだ。だから、今回のこともメイドさんには伝わっていなかった。
それからしばらくして、朝ご飯の準備ができたと、メイドさんは俺たちを呼んだ。
「わざわざすみません…」
テーブルに乗せられた豪華な朝食を前に、不要な労働を増やしてしまっていることを謝罪する。
「問題ないです。木乃花お嬢さんからの依頼ですから。お金をもらっている以上、当たり前のことです」
「はぁ…なるほど」
「不知火さん、いただきますね」
木乃花ちゃんが会話が途切れたタイミングで話を切り替える。
「はい! 結城さんもどうぞ召し上がってください」
「いただきます…!」
こんがり焼けた食パンだけでなく、クロワッサンやロールパンなども皿に盛り付けられ、他に肉汁の滴るウインナーやスクランブルエッグ、サラダにベーコンなどなど。ホテルかと思うくらいのちゃんとした朝食だ。
いや、何かがおかしい。
「パンが焦げてる…」
さっきまでキッチンが何やら騒がしいとは思っていたが、こういうことだったか…。
「あはは、ごめんなさい。気が付いたらこんなことに」
「不知火さんは今メイド見習いなんです。大目に見てあげてください」
木乃花ちゃんがメイドさんのフォローをする。
なるほど。メイドとしての仕事の練習中らしい。それなら仕方ないか。
「作ってもらっているんだし、文句は言えないよ。俺もたまに焦がしちゃうし」
そう言いながらフォークでウィンナーを取ると、それもまた黒く焦げ目が付いていた。
◇ ◆ ◇
メイドさんが家にいると、いまいちくつろげない。自分はのんびりしているのに、近くで一生懸命に家事をしているのはちょっと気になってしまう。
「あの…、俺に何か出来ることはありませんか?」
「お気遣いは嬉しいのですが、これが私のお仕事なので。楽にしてもらっていて構いません」
「分かりました。でも何かあった時は、遠慮なく言ってください」
「ありがとうございます。その時が来たら頼るかもしれません」
メイドさんは完璧であろうとするあまり、空回りしていることが多い気がする。もっと肩の力を抜いて家事をするべきなんだろう。
「結城さん! ドミノ倒しやりませんか?」
木乃花ちゃんが大量のドミノが入った箱をいくつか持って来る。今日は祝日で学校がお休みなので、暇なようだ。
「どんだけあるんだこれ…」
千個は余裕でありそうな感じがする。この広い家だからこそ十分にスペースが使えるのだろう。
それから、木乃花ちゃんと一緒にドミノを次々と並べていった。階段にも緩やかな段差を加えて、ちゃんとドミノが下まで続くように置く。
ドミノを置こうとする度に手が小刻みに震える。もし倒したら最初から全部やり直しになる。そして、どうやらそう思っているのは俺だけじゃないようだ。
「ゆ、結城さん。私今、とっても緊張してます。他会社でのプレゼンテーションよりも緊張しています」
さすがハイパー小学生。例えがあまりにも独特だ。
「落ち着いて。ゆっくり置こう。そーっとだよ。そーっと」
「そーっと…」
木乃花ちゃんが手に持つドミノが床に着いた。
「ふぅ…。できました!」
二人で喜び合っている最中、メイドさんが大量の洗濯物が入ったカゴを抱えながら現れる。前がよく見えていないようで、ドミノを踏みそうになっている。
「あっ、危ない!」
案の定、悪い出来事が起こってしまった。
綺麗に並べたはずのドミノが、立て続けに倒れていく。ドミノ同士がぶつかる軽い音がしばらく続いた。
「あっ、あっ、ああ…」
木乃花ちゃんが明らかに悲しそうな顔をした。今にも泣き出してしまいそうだ。
そりゃ、自分が頑張って作ったものを、他人に一瞬で崩されるのは辛いよな。
「ごめんなさい! 私がよく見ていなかったせいで…」
メイドさんは蒼白になりながら必死に頭を何度も下げて謝る。
何というか、めちゃくちゃ気まずい…。ここは俺がどうにか仲裁をしなければ――。
「……てください」
と、木乃花ちゃんが口を開く。
「不知火さんも一緒に、ドミノを完成させるの手伝ってください!」
「許してくれるんですか…?」
「何を言っているんですか、不知火さん。ドミノはそれが醍醐味なんでしょう?」
木乃花ちゃんは早々に立ち直って笑っていた。
そっか。もう小学六年生だもんね。
「分かりました、木乃花お嬢さん。私が全力でこのドミノを完成させてみせましょう」
メイドさんの目は、餌を狙う獣のようにギラリと光った。メイドさんは本気だ。
「俺たちも頑張るぞ!」
「絶対完成させましょう!」
意気投合した俺たちは、全力でドミノを並べていった。さっきの事故の反省を活かし、途中に壁──障害物を置くことにした。
気が付くとお昼を過ぎるまで、夢中になってドミノを並べていた。
そして──
「「「完成だあ!!」」」
木乃花ちゃんの大きな部屋に、ドミノが埋まるまでたくさん並べた。こんなに大量のドミノを並べたことなんて一度もない。
「木乃花ちゃん。せーので倒すよ」
「分かりました!」
「行くよ…。せーのっ!」
最初のドミノが倒された。ドミノは寝室から始まり、階段を降り始める。
「ドミノのご発注で使うタイミングがなかったんですけれど、こうして使えて良かったです」
木乃花ちゃんはもう既に満足そうだ。
ドミノはそのまま階段を降り、リビングをグルっと回ったら、お風呂場へと続いた。
「こんなところまでやってたの!?」
お風呂場までドミノを並べるのはちょっと想定外だった。まぁ、この家のお風呂はめちゃくちゃ広いからな。
ドミノはまだまだ止まらない。いくつかの部屋に入ったりキッチンを通ったりしながら、ようやくゴールの玄関へと辿り着く。
「「「成功だー!」」」
三人で喜びを分かち合う。途中でいざこざがあったけれど、成功出来て本当に良かった。
本気で頑張ったら、こんなにも嬉しいものなんだ。