氷の国の女王ブリュンヒルト。
王国を守護した偉大な女性が、まさか夫の生涯の宿敵と言われようとは。その一言に、メッツァは完全に意表を突かれた。
「冗談、だよね?」
真意を測りかね、メッツァは探るように問いかけた。
しかし、リューファスは窓の外の景色に焦点を合わせたまま、顔をこちらに向けようとしない。
「余が、軽々しくそのような冗談を言うと思うか?」
低い声が、バッサリと切って捨てた。
「で、でも、ブリュンヒルト様は……あなたの奥さんだったんだよね? 国を守った英雄で、民に慕われた女王でしょう?」
メッツァは混乱しながら、自身が知るブリュンヒルト像を並べ立てた。それは後世に美化された伝承に過ぎなかったのだろうか。
「フム、英雄とは難解な概念だ。切り取られる視点や記録される時期により、綴られる文字は変化するものだ。……我が国の民衆からの印象は、せいぜい略奪と殺戮に興じる蛮族であろう」
特に、北方カモスランドの統治は、血文字で綴られるものであった。と、リューファスは続けた。ただ、淡々と事実を述べる声色。
それは、普段の勇ましい戦士としての彼ではなく、読書に耽り学術的な話を好むときの学者めいたリューファスの一面だった。
「蛮族とは、いやはや。ひどい形容だね」
今までのイメージとはかけ離れた表現だった。信じられない思いで、メッツァはその言葉を繰り返した。
「ああ。事実、ブリュンヒルトとその一派は、強大な力を持っていた。そして、その力を躊躇なく振るった。カモスランドに住まう者たちは、常にその鉄槌に怯えていたと言っても過言ではあるまい」
「でも、それじゃあ……なぜ、キミはそんなブリュンヒルト様と結婚したの?」
素朴な疑問が口をついて出た。敵と夫婦になるなど、常識では考えられない。
そこを問いかけると、リューファスは堪えきれないとでも言わんばかりに笑い出した。
「ククク、なぜ、と来たか。むしろ、貴殿は逆の疑問を抱くべきだ」
「逆?」
「すなわち、なぜブリュンヒルトが、余と結婚する気になったのか――それだ」
返された言葉に、ますます混乱したメッツァ。何と質問をしてよいかわからなくなった。
当時、リューファスは温暖な『バンスラディア王国』の王であったはずだ。限られながらも豊かな国土と、統制された騎士団を擁する王。
本当に、ブリュンヒルトが北方蛮族の女王に過ぎなかったなら、リューファス側に立ってこそ婚姻を結ぶメリットを感じない。
極端な話、リューファスが半島統一を掲げていたとしても、蛮族に荒らされるカモスランドの統治は捨ててしまってもおかしくなかったのではないか。解決策としての蛮族との婚姻は、かえって王国内部に不和をもたらすようにすら思う。
(この問題を考えるには、当時の情勢について、もっと詳しく知る必要がありそうだ。それと……ブリュンヒルト様から見たリューファスはどんな人だったのか、も)
焦ることはない。この旅の目的は、半島のどこかにある王剣セレスティンの欠片を見つける事。
そして、リューファス自身の600年前の足跡を辿り、彼の知る人々がどんな最期を迎えたかを知ることにある。ブリュンヒルトの最期については諸説あり、はっきりとしないのが現状だ。
全ての情報が出揃ってから、話しても遅くはないのは確かだった。
(仮にここで深堀しても、風情がないとか言われて、はぐらかされるのがオチだろうし)
メッツァはハンドルを回すと、他愛もない話題に切り替えた。
「最初の目的地に到着したら、何を食べたい?」
「そうさな、麦の香りがする焼き立てパンを頬張りたい気分だ。余は大麦粥は好かん。おお、そうだ。久しぶりに川エビの塩ゆでを、そして白身魚のバター煮もな」
「……途端に饒舌になるじゃん。僕、ミルク粥なんかも意外と好きだけどな」
次の目的地は、もう目の前だった。
現在のカモスランドには、国家による統治はなく、部族などの共同体や小さな町レベルの自治が行われているだけだ。そんな中でも、未だに交易の拠点としての面影を残している場所が、古都ソダルムスである。
古都ソダルムスは、カモスランド地方における交通と交易の要衝として、古くから栄えてきた。かつてこの周辺地域を支配した、とある王国の首都であり、合流河川を利用した交易は今も盛んだ。
一行を出迎えるは、崩れかけた城壁や防御塔。塔に取り付けられた鳥獣除けの角が、かつての威容を辛うじて伝え、古びた門が盛者必衰の風情を醸し出している。
河岸には大小さまざまな船が停泊し、川船乗りたちは荷物の積み下ろしや船の修理に精を出す。船に乗り降りする巡礼者や旅人、武装した冒険者たちが足を止めていた。
走り抜けるポラカントの中から、リューファスは笑みを浮かべる。
「ほう。逞しいものだ、未だに川船乗りは盛況か」
「カモス人の主な収入源だからね。川船乗りを生業にする、冒険者事務所すらあるらしいから」
「なんだ、貴殿、詳しいな」
「いやー、この地域にまつわる手記や調査書くらい読んだことあるよ。ここまで来たのは初めてだけど。あんまり、国の外に出たことなくてさ」
現在のソダルムスの情報に、興味深げにリューファスは耳を傾けた。
「貴殿の物言いを聞くと、カモスランドに拠点を据えた冒険者がいるように聞こえるが」
「そう言ってる。まあ、手つかずの埋蔵資源の宝庫だしねえ」
どの国家も支配下に置いていないと言うことは、現地人とさえ交渉が成立すれば、膨大な利益を獲得する絶好の機会となる――その見込みに、リューファスの瞳は鋭く輝いていた。
「ほう? ではここは野心家が集う、宝山とも言えるわけだ」
「ま、そうなれば、僕たちも多少なりと恩恵を受けるかもね」 と、メッツァは懐中時計を弄りながら、軽く頷く。
(そんな交渉はやすやすと成立しないし。個人が利権を独占するのを、周辺国家が指をくわえて見ているとは思えないけどね)
そこはあえて口にしなかった。言わずとも、王として生きたリューファスなら察しているだろう。