リューファスは感心していた。
かつて600年前に辿った道を、ゴーレム車両『ポラカント』はみるみると踏破していく。
ビスクラキア半島の北部は、カモスランド地方と呼ばれる厳しい大地だ。
さらに氷河の後退によって窪地に水が溜まり、十万を超える大小の湖沼群が形成された。そのため、通り抜けられる道は限られる。
地形と木々の間を縫うように、灰色がかった石畳道が続くが、荒れた箇所も目立つ。
道幅は狭く所々で石畳が剥がれ、むき出しの土が顔を出す。轍は深く、至る所に口を開けているかのような穴がある。
「600年前であれば、強化された軍馬であっても苦労したものだが」
ゴーレム車両の窓から外を見た。
短い夏の間、カモスランドは緑に覆われる。雪解け水が大地を潤し、背の低い潅木や草花が一斉に芽吹く。どこまでも続くアイアンウッドの針葉樹林や、白樺が縁取る湖畔が目に飛び込んでくる。
時折、車体が大きく傾ぐのは、四足歩行形態に移行して岩場を乗り越える時である。その度に内燃機関の唸りが高まり、荒々しく紫の煙を吐き出す。
湧き出る冒険心に、胸の高鳴りが止まらない。
かつて、この道を旅したときには、屈強な軍馬に跨り、全身を泥と埃にまみれさせたものだ。
雨に見舞われれば、冷たい雨水が容赦なく体温を奪い、盗賊や亜人、怪物に襲われる危険も常につきまとっていた。
それに比べれば、ゴーレム車両ワンダリングシェルター『ポラカント』の内部は天国だ。
現代の冒険者が愛用すると言うのも頷ける。適温に管理された空間、クッション性の高い座席、物資を積み込めるスペース、そして就寝可能なベッド。
そして、『ポラカント』は自律して戦闘を行うことすら出来る。
何度か襲撃を受けたが、障壁を展開し、怪物の群れに制圧射撃を加える勇姿に、リューファスは思わず笑みを浮かべた。
「余はすっかり気に入ったぞ、メッツァ。良いものを用意してくれたな」
上機嫌なリューファスに、鼻眼鏡の茶髪の青年メッツァは苦笑した。
疲労を滲ませた声で答える。
「それはなによりだよ、リューファス。僕も苦労した甲斐があるというものだね」
「なんだ、その顔は。やつれて見えるぞ」
「本当にわからない? 本気で言ってる?」
メッツァはわざとらしく溜息をつき、肩を竦めてみせた。
「そりゃあ、リューファスに気に入ってもらえたのは嬉しいけどさ。道中の苦労が酷すぎて」
リューファスの強い冒険心は、道中でも存分に発揮された。少しでも気になる場所があると寄り道を始めて、不要な騒動を引き起こす。
遊牧するカモス人の移動集落はまだしも、亜人たちの奇妙な儀式に割って入ったり、珍しい魔獣を見に行ったりと、リューファスの落ち着きのなさにメッツァは呆れ果てた。好奇心が過剰すぎる。
思わずメッツァは、眉間の皺をほぐすため鼻眼鏡を外した。
「友好的な交流を旅先で育むのは、醍醐味だろう。カモス人など久しぶりに見たぞ」
「そうだね、そうかもしれないね。でもね、リューファス。まるで貴族の領地訪問みたいに、いきなり集落の中央にゴーレム車両を乗り入れるのは、彼らにとっては脅威以外の何物でもないんだよ」
ゴーレム車両を操縦しているのはメッツァだが、『ポラカント』は何故かリューファスの口頭指示を優先したがる。
声がよく通るからか、あるいはリューファスにこそ指揮権があると認識しているのか。
「脅威? この『ポラカント』が、か? 馬鹿な。こんなに愛らしいではないか。友好的な訪問だと説明すれば、すぐに理解してくれたぞ」
「すぐにだって?! 僕が通訳に入ったから誤解は解けたけど、下手をすれば戦闘になっていたかもしれないんだぞ!」
