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第23話 関わりたくないのに

 小麦の収穫は順調に進んでいる。

 今年は例年より豊作で、備蓄にまわす量も十分に確保できそうだ。

 もともとパヌラ領の小麦は寒さや雨に強く、他の産地の小麦が不調の時も安定した量を生産できるが、今年は特に優秀だった。

 穂の実入りもずっしりと重く、品質の良い粉がたくさん挽けそうだ。


「炭は足りてる?」


 籾だけにした小麦の袋が保存庫に運び込まれて行く。

 その作業を見ながら、炭蔵の貯蔵量をマタレーナは気にかける。

 国境近くの森で焼いた炭は、半分は生活用、残り半分は小麦の乾燥材として使われている。

 今年は熟練の炭焼き担当が亡くなって、去年に比べると質も量も落ちたと報告が上がっていた。


「もし足りないようなら、燃料には石炭を買い足しましょう」


 自領生産の木炭で賄えなければ、多少金はかかるが仕方ない。

 領民の暮らしを守るのは、領主の仕事だ。


「できれば木炭の方がありがたいのですが……」


 保存庫を管理している青年が、赤毛の頭を少し傾げて言いにくそうに口にした。


「石炭は臭いますし、燃料としてしか使えません」


 木炭は家庭でも、燃料の他に乾燥材や浄水用にも使われている。

 それに後始末が簡単だ。

 石炭は燃えカスの処理に手間がかかるが、木炭ならば灰になっておしまいだ。灰なら畑にまくこともできる。


「わかった。王都の商会に聞いてみるわ」


 下の姉アーダの夫、義兄の商会に頼めばなんとかなるかもしれない。

 ウィスキーの出荷量をちょっとだけ増やすと言えば、たぶんなんとかしてくれるはず。


「アレにだけは気をつけてね」


 名前を出すのも嫌なモノを、マタレーナは「アレ」と呼ぶ。

 この場合のアレは、ネズミのことだ。

 収穫後には、ネズミの動きが特に活発になる。

 保存庫にしのびこんだ灰黒色のネズミを初めて目にした時、たいていのことには驚かないマタレーナもさすがに悲鳴をあげたものだ。

 アレは不気味だ。

 かつてハカネンで見た白くて小さなネズミとは、別の生き物だった。

 大人のこぶしくらいある身体に長い尻尾、尖った耳の下に輝く赤いふたつの目。

 鳴き声も「ぎぇー」と、まるで怪物だと思った。

 パヌラ領では普通のネズミなのだそうだが。


「バネのしかけとかお団子とか、足りてるわよね? 少しでも不安なら、すぐに買い足すから」


 屋根裏や床下、それに保存庫の中、ネズミの通りそうなところにしかける罠だ。

 ネズミ捕りの団子には、ホウ酸を使う。

 致命傷にはなりえないが、動きをとめることはできる。

 その後は、保存庫警備隊がなんとかしてくれる。

 とても優秀な隊員が、各保存庫に配置されているから。


「ご褒美の魚とミルク、惜しまず出してあげてね」


 パヌラの穀物を護るのは、訓練された賢い猫たちだった。

 リーダーは七歳になる黒猫で、配下の部下たちは彼女の息子や娘がほとんどだ。

 彼らはホウ酸団子で弱ったアレはもちろん、活発に動くアレも難なく捕まえて始末してくれる。

 実に優秀だ。

 欠点があるとすれば、捕まえたアレを手柄顔をして見せびらかしにくることくらい。

 まあそれは、マタレーナが見ないように気をつければいいことだ。



 昼過ぎ、マタレーナは一度屋敷へ戻った。

 保存庫に収めた小麦の数量を整理しがてら、遅い昼食をとるためだ。

 朝早くから外に出たままで、さすがに空腹だった。


「なにか軽いものをお願い」


 仕事をしながら食べるのは、お行儀の良いことではない。

 けれどこの時期は忙しいのだ。

 細かいことを言わないでほしい。

 マタレーナの言いたいことは、老執事に十分伝わったようで。


「承知いたしました。すぐにお持ちいたします」


 あっさり引き下がってくれた。

 ライ麦のパンにコショウのきいたハムと玉ねぎを挟んだものが執務机に置かれたのは、それから五分後のこと。

 間違いなく、あらかじめ用意してくれていたに違いない。


「ありがとう」


 礼を言ってサンドウィッチを手にしたマタレーナの前に、老執事は淹れたばかりのコーヒーのカップを置いた。


「王都の男爵様から、急ぎのお手紙が届いております」


 執務机の文箱の一番上に、現在の母パヌラ男爵の筆跡でヴィーチェ・ティア・パヌラの宛名が見えた。

 宛名の上にある赤線は、至急の合図だった。


(いいことじゃないわね)


