ウルライネンの内乱が始まって四年が過ぎた。
王太子ウルマスは、十一歳になっていた。
王弟ミスカは十八歳で、「月白の王子」と謳われた美貌はいやますばかり。その上戦場にでれば鬼神のごとしで、今や国王をはるかに凌ぐ人気と実力を兼ね備えていた。
四年の間、叔父ミスカは小さな戦を繰り返しては確実に勝ちを重ねていた。
内乱が始まったばかりの頃に、ウルマスは一度だけ聞いたことがある。
「叔父上ならば、もっと大きな戦果は思いのままでしょうに。なぜですか?」
金や銀、それに鉄鉱石を出す鉱山は、力のある大貴族の領地にあった。彼ら相手にしかければ、もっと大きな戦果があがる。
叔父ミスカの力なら、そう難しいことではないはずなのにと。
「大きな獲物を狩るにはね、それに相応しい準備が必要なんだよ。準備にはカネがかかるだろう? そのカネがなくてね」
大げさに肩をすくめて、叔父は答えてくれた。
戦には人やモノが要る。
それらを整えるには、まず財力だ。
王家の懐具合が良くないことは知っていたけれど、一領主相手に戦うにも事欠くほどだとは。
状況はウルマスの予想以上に酷いのだ。
それを知らなかった自分を、ウルマスは恥じた。
それでも何か、叔父の力になりたいと戦場行きを叔父に願い出ると、叔父はだめだと首を振った。
「王太子が戦場に出るのは、最後の最後だよ。こんな小競り合いみたいな戦に出て、愚かな王子と笑いものになるつもりかい?」
返す言葉もない。叔父の言うことはもっともだ。
何かしたい、役に立ちたいなどとは幼い戯言に過ぎないし、それを口にしたのはウルマスの甘えでしかない。
結局のところウルマスにできるのは、財政や会計を筆頭とした治世に必要な知識一般、それに軍事知識をできるだけ深く丁寧に学ぶことだけだと悟る。
以降ウルマスは、一度も戦場に出たいとは口にしなかった。
いつ出ても良いように、剣の訓練は続けてはいたが。
いくつ目かの小領地を制圧したという報告が上がったのは、内乱が始まって四年目の秋だった。
小規模ながら銅と鉄の鉱山を含む領地で、他に石炭も少し出るのだと、叔父ミスカは説明してくれた。
「冬の戦は無駄が多いからね。これでしばらく小休止というところだよ」
「そうですね。叔父上のおかげで、冬の間の燃料には困らないでしょう。ありがとうございます」
燃料だけではない。
鉱物はそのまま、南にある人の国へ輸出する。対価として小麦や肉が手に入るのだ。
王城の兵を養うことができる。
「じゃあご褒美に、少しお休みをもらっていいかな?」
「はい。もちろんですが……」
休みが欲しいなど、叔父ミスカが口にするのは初めてのことだ。
「叔父上、お身体の調子が……」
「いやいや、そうじゃないよ」
叔父ミスカは笑いながら首を振った。
「少し前にね、人の国から知らせが来たんだよ。ウルライネンの
「つがいもん……ですか」
獣人族の王族貴族には、創造神ヴェルア様に決められた唯一の伴侶がある。
番紋はその証だ。
狼人族の番紋を持つ女が出たのなら、すぐに迎えに行かなくてはならない。
それがこの世のルールだ。
わかっている。
けれど正直なところウルマスには、神定の番が何よりも優先されるべきというルールに、心からそうだと納得できないのだ。
ヴェルア様は世の中の秩序と平穏を護るため、王族貴族に神定の番をもたらせたという。
だとしたらウルマスの両親は、秩序と平穏を国に与えていなければならない。
現実はどうだ?
