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第11話 絶対の信頼は

「ウクセン候ハインツ、その言葉は覚悟あってのことか」


 宰相ミスカの冷えた声が、会場に響く。

 国王ウルマスの答えを待たず、宰相が答えるのは珍しくない。

 けれどこの時、ウルマスにはわずかな違和感があった。


(早すぎる)


 威圧するような宰相ミスカの声、それを発するタイミングが早すぎるのだ。


 ――――それ以上は言うな。言えばただではおかない。


 ウクセン候ハインツを、そう脅しているように聞こえた。


「むろんでございます、宰相閣下。神定のつがいの重さを知らぬ者が、この国におりましょうか」


 相変わらず顔を伏せたままのウクセン候に、ウルマスは静かな声をかけた。


「顔を上げよ。直答を許す」


 ゆっくりと上げられた顔はやや角張った野性的な印象で、貴族家の当主というより武人の棟梁と言う方がしっくりくる風貌だ。


「ウルライネンの番とは、余の番のことか」

「その可能性もあると、申し上げました」

「なぜそれを知った?」


 国王ウルマスにも届かなかった情報だ。

 ウクセン候が先に知るなど、普通ならあり得ない。


「隣国の貴族から。かねてより我が家と親交のある家が、先ごろ番を迎えに参りました。そこで見たと。五角形の重ね紋を」


 ――――五角形の重ね紋。


 城内に動揺が走る。

 五角形の重ね紋は、ウルライネン王族の番の証だ。それを知らない者は、ここには一人もいない。

 そして番のない王族とは、ウルマスただ一人。

 ウクセン候の言葉が真実であれば、ウルライネン王妃になる女性は既に存在するということだ。


「ほう。それは興味深い話だ。後ほど、詳しく聞こう」


 これ以上、ここで話すには微妙な話題だった。

 嘘であれば、せっかく臣下の礼をとったウクセン候を罰しなければならない。

 そして反対に、本当であれば。

 こちらの方が問題だ。

 なぜウルマスに情報が上がってこなかったか。

 玉座の隣に控える宰相ミスカは、黙したままだ。


(叔父上はご存知だったのか)


 視線は変わらずウクセン候に向けたままだったが、ウルマスは叔父ミスカに何らかの関わりがあることを悟っていた。

 ウクセン候が知る情報を、叔父ミスカが知らないとはとても思えなかったからだ。


(叔父上はなぜ無視なさったのか)


 すぐには答えが出そうもない。

 判断するには情報のピースが不足している。


「後で呼びにやる」

「承りました、陛下」


 皆がかたずを飲んで見つめる中、ウクセン候との謁見は終わる。

 なんとも嫌な気配を残して。




 人払いをした執務室、机に両肘をついたウルマスは組んだ手の上に顎を乗せている。

 つい先ほど退出したウクセン候の言葉を、何度も反芻する。


「裏はとっております」


 確かな情報かと尋ねたウルマスに、彼は短く答えた。

 それ以上ウルマスは尋ねなかったし、彼もまた言葉を発しなかった。

 右手を挙げて退出を促すと、彼は静かに頭を下げてウルマスの前から消えた。


 これまで宰相である叔父ミスカには、絶対の信を置いてきた。疑ったことなどない。

 それは内乱の続くウルライネンを治めるために必要なことだったからだが、それだけが理由ではない。幼い頃からの敬愛の情ゆえだ。

 けれどウルマスは既に二十七歳、成人した国王だ。


 ――――信頼しても良いが、それは無条件、絶対のものであってはならない。


 ウクセン候の表情に、声に出さない言葉が聞こえたような気がした。


(わかっている、それくらい)


