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氷の夢


 暗い水の底で、ゆったりと大蛇が身を巻く。

 仄かな光を放つ氷をいただき、蛇はすいと沈んできた魔女にその氷を押し上げた。


 魔女が氷に触れようと手を上げた瞬間、中から拳で氷を叩き破って、シェナがその手を掴んだ。

 水が、どっと空洞に入るのを慌てて止める。


 触れた手のひらから強い想いが流れ込んでくる。

 切ないほど胸が痛くなる、希望のような、想い。

 びり、と身体が茶色い少年に変容した。


 またセトに戻るつもりは無かったのに――。


 目をひらいて、自力で守護の殻から無理矢理身を乗り出したシェナの頭を胸に抱き、その視界を封じ込める。



「――これ何? 夢?」

 シェナは奪われた視界に逆らうでもなく、確かめるように背中を掴んでくる。


「うん。夢だ。僕と出会った事も、今回の事は全部、夢だよ」


 低い、柔らかい声をおとす。

 暖かいシェナの心臓の音が、指先まで響きわたる。


「……本当は知ってた。ボク、セトが飛んで来て雨を上がらせたの、見てたんだ。でも、どこか信じたくなくて……すごく普通で、何だかぼーっとしてるのが、セトなんだもん。皆が言うみたいな魔女じゃない」


「あんなデタラメな魔法……怖くなかった?」

「やばいくらい、綺麗だった」


 頭を胸に抱いていたからだろうか、その言葉は、直に胸を衝いてくる。


 どんな外傷も関係ない身体だけれど――

 暖かく涼しい風穴があいたような心地がひろがる。


 顔を上げようとするシェナを、より強く抱え込んだ。

 自分がどんな顔をしているのかわからない。平常心じゃない表情の自信がある。


「僕は、僕でいる為に、独りでいなきゃいけない。まだやるべき事があるから、好きな子と一緒に幸せになってちゃいけないんだ。……ずっと待ってるのに、もう300年。こんな我侭に、君を巻き込みたくない――」


「もう巻き込まれてるんだから、いいじゃん! ボクは、セトと一緒にいたいの!」


 元気な声に驚いた隙に、シェナが力ずくで顔を上げて、顎にゴンと頭突きを喰らわせてきた。

 やや破天荒なのはわかっているが、驚かされっぱなしだ。


 目が合う。

 強い瞳を受け止めて、言葉を紡ごうとする唇を、塞ぐ。


 ――どうか、シェナに、生涯の幸運を。


 傍らに漂う魔力の青い石がパンと割れた。

 仄かに光る魔法の文字がほどけて、彼女の身体に纏わり付くように消えていく。


 流石に空気が薄くなってきた。

 シェナは苦しげに息を継いで、必死に背中を掴む。その指先から、力が失せる。


 うすく開いた瞼の下から輝くような水滴が零れ落ちて消えた。

 意識を落としたシェナに、最大級の笑顔をむける。



「ありがとう……。この声が届かなくても、忘れてしまっても……君が、大好きだよ」


 独り、落とした声は、暗い水底に吸い込まれていった。


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