目次
ブックマーク
応援する
6
コメント
シェア
通報

第3話 簡単に折れたりしない

 ハカネン領から馬車を半日ほど、北へ進めた先に人の国の都がある。

 畑や牧場がほとんどの田舎の領土とは違って、さすが王都。

 石畳の大きな道、背の高い建物ににぎやかな商店街。

 行き交うたくさんの人も、マタレーナには初めて見るものばかりだった。


「見えてまいりましたよ。尖塔のある白い建物、あれが神殿です」


 馬車の外で護衛してくれる騎士が、窓の外からマタレーナに声をかけた。

 指し示された、騎士の指の先を追う。

 白く輝くような立派な神殿が見えた。


(ハカネンの神殿とは大違いね)


 領地が貧しければ、神殿への寄進も十分ではない。

 領主でさえそうなのだから、領民の寄進は言わずもがなだ。


(うちの神殿なんて、あちこちひび割れだらけだったのに)


 長い間洗われたことのない壁は薄汚れていて、壁や柱にはたくさんのひび割れが走っている。

 せめて修理だけでもと願い出る神殿長に、母はとても冷たかった。

 だから今でも、神殿はボロのままだ。


(さすが王都の神殿だわ)


 貧しいと、人は優しくいられないらしい。

 母がよく言っていたことだから、そのまま信じていいとは思わない。

 けれど二人の姉たちのような賢い人は、たぶん滅多にいないんだろう。

 狭い世界しか知らないマタレーナにも、なんとなくわかる。


 ここの神殿は豊からしいから、人は優しくいられるんじゃないか。

 見栄や欲から縁遠い聖職者のいる場所は、きっと居心地の良い場所だろう。

 そう思っていたのに……。



「デカっ!」


 馬車を下りてすぐのことだ。

 マタレーナの目の前を、小柄な少女が立ちふさぐ。

 ふわふわとした金色の巻き毛に緑の瞳の、愛らしいと言って良い、まぁ美少女だ。

 灰色の飾り気のないワンピースはひざ丈で、その上にうっすら黄ばんだエプロンを着けている。


「そんなにデカいなんて。かわいそー」


 薄いピンクの唇が歪んで、くすりと嫌な笑いを浮かべている。


(は?)


 身なりからしておそらくは平民だろう。

 デカいなんて俗語を使っているところから察するに、まともな教育をうけていない層の平民。


(おつむが弱いのかしら)


 貧乏貴族とは言え、マタレーナは子爵令嬢だ。

 まともなら貴族に無礼な口をきくはずはない。

 なによりマタレーナはこの少女と初対面だった。

 初対面の相手を貶すようなこと、たとえ平民同士であってもしないのではないかと思う。


(関わると面倒ね)


 こういう時は下手に関わってはいけない。

 できるだけ相手を刺激しないように、無視するに限る。

 マタレーナは少女から視線を外すと、すいと彼女を避けて足を進めた。


「ちょっ……! 待ちなさいよ!」


 マタレーナの左腕を掴もうとした瞬間、やっと護衛騎士が少女を取り押さえてくれた。


「不敬ですよ」

「わたしは王族になるのよ? そしたらその女よりえらいわ。放しなさい、放せってば」


 金の髪を振り乱していきり立つ少女に、マタレーナは「なるほど」と思う。

 外見の美しさに釣り合うほどの野心を、どうやら少女は持っているらしい。

 準男爵家に生まれて、上の爵位の夫人になりたいと願った女をマタレーナは身近に知っている。


(つまり私の苦手なタイプね)


 この少女も神定の番として、ここへいるらしい。

 それならこの先も、顔を合わせることもあるだろう。


(ますます面倒だわ)


 豊かであれば人は穏やかに暮らせる。

 それは必ずしも正しくないのだ。

 もっと豊かに、もっと贅沢をと野心を募らせる人にとって、現状はいつも不満でしかない。


(どうしよう。どうしたものかしら)


 態度を決めかねて迷うマタレーナを、落ち着いた優しい声が救ってくれた。


「ようこそ、ハカネン子爵令嬢。番保護所長の、ライタ・ティア・パヌラです」


 紺色のドレス、きっちりまとめあげた髪。

 母と同じくらいの年頃の、品の良い女性だった。




 神殿の中庭を抜けた奥に、番保護所にあてられた別棟はあった。

 よく手入れが行き届いているらしい。

 清潔ですっきりとしていながら、けして華美ではない。

 その所長室に、マタレーナは通された。


「来る早々、大変な目に遭いましたね」


 苦笑しながら、パヌラ所長はお茶を勧めてくれる。

 ふわりと柑橘系の香りのする、きっと高級な茶葉だ。


「ここではアレが普通なのでしょうか?」


 彼女とか、あの子とか、穏当な言葉を使いたくなかった。

 躾のできていない、おバカな平民には「アレ」でいい。


「普通ではありませんよ」


 パヌラ所長の薄い灰色の瞳が、まっすぐにマタレーナを見る。


「ただあの子、ミヨネの言うことも本当です。ミヨネは平民ですが、王族の番紋を持っています。王族の番はここでも格別に扱われます。今の身分に関わらず」


 アレが王族になる?

 どこの国だか知らないけれど、大丈夫なのかと他人事ながら心配になる。


「どちらの国かとお伺いしても?」

「ウルライネン、あなたと同じです」


 げっ……。

 声を上げそうになったのを、マタレーナは気合で抑え込む。

 ということはなに?

 ゆくゆくはアレと同じ国に嫁ぐのか。

 そしてもしかしたら、アレの下につかなくてはならないってこと?


「先のことはわかりませんが、あなたのためにも穏やかに過ごされることをお奨めします」


 理不尽だ。

 神定の番になりたいなどと、一度も願ったことはない。

 それなのに勝手に押しつけられて、たやすく拒むこともできないなんて。

 嫌な目にあったと言って、家に帰ろうか。

 姉たちはきっと、マタレーナを責めたりしない。


(でも……)


 胸の中で小さな火花が弾ける。


(最初から逃げるのは嫌だわ!)


 クンと頭を上げて、マタレーナは背筋を伸ばした。


「ご助言、ありがとうございます」


 パヌラ所長は一瞬だけ目をみはってから、ふっと息だけの笑いを漏らした。


「ではもうひとつだけ。こちらではありとあらゆる科目について、学びの機会を用意しています。どうか有効にお使いください」


 あなた次第だと、音にしない声が聞こえてくるようだ。

 マタレーナを試しているような、思いやっているような、どちらともとれる口ぶりだった。


「カリキュラムを見せていただけますか?」


 受けた方が良い。

 直感だった。

 十三歳だからこそ感じられるカン。

 それが正しかったと知るのは、随分先になるのだけれど。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?