しかし、リューファスにしてみれば、旅を楽しもうと心の赴くままにした結果に過ぎない。
悪意など全くないのに、メッツァが不満そうにする理由が分からなかった。
「大袈裟な奴だ。それに儀式の件は、事故のようなものだ。湖畔で奇怪な踊りを披露する亜人集団が、人身御供を捧げようとしているなんて見に行かざるを得ないだろう?」
「亜人って言わないの、差別用語だよ!あれは豊穣を祈る踊りだよ。確かに多少、衣装や振り付けが奇抜だったかもしれないけど」
「だが、生贄らしき子供が拘束されていたように見えたぞ」
「あれは、今年の踊り子に選ばれた少女だよ!名誉な役目を前に緊張していただけさ。キミが邪魔したせいで儀式は台無し、少女は泣き出す始末。弁償ものだったんだから!」
メッツァは語気を強め、早口で捲し立てた。鼻眼鏡の奥の目は、心底うんざりしている。
リューファスは内心で舌打ちした。
(また始まった、こやつはいつも口うるさい。せっかくの面白い体験を、無用な騒動だと切り捨ててしまうとはな)
しかし、その場その場のトラブルでたびたび言い争うものの、誤解が解ければ、リューファスが現地人と親しくなるのはあっという間。
リューファスの一挙一動は威風堂々で、どこへ行っても好感を集める覇気がある。おかげで、情報収集や物資面でも黒字になり、メッツァも一概に迷惑だとは言い切れなかった。
毛むくじゃらの亜人――『クズリ』たちも、こちらが乱入したのは人命を助けるためだったと伝わり、詫びに悪名高い怪物を仕留めてやると逆に敬意を買ったほどだ。
「亜人は好かぬが、弱者は助けねばな。……面白そうであったし」
「ボソッと、本音を混ぜないでくれない?」
「なにせ余の仕事は、この『ポラカント』に乗り込み、ぼうっとしているだけだからな。快適すぎて眠気を堪えるのに苦労している。たまの退屈しのぎだ、大目に見よ」
「ハハ、冗談キツいな」
思わず、メッツァの口から乾いた笑いが出た。
ダメだ、この男を退屈させると、目的地に着く前に自分が過労死する。余興の1つでも考えておくんだった、とメッツァは真剣に悔やんだ。
なんとか話題を探そうと、思考を巡らす。
「北方のカモスランド。こっちの奥さんってどんな人だったの?」
思いついたのは、リューファスの妻ブリュンヒルトの話だった。
故人となった今も、『氷の国の女王』や『勝利を告げる軍妃』と謳われる北方の支配者。しかし、いささか伝説的過ぎて歴史的な記録は乏しい。
半島を守護した原初の『楯の乙女』として、逸話は英雄譚にのみ刻まれている。
(正直なところ、実在したかも怪しいんだよね。リューファスが語るってことは、本当にいたんだろうけど)
メッツァも興味がないわけではない。
600年前の王リューファスの名でさえ、現代に誤って伝わっていることを考えると、ブリュンヒルトに関する逸話も鵜呑みにはできない。
余計な先入観を捨て、当事者であるリューファスから直接話を聞ければ、人柄や実情がわかるかもしれない。そんな軽い気持ちで、メッツァは問いかけた。
しかし、珍しくリューファスは言い淀む。
「……ブリュンヒルト、か」
窓の外を見つめ、遠くを彷徨うその目は、現実を映すというよりも彼方の記憶に囚われているようだ。
声はいつもの自信に満ちた調子とは異なり、どこか迷いがある。それは適切な言葉を発することそのものへの躊躇い。
「アレは、そう。あえて言うなら」と、リューファスは静かに口を開く。憂いと共に紡がれた言葉は、されど、どこか熱を帯びていた。
「――我が、生涯における宿敵だった」
メッツァがその意味を反芻している間に、言葉は走行音にかき消されていった。