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第10話 国王の責任

「ウクセン侯ハインツが、陛下ご在位十五年のお祝いと、此度の我が家へのご厚情に心からのお礼を申し上げます。これ以後、ウクセンは陛下に絶対の忠誠をお誓いいたします」


 灰色の短い髪をしたウクセン候は、深々と頭を下げたまま続ける。

 他の獣人国にも名の知れた軍人の一人である彼は、四〇歳をいくつか過ぎたあたりの壮年だ。


(役者だな)


 玉座から見下ろしながら、ウルマスは感心してしまう。もちろん表情には出していないが。

 叔父ミスカ、ウクセン候ともに、これ以上はないくらい芝居がかった城下の盟のシーンを演じている。


「期待している」


 だからウルマスも求められたセリフを口にする。

 あくまで無表情に、なんの感情ものせない声で。




 十二歳で父王を送った翌日、ウルマスは新王として立った。

 その当時のウルライネンは、最北端のリハイム侯領とその東隣のウクセン候領二大勢力に翻弄されていて、即位したばかりの少年王の王権は頼りなく不安定だった。

 だから少年王を補佐する摂政が必要で、王の叔父であるトゥルライネン大公ミスカがその座についた。

 月白の王子の異名を持つミスカが摂政に。

 その知らせを受けて、王宮中は皆安堵したものだ。


(これで内戦終結に、光が見えた)


 銀の髪をした月白の王子は、知勇兼ね備えたウルライネンの至宝だ。

 国内外にその名は響き渡り、好んで剣を交えようとする愚か者はいない。


 ――これで平和が戻る。


 ほっと息をついた皆の心は、明日にでも内戦が収まるのではないかと期待に満ち満ちたのだ。

 だが現実はそう甘いものではなく。

 リハイムとウクセン領の途方もない財力は、その後十五年の長きにわたって戦線を維持させることになる。ため込んだ金や銀、武器の材料にもなる鉄鉱石、それに潤沢に湧き出す油田が、彼らの財の源だった。

 その財あればこそ強力な傭兵団を配備し、十分な兵站を買い支えることができる。人とモノにかける費用を惜しまなかったおかげで、リハイムとウクセン領は王家をしのぐ豊かな暮らしができた。彼らは王家を完全にねじ伏せることこそできなかったが、逆に王家にねじ伏せられることもなかったのだ。


 ウルマスの即位後も長々と膠着状態は続いた。

 長期戦を怖れた国王ウルマスは、リハイム侯爵家に珍しく生まれた女子を王妃にしてはとまで考えた。

 ウルマスの神定の番はまだ現れていない。

 国の安寧のための政略結婚なら、ヴェルア神もお許しくださるのではないかと。


「バカなことを」


 摂政である叔父ミスカは、政略結婚を言い出したウルマスをばっさりと切って捨てた。


「獣人の国の王が、王妃の座と引き換えに和平を願うって? そんなことをしたらウルライネンは未来永劫笑いものだ。それだけは絶対にしてはいけないことだよ」

「笑いものになるならそれでもいい。これ以上の内戦は、国を荒らすだけです」


 当時十五歳のウルマスには、国王の権威より国の未来の方が大切で、自分はけして間違っていないと思えた。

 公私ともに摂政である叔父ミスカに逆らうことはしないできたが、ただ「摂政の良いように」とだけ言い続けていてはいけないと、この時ばかりは頑張ったのだ。


「食うに困らせてないよ。この国の、すくなくとも我らに従う民たちは、他よりよほど恵まれている。冬の食糧、それに燃料だってたっぷり渡してあるからね」


 だがウルマスの頑張りなど、叔父ミスカの前には足下に転がる石と同じ程度だったらしい。

 毛ほども堪えていない様子で、さらに平然と付け足された。


「リハイムとウクセンは、絶対に取る。簡単ではないけどね。そうだな、長くて二十年というところかな。少しずつ包囲網は狭くなっているからね」




 叔父ミスカの言葉は正しかった。

 あれから十二年後の現在、ウクセン候が王家の側についた。

 物資、特に食糧の補給路を断って、じわじわと追い詰めていったのだ。

 莫大な財で支えてきた物資も、入ってこなければ吐き出し続けるしかない。物資の仕入先を少しずつ削られ、運び込む道には王家の軍が置かれた。

 リハイムとウクセン領に入れる物資は、問答無用で押収される。

 まるで追いはぎのように。


 ウクセン候はとことん追い詰められる前に、王家への臣従を誓った。

 余力を残した今ならまだ、王家もそう軽い扱いはできないだろうと踏んだからだ。

 残るはリハイム候領のみだが、おそらくそう長くはもたない。

 隣り合わせたウクセン領が王家に下ったのだ。

 王家の包囲網は、これまでよりさらに狭く密になっていく。

 数年のうちには勝負がつくはずだった。


 王の前にやっと伺候したウクセン候に、王宮の臣下たちは今度こそ恒久的な平和を夢に見ているようだ。

 肩から力が抜けた、ほっとした顔をしている。

 その彼らが仰ぎ見るのは、宰相ミスカの姿だった。

 国王ウルマスではなく。


「畏れ多いことながら、先王陛下と生まれてくる順番が違っておいでになれば……」


 王宮にある貴族なら、よく聞くひそひそ話だ。どのくらい「よく聞く話」かというと、新国王であるウルマスが直接耳にすることもあるほどの話。


(それはそうだろう。叔父上であれば、俺よりよほどカリスマ性がある)


 ウルマス自身も認めている。

 いっそ叔父ミスカが新王に立てばいいのにと思うが、そんなことを口にすれば叔父はウルマスを許さないことも知っている。

 ウルライネンの国王は、必ず黒髪に金の瞳の男子だ。その外見が神に選ばれた証で、だからウルマスは王でなければならないし、銀の髪に白銀の瞳の叔父は王にはなれない。

 ウルマスの父は歴代の王の中で、とびぬけて愚かではなかった。

 けれど歴代の王ではなく、王弟に過ぎない叔父ミスカと比べると、とても愚かに見えた。学問、武術、外見の美しさ、どれひとつとっても父は叔父ミスカに敵わない。

 その理不尽さを、叔父はけして口にしなかった。


(兄を無能だと口にすれば、その無能の弟である身を情けなく思うだろう。そんなことを誇り高い叔父上が、認めるわけはない)


 叔父ミスカは穏やかな微笑の裏に、研ぎ澄まされた刃のような矜持を隠している。

 そんな叔父をウルマスはとても慕わしく、敬愛していた。



「時に陛下」


 目の前のウクセン候が、顔を伏せたまま声を発した。


「ウルライネンの番紋つがいもんが現れたやも。陛下には既にご存知でしょうか」


 ざわっと、抑えきれないたくさんの人々の驚きが、謁見の間に拡がった。


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