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炭鉱の村の占い師


 深い黒。

 胸に染み込む闇色。


 ずっと、ひとり、その星の無い夜空の中に、漂っているような気がする。


 窓の外に浮かんでいる灰色の雲に、セトは小さくため息をついた。

 ――今夜は、綺麗な夜空は見えそうにない。


 炭鉱が人々の暮らしを支えているこの山間の片田舎で《占い師》をはじめて、もう一年くらいか。

 誰もいない机上で今日最初の絵札を並べていく。仕事始めにどんな客がくるのかを占うのが習慣だ。

 毎日同じような出方をする絵札が、今日はすこし違う展開をみせた。

 なんだか辻褄が合わない意味の組み合わせに、首を傾げる。


「終わりの 旅立ちと 待ち人 ……?」



 グラディウス大陸


 世界地図は、この大きな大陸の中に幾つかの国境線をひく。

 北の大国。東に広がるゆるやかな土地の2つの大国。西に河川で分断された3つの国。

 そして大陸の中心には、魔女の土地。

 メルド湖沼地帯と呼ばれる、魔物が出現する湿原が広がっている。


 魔女が魔物を駆使し、恐怖で国々を抑圧することおよそ300年。

 人々は、こう認識している。『この世界は、魔女によって支配されている』 ――と。




 秋が近付く季節。

 今日は村一面を濃霧が覆っていて、この酒場だけが暖かい明かりの中で賑わっている。


「君は、人生の芯になるものを決めた方が良い。表面だけで取り繕ってやり過ごす日々は将来を追い詰めるよ。好きな事、大事にしている事……何かきっかけになりそうなものはあるかい?」


 静かな微笑みを向けられた村の青年は、困惑の色を浮かべた。

 ……この村の人達は、日々生活する目の前の事しか考えていない。片田舎の小さな社会。閉鎖的な環境は、そこに住む人間の思考をも閉鎖的にする。


「……特に無いっす。子供のときから炭坑で働いて、他に何かやった事もねーし。……何かしたほうがいいっすか?」

 でも何を? という顔で真面目にじっとこちらを覗き込んでくる。そんな答えだろうと思った。

 自分の事なんだから自分で考えてほしいところだが、その手助けをするのが占いの役目だ。


「そうだね。でも大きな事じゃなくて良いと思うよ。仲間を毎日一回は必ず笑わせるとか、彼女のために貯金するとか。身近な所から考えてみる事だね」


 目の前の青年は、真面目にじっと自分の中を見つめたようだ。

 うん。あとは自分でゆっくり考え込んでもらおう。対価時間の目安に使う砂時計も落ちた。

 では、と切り上げたその時。

 突然、バンと爆音がしてその場が吹き飛んだ。


 「っ……?!」

 ドッと背にしていた壁に叩きつけられ、鈍い衝撃が頭に響く。

 何の爆発事故だ? それともだれか魔法でも失敗したのか?

 そっと目を開けるが視界がぼやけて周囲の様子がわからない。慌てふためく喧騒だけがきこえる。


 こんな田舎にしてはめずらしい事件が起きたなと思ったところで、誰かが自分に触れているのに気付いた。見えないからどうなっているのか分からない。だけど、震えた声が耳に入ってきた。

「セトさん! だ、大丈夫ですか……?!」

 この声は、さっき目の前に座っていた青年だ。


 硬い靴音が酒場に踏み込んできた。シャッと剣が鞘を離れる音が空気を切る。

 それでも傍らの青年は逃げる様子がない。盗賊が来たのなら、逃げてあたりまえなのに。


「そこの占い師を渡して貰おう。それですぐに失礼する」


 一方的に命令する固い声に、青年が震えた。

 圧倒的な威圧感。しかしなぜか誠意も滲んでいる気がする。……盗賊じゃないのか?

 そもそも自分はただの占い師なのに、どうして突然指名されてるんだろう?


