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帝王


 低頭したまま、ジノヴィは山頂での状況を思い出す。


 魔女が、あっさりとその正体を現したのは、あのときだけだ。

 最初の村で攻撃した時は壁に頭を打って村人に助けられていたし、本当にただの一般人のようだった。

 スティアが危害を加える素振りを見せても、途中で危うく感情的に殺しかけたときも、まったく変化が無かった。


 つまり、本人の危機は関係ないのだろう。

 山頂ではセトを庇ったアルヴァが負傷したときに、魔女はアルヴァを助けるかのように正体を現した。


 “味方の人間が危機に晒された時“。

 だがその条件は、いままでの魔女への認識に対して、大きな齟齬がある。


 ジノヴィはぐっと言葉を呑みこんだ。ただの推測だ。根拠もないのに、軽々しく言っていいことではない。



「どうした? ジノヴィ=リガチョフ。手紙を寄越してからここまでで判った事があるなら、言うと良い。確証がないものでも構わないよ」


 白銀の帝王。

 その鋭い赤と蒼の双眸が、鍛えた筈の身体をこわばらせる。絶対王政のもとに身に染み込んだ条件反射に、ジノヴィは逆らえない。

 掠れた声を、恐る恐る、絞り出す。


「……この魔女は、本人の危機に関しては、まるで無頓着です。しかし……自らを守ろうとする他人を助ける為には……速やかに、正体を現します」


 一瞬、ジノヴィの言葉の意味が誰にもわからなかった。魔女という存在の今までの概念を崩すような言葉だ。


「……他人の為に発動する潜在魔法、か。それは、意外だな。だが、なるほど。魔法というのは意志の強さが反映される。自身の為の魔法というのは実はあやふやなものだ。他者が絡んでこそ、意識の枠組みは確定する。それを活用しているという事だな」


 ひとりで納得した帝王はそのまま淀みなく歩を進め、湖の畔まで辿り着いた。

 王侯貴族らしい豪奢な金の外套に、白銀髪のさらりとした絹のような髪が流れ落ちる。相反する色違いの厳しい瞳が、厳格な帝国を象徴しているかのようだ。


 帝王は、砂浜に座り込んだ状態の面々を見渡して、回復の魔法を唱えた。

 涼しい回復魔法が身体中に満ちて、石のように重かった手足がすっきりと軽くなる。


 疲れ切っていたセトは、ようやくまともに顔をあげて、目の前に現れた人間を見た。


「……君が帝王か」


 予想していなかった急展開に、取るべき態度も選ぶべき言葉も無い。

 だが相手が誰であれ、人としていきなり負ける訳にはいかない。


「そうとも。私がリーオレイス帝国帝王、ツアーレ=ウイガルだ。驚かないな、予測していたか」

「引っ掛かる事はあったけど予測まではしてない。十分びっくりしてるよ」


 実際、背筋が凍るようだ。

 回復した筈の頭の奥がどこか麻痺しているようで、意識だけ逃げそうになるのを、必死に堪える。


 湖の波音と寒風の音に加えて、自分たちが通ってきた低木林のほうからザワザワと別の音が迫る。


 赤紫の魔物の群れが木々の隙間から無数に集まってきていた。

 こんな場所に、これだけ魔物が潜んでいたとは――。道中襲いかかってこなかったのが不思議だ。

 咄嗟に一匹切り伏せたジノヴィを無視するように、真っ直ぐ、一斉に氷上の帝王に向かって飛び掛かった。


「小物が。魔女を護るか」

 帝王が小さく眉を寄せて、手をあげる。

『水よ 我意に従い 刃と舞え』


 詠唱が終わらないうちに、足元から高速で飛び出した水の刃が大量の魔物を一斉に切り裂く。赤紫の魔物の肉片が黒色の霧を吹いて、盛大な水飛沫を撒き散らした。

 こんなに広範囲の魔物を一瞬で倒しただけでも、彼の魔法技術が恐ろしく高度なのがよくわかる。


「小物など話にならんな。お前の力を、見せてみろ!」


 すっと横に差し出した右腕の後ろで、湖の水が、大きく膨らむ。


『水よ 我が意に従い 纏い取れ!』


 巨大に立ち上がった水の塊が、セトを飲み込んでくるかのように目前に迫った―――が、次の瞬間、その冷たい飛沫に突き飛ばされた。

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