無口で大人しいだけだった母を失った後、父は国王としての務めを放棄した。ならば父は、むしろ秩序と平穏の敵ではないのか。そしてその元凶が母だとしたら、無口で大人しいだけでは王妃として失格だったのではないか。
そんな二人を、神が番に定めたということだ。
神に対して不敬ではあるが、とてもありがたいとは思えなかった。
「本当かそうじゃないかは、わからないよ? だけど知らん顔もできないだろう? だからちょっと、行ってこようと思ってね」
行くなら今しかないと、叔父は言う。
その表情は特にいつもと変らない。嬉しそうでも、楽しみで仕方ないという風でもなかった。
「わかりました。叔父上がそうおっしゃるのであれば」
お気をつけてと言い添えて、ウルマスは叔父の希望どおりにした。
できるだけ豪華な支度をするように、側仕えの役人に言いつけるのを忘れずに。
秋が深まって冬が間近に迫る頃、叔父ミスカの一行は旅立った。
予定の行程はおおよそ十日。
滅多にないことだから、ゆっくり楽しんでくると良い。
そう言って送り出した。
けれど一行が戻って来たのは、たった五日の後だった。
「私の番だったよ」
王城に伺候した叔父ミスカは、いつもと変わらない表情でそう言った。
旅装も解かず、帰って来たその足で来たようだ。
「それはおめでとうございます」
番が見つかったのだから、おめでとうで良いのだろうが。
「それで叔父上の番の女性は、どちらにおいでですか?」
「疲れたようだから、私の屋敷で休ませているよ」
片時も離れたくはないとか、半身のような存在だとか、番に関してウルマスが聞いていたことと、今目の前にいる叔父ミスカの様子はあまりにも違う。
どちらかと言うと、あまり喜んでいないようにさえ見えた。
けれど仮にもウルライネンの王太子が、「神定の番」を軽んじるわけにはゆかない。
見たこともない女であっても、叔父の番であれば最大限の敬意を払う。
「それでは叔父上も、彼女とゆっくりお休みください。年が明けたら、盛大にお披露目の宴を用意します。それまでどうか……」
「いいよ、そんなのは」
言いかけたウルマスの言葉を、ミスカが遮った。
甥とはいえウルマスは王太子で、いつものミスカならこんな乱暴な無作法はしなかったはずだ。
驚いて息を飲むウルマスに、ミスカは続けた。
「まだまだ戦は続くんだ。たかが私の番だ。そんな無駄金を使わせては申し訳ないよ」
「たかが」が私にかかるのか、それとも番にかかるのか。
ウルマスには後者であるように感じられた。
(叔父上はご自分の番を、お気に召さなかったのか?)
そんなことがあるのだろうか。
にわかには信じられない。
不審げなウルマスの表情に気がついたのか、叔父ミスカは陽気に笑って見せた。
「神定の番なんだよ? そうそう他の男の目にさらすなんて、できるはずもないだろう? わかってほしいな」
それはかなりわざとらしく明るくて、ウルマスにはなぜか痛々しく見えた。
「そんなことよりいい知らせがあるよ。パヌラ領を知っているかな? 人の国の小さな男爵領なんだけど、そこ小麦やトウモロコシなんかが豊かでね。そこの領主と話をつけてきたんだよ。どう? すごいだろう?」
冬の間の食糧はこれで心配要らないし、来年初夏には次の小麦が入ってくるとミスカは機嫌よく言った。
つい先ほどまでの話題はまるで忘れてしまったように、うきうきと弾んだ様子で心から喜んでいた。
パヌラ男爵領と言えば、穀物と乳製品で名が通っている。そこと取引できるのなら、今のウルライネン王室にとって願ってもない話だ。だから叔父ミスカが喜ぶのは当然で、けして不自然ではない。
けれどなにかが引っかかる。
叔父が話題を急に変えた理由がそのなにかだと気づいたが、ウルマスは知らん顔をすることに決めた。
踏み込んではいけない領域だと、本能的に察したからだ。
「ええ、ありがたいことですね」
「そうだろう? これは今年一番の功績だと褒めてもらいたいね」
そうして思いの他、豊かな冬を過ごした先。
春を迎えるほんの少し前に、ウルマスの父、国王が崩御した。