イアンのまっすぐな誠意。
確かに、さっきの占いでは自分の中で大切な何かを決めたほうが良いと言った。
絵札の展開を直訳すると、『目的を見失った惰性が人生の発展を邪魔しているからけじめをつけないといけない』というものだったからだ。
それがまさか、占い師を巻き込むものになるとは。
彼自身も絵札と向き合った時には思いもしていなかったに違いない。
ふ、と心地良い気分が胸にひろがる。
「僕には、襲ってきた人が何なのかわからない。だから何から守って貰う事になるのか、わかってない。それでも、そんな事を決めて、いいのかい?」
「俺が、そうしたいと思ったんです」
もう、さっきの占いは役目を終えた。
この閉鎖的な村で、こんな面白い事になるなんて……。
また同じような事態になった時、イアンがどう対応するのかが楽しみだ。
「わかったよ。よろしくね、イアン」
そうポンと肩を叩いて横になると急に眠くなってきた。毎日屋内で過ごしてきたから体力が落ちていたのだろう。
セトはそのまま、すうっと眠りの中に落ちていった。
野営の火を囲んだ男女が、難しい顔をつき合わせていた。
保存食のパンを炙って齧り、飲み込んで、男が声を溢す。
「村人があんなふうに庇うとは……。奴らにとってただの占い師の筈だろう。それとも何か魔法でもかけてあるのか? 本人に危機が迫ったら自動的に守られるような……」
「そうね……可能性は薄いけど、催眠術みたいなものの応用なら、ありうるかも知れないわ」
「それだ、村全体にかけてあるに違いない。くそ、一般人になりすましてるからといって、甘くみたな。本気でかかるか……」
「ちょっと、村人を巻き込むのは駄目よ」
男の赤い目が野営の火に光ったのをみて、彼女は相棒を睨みつけた。
「大体催眠術もありうるってだけで、簡単に醒めちゃうものよ。普通に村の人に慕われているとみるべきだわ。例え私達が知らないような凄い催眠術だとしても……だからこそ、慎重にならなきゃ」
「じゃあ、どうすればいいんだ」
苛立つ声が、火の中に消えていく。
あのまま力ずくで占い師を連れ出してくる事も、不可能では無かった筈だ。
なのに、なぜ自分は……自分たちは、あそこで躊躇ったのだろう?
最北端の大国、リーオレイス帝国。それが二人の出身地だ。
寒地でありながら豊かな資源を効率的に活用し、絶対帝王政のもと厳しい法律と規則によって人民を厳格に育て、治めている。閉鎖的な祖国を出て他国を渡り歩いた二人には、穏やかな気候の国々と比較すると決して良い国だという客観性は持てないが、それでも帝国民としての誇りはある。
しかも今回の任務は帝王直々の勅命。失敗は許されない。
任務の内容は、『魔女探し』。
『魔女探し』を自称する小集団の旅人は、昔から全国各地に存在している。
もとは現状に不満を抱く平民であることが多く、魔物狩りをしながら、最終的には魔物の脅威で世界を支配している『魔女』を倒すことを最終目標にしている。
ただし、そんな自由行動の集団には安定した資金源が無い。
世界中を歩き回りながら魔物を退治した報奨金を糧にしており、それで生計を立てて満足してしまう人間も少なくない。
そういう現実が300年ほど続いている。
300年ともなれば、魔女の存在そのものを疑うべきだ。
しかし自分達も実際に調査した結果、"魔女の存在が各国を脅威支配している"のは、事実としてある。
魔女という存在が継承されているものなのか、不老不死でも手に入れたのかは分からない。
そして魔物の温床であるメルド湖沼地帯は人が住めるような環境では無い。
それは300年の間に命を賭して探索した先人の魔女探し達の結論だ。
だから、魔女を倒したいのなら、まずは探し出す必要がある。
リーオレイス帝国は、厳格な国だ。国民性も合理性の塊のような人間が多い。
そういう国が任務として2人に魔女探しをさせているのは、理論の上ではこの2人がこの任務を遂行出来ると期待しているからだ。
2人の任務は、まず情報を集めて纏めるという地味な作業から始まった。
近年魔女に関わったと思われる場所を歩き情報を拾い、足跡を辿っていく。
