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フェリア教会の聖女


 低い鐘の音が、フェリアの街並みに染みていく。


 もう何度この追悼の音色を、すぐそばで聞いただろう。人の少ない村なら痛ましく目をあげる。だけど人の多い都市では、人の死は珍しくない。毎日誰かが死んで、いつでも鐘が揺れている。


 私は目を擦って、沈んでいく日差しに霞んだ景色をみつめた。

 公園の緑から鳥の集団が一斉に飛び立つ。黒い粒ほどの影が、頭上を高く駆け抜けていった。



「――ミラノ~! ミラノ=アート~!」


 足の下の方で私を捜しているのは、セフィシスだ。

 6年前に私がこの中央教会に来てから、何かと世話を焼いてくれる退魔師。『降魔の聖女イリス=ローグ』の助手として、いつも忙しく働いている。ぼうっと過ごしている私とは大違いだ。

 私はぱっと屋根を降りて、彼女の目の前に着地した。


「きゃ! び、びっくりしたぁ~」

 大きく開いた青い瞳が、捜し人の顔を見つけてふわりと笑み、しかしすぐに口元を引き締めた。


「もう、どこから降ってきたのよ。あんまり危ない事はしちゃダメよ」

「大丈夫ですよ。もう慣れっこです。それより、お呼びですか?」


 夕食の時間にはまだ早い。教会の聖使としての当番も、今日は私には巡ってきていない筈だ。


「そうそう。イリス様が呼んでるわ。お仕事みたいだけど、行けそう?」

「勿論です。すぐに準備してきますね!」


 ここ数か月、ずっと声がかからなかったから、すっかりボーっとしてしまっていた。

 頭の中に立ち込めていたモヤモヤが晴れて、目の前が明るくなった気がする。


 準備といっても必要なのは身ひとつ。

 私には、セフィシスのような魔導杖も、イリス様のような剣もいらない。ちゃんと声が出ればいい。

 だけど流石にこんな普段着で聖女様の公式の仕事についていく訳にはいかない。


 木造の廊下を駆けて、暮らし慣れた部屋にとびこむ。

 薄紅色のヒラヒラした服を脱ぎ捨てて、掛けてある聖使の服に袖を通す。

 風に吹かれて乱れた濃い茶色の髪を、頭の左上できゅっと結び直して、鏡の中を確認。

 弛んだ顔が映ってる。

 パンと両頬を叩いて、小物入れと外套を抱えて部屋を飛び出した。


 廊下を抜けた離れに、聖女イリス=ローグの部屋がある。

 トントンと扉を叩くと、すぐに返事があって、そっと部屋に入った。


「失礼します。お待たせしました。イリス様」


 外套の下に長剣を納めた聖女様が振り向くと、赤い長髪がさらりと流れた。


「早かったな。急に呼び出して済まない。久々の魔物退治だが、大丈夫か?」


 凛とした美人の聖女様の柔らかい笑顔がまぶしい。長身のイリス様が間近に立つと、私はかなり身長差を感じる。


「勿論、大丈夫です。えっと、今回はどこに行くんですか?」

「北街道の外れにある農地だ。あの辺りは行政区の裏山に繋がっているところがあるから、どうやら一般の退魔師をあまり使いたくないらしい。そんなに遠くないから、すぐに行って帰って来れるよ。ジェストが先に行ってくれてる。セフィシスは留守番だ」


 外套の前をパチンと閉じて部屋を出る聖女様に、私は小走りで続いていく。足の長さが……。

 聖堂を通って聖使達と挨拶を交わしてから正門に出ると、ピタリと馬車が待っていた。居合わせた礼拝の人々が振る手ににこやかに応えて馬車に乗り込んだ聖女に、わっと場が盛り上がる。

 いそいで馬車にはいって扉を閉めると、すぐに出発した。


「ふふ、イリス様、いつも大人気ですよね」

 そう言うと、イリス様はひとつ大きな息をついた。

「うーん……派手に目立ったのは6年も前なのに、どうして目立ちっぱなしなんだ……」


 そういう困った顔をしていても美人だからですよと言うのを、我慢する。褒めているつもりでも、この人がそういう言葉を嫌がっているのを知っているからだ。

 もう随分前に、聖女になる前までは男だったと聞かされた。

 前任の聖女がイリス様に何かの魔法をかけて、聖女に仕立てていったのだと聞いた時には、冗談にしか聞こえなかった。誰がどうみても、あこがれるほど整った体格の女性だ。

 でも本人の様子とセフィシスの気遣い方を見ていると、少なくとも私をからかう為の冗談じゃないっていうのは、少しずつ理解してきたことだ。


「そういえば、故郷にはちゃんと手紙とか出しているのか? ずっと帰っていないだろ」


 唐突に変わった話題に、私はあわてて手をぶんぶん振った。


「あ、それは大丈夫です。領主様とのお手紙に一緒に入れさせて貰っていますから」


 私は最初、フェルトリア連邦の南方地区エラークの領主――この中央都市から見れば地方議員である、オークリス家の従者のひとりとして、この都市に来た。

 その時は、まさかこんなふうに暮らすなんて思いもよらなかった。両親はエラークで働いているし、若い領主のセルウィリア様には親しくして頂いていて、折々に手紙のやりとりを続けている。

 最初の頃こそ、ひとりポツンと中央都市に残る事になって、何度も帰りたいと思った。

 その度にセフィシスには相談相手になって貰ったし、中央でしか触れられない文化芸術、地方とは一味違う学舎の面白さに没頭して、帰郷の想いを追い出してきた。


 今ではすっかりこの環境に慣れて、居心地の良さを感じている。

 特に、聖使である私の上に立つ聖女様がイリス様だからこそ、頑張れるんだと思う。

 剣は強いし、凄い美人で優しくて、びっくりするほど料理が美味しい。決して、食欲に負けて居ついた訳じゃないけれど。


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