砦町の朝はやはり冷える。
シェナの拠点の寝台のなかで、セトは薄い毛布を掻き抱いて小さくくしゃみをした。
一人分の寝具しかない中、女の子の家主の毛布を分けて貰う訳にはいかなかったし、寝台の端で横になる許可を貰えただけでもありがたく思うべきなのだけど。
遠く、教会の低い鐘の響きが鳴り渡ってくる。
高い音で時刻を知らせる教会の鐘には、低く打ち鳴らして葬儀があることを告げる役目がある。誰でも立ち寄る教会にとって、葬儀がある場合は立ち入りを遠慮して貰う必要があるからだ。
死者の人数分だけ鳴る低い音は、10回以上は響き渡っていた。
「魔女探しかな……ジノヴィが殺ったのかな?」
「うーん、否定できない状況がちょっと嫌だね」
シェナは眉をひそめながら荷物の紐を締めた。いつ耳にしても気持ちの良い音ではない。手足に仕込んだ装備の点検も忘れない。
曖昧な返事をしたセトの手の中には、石がある。すっかり存在を忘れていたが、シルヴィス王子から貰った三角の小さな宝石だ。
最初に貰った時はただの濃い青色で特別な特色は無かったと思うのだけれど、いつのまにか青の透明度が増して、内側に掘られた文様が現れてきていた。
後ろから顔を出して覗き込んだシェナが、おもわず明るい声をあげた。
「なに、凄いの持ってんの? 魔法の威力が上がる紋だよね。内側に彫ってあるのなんて初めて見た! どうやって彫ったんだろ? てか、これ使ってれば昨日、もっと楽に魔法使いこなせたんじゃないの?」
「――ああ、そうか」
意識していなかったけれど、昨日の時点で、その効果に頼っていたのかも知れない。
ただ、シルヴィス王子は、『護身用の魔法を増幅して使える』と言っていた。その本来機能に沿って使えれば、もっと威力が上がるのだろう。
セトはひとりで納得してから、あらためて手元の装備を確認する。
旅装のままだと、街の中を徘徊する魔女探し達にみつかりやすい。この土地の普段着をシェナから借りているのだが、買ってみたけれど趣味に合わなかったという暖かな襟巻きが気に入っていた。首まわりがふんわり暖かいと、寒々とした気持ちが温む気がする。
一旦首に巻いたその襟巻を解いて、その布地の隅に魔法の威力を上げる石の紋と同じものを書き込んだ。
勿論、これだけでは機能しない。
魔法道具にするには、目的の作用をするように、その物品に魔力が入った時の働きを覚えさせる必要がある。
模様は、媒介の役割をもっている。占術書にそのやり方の記載があった。
占いに使っていた絵札も一種の魔法道具としての機能を自分で与えたものを使っていた。
だから、簡単な魔法の機能を物品に与える魔法は、実はわりとまともに使える。
「何してんの? もしかして、同じもの作れるの??」
すぐそばで好奇心いっぱいに喋られると、この集中力がいる魔法作業はできそうにない。
「そうだね。この襟巻きが、ちゃんと魔法道具になったら、買値の五倍で売れると思うよ。集中するから、少しだけ静かに待ってて貰えるかい?」
期待通り。そわそわした室内の空気が、すっと落ち着いた。
きちんと膝をそろえて座ったシェナが可愛いなと小さく笑ってから、改めて模様を書き込んだ襟巻に体を向ける。
青い宝石を左手に持ち、襟巻きを右手に持ち、息を整える。
これは宝石の機能の複製だ。まずは宝石に魔力を与える。
それに反応して作用しようとしている魔法機能を、左手の襟巻に、写し込む。
『天と地の間に於いて、汝、人の手による造形物に役目を与える。
これより後、我等が呼びかけに応え、数多の災難より、我等を護る。
汝、一介の造形物に非ず。我等と共にある護りとなれ』
薄い水色の宝石と同じ色の魔力。それが襟巻きの布地に浮かび上がる。
すう、とすぐに光は消えたが、部屋の中に心地よい余韻が満ちた。
護身用の働きをするからだろう。
「――これでおしまい。護身に使う魔法の威力を底上げできる」
「それ、色々買ってきて全部魔法道具にしたら、凄い儲かりそうなんですけど!」
「そうだね、発掘品にやったら、元手は無料だね。この宝石があれば同じものは結構作れるよ。そういう商売もアリだねぇ」
「裏流通を使えば発掘品本体も質の良いヤツ手に入るから、超儲かるよ! 一緒にその商売やろうよ!」
そんなことを叫ぶシェナの目が、きらきらと輝いている。
「――このまま、逃げちゃおうか?」
一瞬思っただけだが、言葉にすると、思いがけず本気になってきた。
ジノヴィには逃げないと最初に約束したけれど、彼のほうは縛らない約束を破っている。
セトだけが約束を守っているなんて、不公平だ。
「今日合流してもジノヴィが危険だったら逃げて良いと思う。……マジで。黙って殺されてあげる程、お人好しな人間はいないって。ボク、先に合流して様子みてくるよ。セトは先に昨日通った裏道から壁の外に出て待ってて」
颯爽と出掛けて行こうと動いた腕を捕まえる。
素早い彼女の動作も、癖を見抜いてしまえば腕を取るぐらいは簡単だ。
胸の奥が、あたたかい。
「これは、僕の意思だ。……シェナ。君と逃げたい。もう十分他人の都合に振り回された」
シェナは目をひらいて、外に出ていこうとした勢いを失った。
セトが掴んだ腕は、大した強さではない。
シェナの頬が、一気に紅く染まる。
「ちょ、あの、でも、え、なにこれ」
セトとしても、面白い言葉が出てきたものだと思う。
暫く占いをしていないから、この言動がどう転ぶか分からない。
けれど。
「先が分からないっていうのは、全然怖くなんか無い……凄く、わくわくするね」
「何言ってんの。占い師がそんなこと言ってたら、商売、上がったりだね」
「もう、それは廃業だ。楽しい方が良い」
口にしてしまうと、体の底から活力が湧きあがってくる。
不思議と身体が熱くなる。
意志の力というものがどれほど心を支えているかが、わかる。
それを感じるほど、今まで淡々とした時間のなかで生きてきたということだ。
そのままシェナを抱き締めてみる。小柄な体が、胸の中にあたたかくおさまった。
昨夜は寝台で接近したところで蹴り落とされたから、またその調子で拳がとんでくるかなと思ったけれど、こうして大人しく抱きしめられてくれるとは、意外だ。
背中を掴んでくる腕にも、武器はない。
「……みんなが、セトを魔女だって追ってる。命、狙われてんだよ? ホント危機感無いよね……。そういうとこが、妙に嫌いじゃないけどさ……」
口を尖らせて声を落とす彼女の額に唇を落とす。
あたたかい気持ちが、触れ合う処から染みるように拡がる。
今まで、気づけば、ずっとひとりだった。
そしてすれ違う人間たちと心を通わせる事もなかった。
人に合わせるというのは、面倒だし、生業にしている仕事には邪魔だった。
だけど実は、ものすごく損をしていたようだ。