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黒衣のリース

「い、いたた……?」


 どういう状況かと冷静にみてみると、セトとアルヴァがシェナの上に覆い被さっている。

 シェナを庇おうとしたセトを、アルヴァが庇った状態のようだ。


「間に合って良かった。シェナか。遺跡発掘家……いや、情報屋が当事者になるとはな。しかも無謀な挑発だった」

「……何で、アンタが」


 リース。この魔女探しは、他の人間と一緒に魔女を倒しに来た筈だ。

 それにこの状況に割り込んでくるなんて、動きが速過ぎる。


「黒い魔女探し……君が、リースか」


 セトの声に振り返ったリースの隠れた右眼が、赤くゆれたように見えた。

 それから、彼は、ゆるやかに頷く。


「私は、リース=レクト。シルヴィス王子とスティア嬢の命により、アルヴァ=シルセックを保護監督する任を承っている。リーオレイス帝国に仇なす意思は無いし、魔女をどうこうせよという指示も受けていない。アルヴァを護衛する事が私の仕事だ」


 いきなり名前を出されて、アルヴァはぽかんとした顔になった。

 シェナとジノヴィも、想定していなかった言葉に、思案するように動きを止める。


「スティアの差し金か。……なるほど、お前が本当の、お目付け役といった所か」

「いや、私は本当に単純に、護衛だ。こんなふうに介入する事になるとは思わなかった。何事も無く往復できれば、表立って姿を現す事も無かった。しかし、緊急事態だ」

「連れてきた魔女の反発が、か?」

「いいや、この機に居合わせたのは偶然だ。……リュディア王国で継承戦争が発生している事は、知っているか?」


 緊張した空気の内容とはまるで違う話が出てきたことに、全員が戸惑う。

 だが、アルヴァが声をあげた。


「聞きました。姉さんが、参戦したって――」

「連絡鳥で報せがあった。アルヴァはすぐに引き返し、王都に行くように。……生死は分からないが、スティアが深手を負ったそうだ」



 一瞬の静寂の後、セトがひとり、小さく笑った。



「……スティアさんも心配だけど。どうして、継承『戦争』なのに、そっちのほうで魔女が出てこないで、こんな場所で言い争いになってるのかな?」

「お前が魔女だからだろう。セト」


 間髪入れずにジノヴィがあげた声に、力がこもっている。

 リースに叩き落とされた長剣を拾うが、右腕に力が入らないのか、左手で柄を握り締めて土を削りながら強い目をあげた。


「僕が何事も無くあの村で占い師をやってたとしても、王都に魔女が現れない事に変わりは無かったんじゃない? さっきも言ったけど、僕は僕だよ。何者にもされるつもりは無いよ」


 セトはそう言いながら、シェナの手を握った。困惑する彼女を立たせて、ジノヴィの攻撃からすぐに逃げられるように、背中で庇う。

 ジノヴィは強い。 魔法道具を駆使して防御した程度で凌げるような半端な強さではないだろう。

 さっき助けてくれたリースも、アルヴァの安全を確保している今、味方だと思ってはいけない。


 つめたい空気を貫いて、ジノヴィの苛立ちが、殺気に変わった。

 ここは誰がどう見ても修羅場。お互いに臨戦態勢になるところだ。

 でも、どうしてだろう。

 視界が霞んで、怒りがこぼれ落ちていく。


「――何を、泣く」


 セトの落とす涙に、ジノヴィの殺意が揺らぐ。


「君は泣かないのか」

「そんな暇があれば、もっと有用に時間を使える。精神疲労の汗と大差無いものだ」

「今まで、仲間を失ったときも、そうしてきたの?」

「――馬鹿にするのは、やめろ!!」


 アルヴァとシェナの悲痛な叫びが聞こえた気がした。

 激しく背中を地面に叩きつけられる。全力で長剣を向けて肉薄してきたのを見た瞬間に、死んだなと思った。


 しかし、ドッと背中に土を感じたあとに目を開くと、土埃にまみれた軍人の分厚い筋肉質の体重に、押さえ込まれていた。

 剣の切っ先が堅い地面に突き刺さり、音を立てて倒れる。


「……何故、防御も何もしない。魔女になってしまえば俺一人程度、魔法でも魔物を使ってでも、簡単に倒せるだろう」

「僕には、そんな力は無いよ。そんな気も無い。……だけど、自由にしたいと思ったんだ」


 あまりに苦しく言葉を吐き出すようなジノヴィの姿に、地面に押し付けられている事も忘れる。

 彼の苛立ちと殺意が薄れて、表情が出てきたのが、どうしてか、少しだけ嬉しいと感じる。


「自分が好きなようにしたいってだけじゃないよ。……そうだ。君に、言いたかったんだ。君に合う言葉をずっとどこか探してた。それを、やっとみつけた」


 ジノヴィが苦吟に満ちた顔をあげて、目が合う。

 セトの目に涙が浮かびっ放しなのは、たぶん、仰向けに倒れているせいだ。



「自分をもっと大切に……帝国を笠に生きるのではなくて、自分個人を、もっと大切にしたら良い。帝国から離れたとしても、そのまま立派であるような人間でいてほしい――」


 動かした右手が、ジノヴィの薄銀髪の頭をポンと撫でる。


「……おまえは……」



 固唾をのんで硬直していたその場の全員が、魔女探し達の喧騒の気配が近付く気配を感じて、はっと顔をあげた。


 「仲間割れしている場合じゃないぞ。魔女探し達に追い付かれる。前に進むか戦うのか引き返すか、どうするつもりだ?」


 冷静にアルヴァの腕を掴んで、リースが声をかけてくる。

 はじかれるように身を起したジノヴィは、膝の痛みに顔をしかめた。それでも、動けないレギナを担ぎあげる。


 セトはシェナに助け起こされながら、リースをみた。

 黒で統一された立ち姿。腕に巻いた籠手の変形が主力武器だろうか。

 それでも、どこか、雰囲気が人と違う。


「……リース=レクト。……君は、人間かい?」


 地理に目を配っていたリースが、ゆっくり振り返る。

「……人間だ」


 状況にそぐわない静かな会話に、アルヴァが首を傾げる。


「じゃあ、リース。君に頼みがあるんだ。アルヴァと一緒に、魔女探し達にお退き取り頂けるよう話をつけてきて貰えないかな」

「何だ。自分を護れとは言わないのか」

「怪我人を出せなんて言わないよ。それにその方が、君も、アルヴァを連れて帰れるよね」

「……なるほど。だが、あなたはどうする? このまま逃げるにしても、退路は無い」

「あ、うん……とにかく、湖までは行くよ。一本道だし」

「では、ここで別れだ」


 リースはセトの言葉に淡々と頷いて、嫌がるアルヴァを抱えて背中を向けた。どうしようもなく、セトとシェナもリーオレイス人の後に続いて歩き出す。


 しかし、リースは少し歩いたところで、ぱっと踵を返した。

 歩き始めていたセトの冷えた手を取り、素早く、恭しく、口づける。

 シェナが違和感を感じて振り向いた時には、もう手を離して地面を蹴っていた。


「リース、嫌だ、下ろしてよ! 僕は役目を、最後まで――」


 全力で嫌がるアルヴァの声が遠くなる。アルヴァを抱えた黒い影は、人間の移動速度とは思えない早さで低木の林の中に消えていった。


「え? 今、何かあった?」


 わけがわからないのはセトも同じだが、冷えた手が少し温かくなった事だけは、確かだった。



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