 良い知らせなら、急ぐことはない。

 急ぐどころか至急扱いとなれば、困りごとか凶事か、あるいはそのどちらともかもしれない。

 番保護所長としての母と長く付き合ってきたが、彼女が負の感情に取り乱すのを一度も見たことはない。

 その彼女が至急というのだ。

 覚悟を決めて、ペーパーナイフで封を切った。



「これは確かに厄介ね」


 母の寄こした手紙に目を通した後、マタレーナは眉間に指をあてて目を閉じた。


(あのバカ女の父親が、パヌラの小麦の買い付けにくるだなんて)


 母の手紙によれば、ミヨネの父はもともと王都で粉屋をしていたらしい。

 ミヨネがウルライネンの大公妃になった後は、娘の夫からの援助金でなに不自由ない生活をしていたようだが、何もしないで暮らすことに彼は飽きたという。


「まっとうに働いて稼いだ金で遊ぶんじゃなきゃ、楽しくなんかないさ」


 そう言ってまた粉屋を始めたとか。

 ミヨネの父にしては、案外マトモな男らしい。

 再び始めた粉屋稼業に、どうせやるのならと欲をかいたのは彼の妻、ミヨネの母だったという。

 母はウルライネンのミヨネに手紙を出して、相談したいことがあるから一度家へ帰って来てほしいと訴えた。

 そして里帰りしたのが、つい最近の事だ。


(なるほど、そういう事情だったのね)


 あのバカ女ご一行様が、刈り入れの繁忙期にパヌラ領に立ち寄った日を思い出す。

 忘れたはずのイライラが蘇ってきて、マタレーナは首を軽く振った。


(イライラする価値のない記憶よ。とりあえず目の前のことに集中しないと)


 ミヨネの母は、どうせならウルライネンに届ける小麦を一手に引き受けられるように手配してほしいと頼んだらしい。

 ウルライネンの大公妃なら、そのくらいのことできるだろうと。

 ミヨネはウルライネンの小麦がどこから来るのかなど全く知らなかったから、人の国の王宮へ行ってエラそうに命じた。


「ウルライネンに出す小麦、うちのお父さんが全部扱うから。そうできるようにうまく取り計らいなさい」


 ウルライネンの大公妃の言とあって、すぐに王宮からパヌラ男爵、つまりマタレーナの母に事情が伝えられたということだ。



「うちからウルライネンに出す小麦をすべて、ミヨネの父の商会を通すようにということです。我が国の王からの依頼だから、知らん顔もできないでしょう」


 手紙の文字の向こうに、苦笑している母が見えた。


「ミヨネの父は粉の専門家だから、粉専門の商会を立ち上げてもやりとげるだろう。無茶苦茶だと思いますが、そんな理由で王宮が商会長にしたてあげたのです」


 小麦を挽いて粉にするのが、ミヨネの父の仕事のはずだ。

 粉になる前の麦を他国へ売りさばくのは、専門外に違いない。

 だが「小麦は小麦だ」という無茶苦茶な理屈が通るらしい。

 なにしろ今のミヨネは、ウルライネンの大公妃なのだから。


「パヌラの小麦について、王宮にあれこれ言われる筋合いはありません。だから全く無視しても、罪には問われないのです。けれどミヨネのあの性格は、あなたもよく知っているでしょう。多少は譲っておいた方がいいのではないかと思うのです」


 なるほど。

 確かに母の言うとおりだ。

 地方の領主は毎年国に税を納めているが、取引についての決定権は領主にあって、たとえ国王といえども口を挟めない。

 だから今回の王宮の依頼は、あくまでもお願いであって命令ではない。


 だが相手はあのミヨネ、おつむの弱いあの女だ。

 お頭が弱い上に意地と根性はとびきり悪いのだから、変に刺激しない方が良いかもしれない。


「全部を渡すのは怖いから、一割程度だけ渡すのはどうかと思います。取引額はこれまでどおりという条件なので、とりあえず損ではありませんが……。後は現場のあなたの判断にまかせます。良いように、よろしくお願いしますね」


 領主である母に言われれば、そうするしかない。

 けれどどうにも嫌な予感がする。

 ミヨネが関わる取引など、できれば金輪際願い下げだというのに……。


「保存庫の管理責任者を呼んでちょうだい」


 仕方ない。

 覚悟を決めて、老執事にそう言いつけた。

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