「よ……余所者が、何を、偉そうに」

 傍らの青年が震えたまま声をあげた。

「……こいつ……」


「おいおい、なんだお前、迷惑だぞ!」

 状況をのみこんだ酒場の客達がぞろぞろと割って入ってきてくれる。やはり盗賊ではないのか。

「コラァ! 何処の誰だ?! アタシの店で揉め事起こしてんじゃないよ!」

 女店主の罵声が一瞬で闖入者の威圧感を上回った。


「……一旦退くわよ。無理強いして一般人を巻き込む訳にはいかないわ」

 仲間がいたのか、小さく女の声がした。男は小さく舌打ちして踵を返す。


「誰だか知らないけど出入り禁止だよ! この村からも出ていきな!」



 ……気持ち悪い。ぼんやり人影が見えてはいるけれど、目が回るような感覚もする。

「誰か、治癒魔法を使えるひとは……」

 さっきから傍についてくれている青年は、震えたまま左右に声をかけた。

 侵入者がいなくなって皆が安堵したところに、この言葉だ。今度は心配する声に満ちた。


「炭坑医に頼むしかないね。魔法とか使える奴がこの中にいないのは、君もよく分かるだろう。とにかく今はうちの休憩室に運びな。ちょっと、誰か呼んできて! ほら、あとは片付けだよ。片付け! あ~あの男、探し出して弁償させてやる!」

 てきぱきとした女店主の言いつけに炭鉱で鍛えられた筋肉質の男達が従う。


 セトは青年に支えられて店の奥の休憩室で横になった。

 目に冷たい布を当てられて、ほっと息をつく。


 呼ばれてきた医者に簡単な治癒魔法をかけられて、やっと頭と視界がすっきりした。

 ずっと傍にいた青年の顔がすぐ近くにあって、その目が嬉しそうにぱっと輝く。


 「見えますか? よかった……。目は怪我してないのになんで見えなくなってたんですか?」

 彼がほっとした顔を横に向けると、その先で医者が大きな欠伸をしていた。

「頭打っただろう。まったく昼も夜も怪我ばっかりしやがって。……まぁ、むさくるしい患者じゃないだけまだマシだな」


 ボサボサ頭で胡散臭さを絵にかいたような炭鉱医は、こちらをみてニタリと笑った。

 ……嫌な笑い方だな。


「治癒して頂いてありがとうございます。医療費は幾らお支払いすれば良いでしょうか?」

 目に強い謝意を込め、控えめな声色を作って医者の顔を覗き込んだ。


 医者はニヤニヤしたまま、片手を振る。

「いやぁ、いい。たいした治療じゃねぇし。今度俺も占ってくれればいいさ。今日は安静にしてしっかり休みな」

 医者は満面の笑顔で手を振って帰っていった。


「すげぇ。あの医者しつこいので有名なんっすよ。こんなにあっさり帰るなんて」

 青年がさわやかな顔をこちらに向けて笑う。セトもそれに小さく笑ってみせた。

「人は逃げようとするものほど追いかけたくなる。受け流せばいいんだよ」


 気付けば店の休憩室に彼と2人で取り残された格好になっていた。


「ところで改めて、ありがとう。君が庇ってくれなかったら、誰かに連れて行かれてるところだったね。僕も、そもそもは余所者なのに。何かお礼をさせてくれるかな」


 彼には下心のような気配はない。自分でも珍しいと思う素直な感謝をむけた。

 誠意から出た行動には、誠意をもって応えたいと思う。


「お礼なんて――――」

 彼は首を横に振ってから、ふと動きを止めた。

 そして、真顔で膝を揃える。

「俺、イアン=ライトっていいます」

 なぜか自己紹介がはじまった。これは次の言葉がみえてこない。


 とりあえず、頷いてみる。

 イアンは少し息を吸って、こちらをまっすぐに見つめてきた。


「貴方を守らせてください」

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