 幼くして王位についたウルマスは、周囲の大人に対して慎重すぎるほど用心深く接してきた。

 少年王を傀儡にしようとする輩は珍しくなかったし、当時摂政であった叔父ミスカもまだまだ若年だったから二人揃って舐められていたからでもあった。


 ――――人に期待するな。人は裏切るものと思え。


 そう自分に言い聞かせて十五年を過ごしたのだから、絶対の信頼などあるはずがない。あってはならない。

 わかっている。

 だが叔父に対しては、どうだったろうか。

 叔父に悪意があるかもとは、かけらほども疑わなかった。

 どんな忠臣、腹心の臣であっても、七割の信頼と三割の疑心を。

 君主であれば忘れてはならないと教えられた帝王の心だ。


(三割の疑心か)


 苦い思いをかみしめて、ウルマスはふと思う。


(神定の番なら、疑わずにすむのだろうか)


 誰にも絶対の信頼をおいてはならない国王が、唯一心を許せる相手として神が与えた存在だという。

 王の心が孤独で折れてしまわないように。

 ウクセン候の言うとおりなら、誰かが故意にウルマスの番の存在を隠したことになる。

 その狙いが何かははっきりしないが、ウルマスのためではないことだけは確かだ。


「確かめるか」


 声に出して、ウルマスは呼び鈴を鳴らす。

 姿を見せた近侍に、侍従長を呼ぶように言いつける。


「祝賀会を開く。皆には必ず妻を同伴し出席せよと。すぐ手配するように」


 初老の侍従長はわずかに目を見開いたが、すぐに表情をあらためる。


「かしこまりました、陛下」


 深々と頭を下げて退出した侍従長を見送って、ウルマスは苦笑する。


(驚いたようだな)


 ウルマス自らが祝宴の指示を出すなど、初めてのことだ。

 これまでどんな些細なことも、宰相ミスカに諮った後、宰相から皆に下ろさせていたから。

 それはウルマスが宰相である叔父ミスカに与えた信頼と二人の絆を知らしめるものだったが、結果として「国の大事は宰相閣下なしでは決められない」と周りに思わせてしまった。

 二十七歳にもなった国王が、いつまでも宰相の庇護下にあるような印象では威信に関わる。

 かといっていきなりすべてを国王の親政にするのは、やりすぎだ。


(祝賀会の開催くらいがちょうどいい)


 適当な落としどころだと思う。

 それとは別に、この祝宴について叔父ミスカに相談しなかったのには別の理由があった。


(妻の同伴を、叔父上は嫌がるだろう)


 叔父ミスカは、もう十年以上も前に神定の番を迎えているが、その妻を人前に出すことを極端に嫌うのだ。

 ウルマスが歓迎の祝宴をと言っても、なかなか首を縦に振らなかった。

 やっと表に出した妻の姿を見たのは数えるほどで、それもほとんど言葉を交わせないままだった。妻の側に貼りついた叔父ミスカが、ウルマスからの問いに代わりに応えてしまうからだ。

 神定の番は唯一絶対の存在で、他の男には見せるのさえ嫌なのだと言われれば、そうかと頷くしかない。

 確かにそうやって番である妻を囲い込む貴族は叔父だけではなく、他にも幾人かあった。

 けれどそうではない貴族もいた。

 彼らは番である妻に魅せられた己を恥じるどころか、むしろ幸せを見せつけるために妻を連れて宴に出席している。


「妻は私のすべてです」


 盛大な惚気を臆面もなく口にするのだ。

 大勢の人の前で。

 そうして惚気る夫の前で恥じらう番は、皆可憐で美しく愛らしかった。

 番をいまだ持たない貴公子が羨ましく思うほどに、彼らは幸せそうに見えた。


(叔父上は違うのか)


 ちらりと思って、ウルマスは首を振った。

 たとえそうであったとして、それはウルマスが立ち入って良いことではない。

 今確かめる必要があるのは、王族につながる血筋の男で番を持たない者がいるか否かを確認することだ。

 これは宴を待たず、簡単に解決するだろう。


 そしてもうひとつ確認すべきこと。

 こちらこそがかなりの難題だ。


 叔父ミスカが知っていたか。

 ウルマスの番の情報を。


 叔父ミスカが素直に答えてくれるとは、とても思えなかった。

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