魔女がいる、という情報は多い。だがその実態はすべて虚構でしかなかった。
外見に共通点はなく年齢層も定まらない。よく話を聞いてみれば、地域の悪者にされている一般人か魔法使い。 つまりそういう情報は大抵、ただの嫌われ者だ。
人間への聞き込みが無駄だと悟った2人は、大きく見方を変えて『魔物』に聞いて廻った。
リーオレイスの人間としての意地が、諦め以外の選択肢を創り出したといって良いだろう。
人語を喋るような魔物は、強烈に手強い。実際、旅程で得た人員は途中でほとんど戦死している。
それで魔物に喋らせることができた内容は、人為を介さない、有力な情報だった。
その情報を重ねた結果の上に、この炭鉱の村の、あの占い師がいる。
『本当に隠したいものは、普通、ありえない、と思うような所にあるものだ』
そう呟いた吸血鬼の暗い色の目が、胸裏に浮かぶ。
ありえない所に、ありえない在り方をして、世界の一部に確実に存在するもの。
「あの占い師で間違い無い筈だ。必ず確保する。……あいつらを無駄死ににはさせない」
これまで様々な手強い魔物を相手に戦ってきた。だが、人間相手は苦手だ。
本当は身分を明かして説得するのが一番良いだろうが、意気込んで押し入ってしまったせいで、まずはそれを取り繕う必要がある。
それは帝国人として好ましいものではないし、そんな事をしている間に逃げられてしまっては仕方ない。
「それにしても、可愛い顔をしていたわね。男なのに、女の子みたいな感じもしたし」
相棒は小さく呟いてから、もうひとつ、声をおとした。
「それはそうよね……魔女なんだもの」
そうだ。
どんな容姿でも関係ない。
仲間の命と引き換えにした情報の結果。
あの占い師こそが、世界を統べる魔女だ。
「奇襲する」
「…‥それは……」
眉をひそめた相棒に、男は真顔をむけた。
「まさか今日の今日ではもう来ないだろうと思っているだろう。不意を衝いた方が、余計な一般人を巻き込むこともない」
セトはふと夜中に目を醒ました。
いつのまにか休憩室から2階の借部屋に運ばれたようだ。
男ひとりを2階に抱えて運ぶとは……と思ったが、この村の人間は全員筋肉質だ。運動不足の自分を抱えるのなんて簡単だろう。
それにしても、抱えられても起きないほど深く眠り込んでしまっていたらしい。
天窓の外は真っ暗だ。今日は霧が濃いせいか、星のひとつも見えない。
「僕は……どうして狙われているのかな」
呟いた独り言に、寝台の傍で誰かが目を醒まして身じろぐ気配がした。
どうやらイアンが寝台にもたれて一緒に眠ってしまっていたようだ。それにしても、こんな所で眠らなくても良いだろうに。
「目が見えてなくて何だか分からなかったんだけど、盗賊じゃないんだよね」
そっと話しかけて、寝ぼけ眼のイアンを起こす。
イアンはぼうっと目を擦りながら頷いた。
「ええと……盗賊にしては、金回りが良さそうな感じで、真面目そうでした」
「真面目そう、か……」
改めて自分が狙われている原因を考えてみたものの、まったく心当たりがない。
以前滞在していた都市での占い客の逆恨みだろうか? しかしそんな占い内容の客はいなかった筈だ。
一介の占い師が客の人生に直接関わる事はないし、占いが絶対ではない事も言い添えてある。
そう考えると、今はとても特別な状態だ。
イアンは初めてセトの「占い師」ではない所に入ってきた人間だ。
そう思いめぐらしていると、彼が不自然にそわそわしているのに気付いた。
「どうかした?」
「いえ……なんだか昼間の奴らに狙われている感じがして……。こんな時間帯ですが、どこかに移動しませんか?」
なるほど。
さっきから外で人が動いている気配がするのは、店主や客ばかりとは限らないか。
ゆっくり身体を起して、不安な顔のイアンに内心苦笑した。
守って貰うのは良いけれど、かなり頼りない。
「じゃあ、店主を呼んで来て貰えるかい?ここに迷惑をかけた訳だし、黙って消えるのも良くないしね。宜しくね」
背中を押して、戸惑うイアンを部屋から押し出す。
静かに扉を閉めて、さて、と息を吸った。
「――――治療費の支払いに来てくれたのかな」