無味乾燥な風景がどこまでも続いていて、気分も最悪だ。
最初のように必死に走ることなく、黙々と歩いていても魔女探し達が追いかけてこないのは有難いが、こういう、目的地までの距離がよくわからない荒地での重苦しい空気の旅は、できれば二度と御免だ。
最初のうちはシェナもブツブツと文句を言っていたけれど、疲れきって文句を言う元気もなくなっていた。
……シェナは、セトと関わらなければ、こんな理不尽な強行軍に付き合わずに済んだ筈だ。
今更申し訳ないような気持ちになっても、どうしようもない。セトもシェナも、逃げ出すほどの体力も元気もなくなっていた。
セトはせめて荒んだ気持ちを和らげようと、シェナの背中にそっと手を当てる。
シェナは顔をあげて、眉を寄せたまま小さく笑顔をみせた。
「大丈夫。ありがと」
――大丈夫。まだ、頑張れる――
「……え……?」
ふと頭の奥に響いた声に、足が止まる。
「ど、どうしたの?」
突然止まったしたセトに慌てて、シェナも足を止める。前方を歩いていたジノヴィから叱咤がとんでくるが、それは気にしない。
セトは目を閉じた。ぎゅっと瞑った少し震える瞼の裏で、色が溢れる。
さっきシェナが口にした言葉。どこかで誰かが、同じような言葉を言った。ありきたりかも知れないけど、なんだか、凄く大切な言葉だった気がする。
閉じた目の奥に浮かぶのは、緑の森と焼け焦げた野原。黒く燃えひろがる炎のなかで、痛みと、血が、無数に満ちた世界。
目を閉じて見える景色が一体何なのか、わからないけれど――
『…………無理はしないで。お願いだから、死なないで…………』
勝手に自分の口から、言葉が零れる。
セトの口から零れた切実な言葉に、シェナが逆に背中に手をあててくれた。
そのてのひらが、熱い。
まわりの森林の景色がひらけると、さらに冷たい風が吹きつけてきた。
薄暗くなりかけた灰色の空。ようやく辿り着いた湖からは強い風が吹きつけてきて、広大な砂浜沿いに絶え間ない波紋を形作っている。
向こう岸の見えない、海のような巨大な湖。この先に、リーオレイス帝国がある。
ここからの旅程は船しかない。
リーオレイス帝国に連絡鳥を飛ばして手配していた船は、遠く、湖面の奥に浮かんでいた。
遠目でもわかる船体は、白銀に輝いている。
それは湖畔に到着したこちらに気付いたように、船首を向けて驚くほどの速さで湖面をすべってきた。
目の前で、ジノヴィが地面にどっと膝をつく。
「まさか…………」
喜ぶのかと思いきや当惑の声をあげた軍人の背中が、小さく見える。
白銀の船はその荘厳な美しさを見せつけるかのように船体の側面をみせて、少し距離を置いた場所で停止した。
浅瀬で座礁しないために小型船を出すのかと思ったが、突然、船から白い輝きがまっすぐに砂浜まで伸びてくる。
一瞬のうちに、湖面に氷の道が完成していた。
「何これ…………どんなデタラメな魔法な訳…………?」
シェナが掠れた声をおとす。
対岸の灰色の空が、黒く翳っていく。寒風の中に大粒の雪が混じってきた。
到着した感慨も、焦燥も、すべてを支配するような極寒の空気に吹き飛ばされそうだ。どうにか息を整えているけれど、吸い込む冷気の厳しさに、肺が痛い。
この寒風の中、全員が疲労の極致だった。
呆然と思考を失っている間に、白銀の船の甲板に、人が出てくるのがみえる。
暖かそうな装いの人間たちから、好奇心のような視線がとんでくる。
「ジノヴィ、あれ何なの?」
リーオレイス帝国人といえば彼のような軍人気質の人間しか知らないシェナは、この状況にふさわしくない異色の船の様子を指差した。さっきから口を開く余力があるのは、彼女だけだ。
ジノヴィも困惑して、腕に抱えたレギナをぎゅっと胸中によせる。
「あの恰好は、貴族だ…………。ここには単に迎えの船の連絡しかしていないが、彼らがわざわざ王城を出てくるということは…………」
次にみつけた人影に、ジノヴィは言葉を呑み込む。
真っ直ぐに引かれた氷の上に、人影がさしていた。そうしてそれは、氷の上を淀みない足取りで歩いてくる。
追い風にあおられた金色の外套が、夕闇に輝く。
白銀の長髪を彩る、重厚な黄金と毛織物の冠。暖かく着込んだ、白い礼服。
彼が声の届くところまで接近したのを確認したジノヴィは、抱えていたレギナを砂浜におろして、砂に頭を擦りつけるように低頭した。
「……帝王陛下。このような場所まで直々にお出ましになるとは。無作法な状況を、お許し下さい」
「構わぬ。私が勝手に出てきたのだ。見物人も付いてきたがな。…………さて、無自覚の魔女よ。お手合わせ願いたい。ジノヴィの手紙をみて待ちきれず、ここまで来てしまった。魔女としてお目覚め頂くには、どうしたら良いかな?」
若いが低い声が、この風と雪の中で不思議なくらいはっきりと響き渡った。