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プロローグ ~ 白い稲妻 金獅子を狩る女王

 そこは、荒れ狂う白銀の戦場だった。


 鉛色の空が低く垂れ込み、絶え間なく雪片を吐き出していく。大地を、木々を、戦士たちの姿を白く塗り潰していく。


 白と灰色が常に瞼を打つ、世界の輪郭は溶け出したかのように曖昧だ。


 暴れる風は猛り、凍てつく息吹は肌を刺す針となる。

 ここは本来、人の気配すら稀な死の大地。熱い鉄、切り裂かれた肉、血の匂いすら希薄になる。


 雪煙の中、二つの群がうごめき、剣戟を交えていた。


 一方は、屈強な体躯に魔獣の毛皮を纏い、剣、戦斧、槍を携えた部族の戦士たち。彼らはこの地に根を下ろし、厳しい自然と戦い生きてきた誇り高き民。

 ウルフヘジンとして恐れられる、巨人と魔獣の血を継ぐ戦闘部族である。


 先頭の男は一際大きく逞しい。厳しい風に晒され赤く染まった顔、凍りつき氷の針のような髭。その眼差しは野生動物のように殺戮に飢えている。


「我が名は、ビョルン族の誇り高き戦士、戦詩人エギル! 貴様らを、この俺様の血塗られた詩に加えてやろう!」


 威圧と共に進み出る大男に、緊張が走った。


 対するは、南方から来た騎士たち。

 磨き上げられた鎖帷子を身にまとい、鮮やかな青いサーコートを羽織っている。互いに陣を組んでカバーし合い、巧みな連携を見せている。

 だが洗練された剣技で、部族の戦士と対峙するも、不慣れな雪原での戦に苦戦していた。


 そこで騎士たちの隊列の中央、輝かしい金髪をなびかせる碧眼の王が、人を薙ぎ払い現れた。


「良い、余が相手をしてやるべきだろう」


 王は制止する騎士たちを退け、一歩前に出る。

 真っ青な瞳は、降り頻る雪の中でも揺るがず、澄み渡る氷湖のようだ。


「おい、髭面の男。名乗りを返してやる。余の名は、ライ・ユーファス・セレスティアヌス。バンスラディアの王だ。……不足はあるまいな」

「ライ・ユーファス……まさか、貴様が『金獅子』か?」


 目の前の若き王をジロジロと値踏みした。

 南方の豊かな国を統べる王、ライ・ユーファス。その若さで幾多の戦場を駆け抜け、武勲を打ち立てた英雄。その名は、北方民族にも轟いている。


「自ら雪原に足を踏み入れるとはな。なんと細く白い首だ。それをもぎ取り神々に捧げ、貴様の武勇を我が詩に刻んでやろう」


 エギルは巨大な戦斧を構え、吠えた。声は雪原にこだまし、戦士たちの士気を高める。


 正念場、勝負の掛け所だった。

 ライ・ユーファス……俗に言うリューファス王は、静かに剣を抜く。金色に輝く柄を握りしめ、鍛えられた鋼に我が身を映す。


「良いだろう、貴殿の詩にその名を記すがいい。余が、最後の一節を飾ってやる」

「ほざけ、『金獅子』! 貴様を討ち果たし、九つの部族の上に、俺様が大首長の座に就いてみせる!」


 エギルが巨大な戦斧を振りかぶると、冷たい空気が唸りを上げた。


 戦斧と剣が激突し、火花が散る。金属音は吹雪に掻き消されそうになりながらも、確かに雪原に響き渡る。


 「足元は深い雪に覆われ、踏み出すことさえ阻まれる。しかし、戦士たちはまるで物理法則を無視するかのように激しく動き回る。斧の一撃は地震のように重く、剣の速さは疾風。


 防いだ衝撃は骨と内臓にまで響き、端正なリューファスの顔を歪ませる。

 返した刃は毛皮鎧の隙間、関節を正確に狙い、血しぶきが吹きあがった。


 寒雪は血を瞬時に冷却する。白い雪の上に鮮烈な色を刻み、戦いの残酷さを際立たせた。

 が、戦士たちは流血など意に介さない。彼らにとって重要なのは、ただ目の前の敵を倒すことのみ。


「貴様のような若造に、俺様の詩が理解できるものか」

「フム。確かに、詩には自信がないな。……口より結果で示す方でな」


 軽い挑発に、エギルは顔面をますます真っ赤にした。


「黙れぇッ! 貴様の剣など、小鳥の羽ばたきにも劣るわッ!」


 エギルは魔獣の毛皮に手を添え、念を込めて一体化を始める。

 みるみるうちに巨体を膨張させ、筋肉は膨れ上がり、血管は浮き出し、皮膚は岩のように剛健となる。


 この民族がウルフヘジンと恐れられる所以、それは精神変容トランスにより魔獣と人間を融合する異能を持つことであった。


「我らの生き様が、貴様のような南方人に理解できる道理などない!」


 半ば魔獣と化したエギルの戦斧が、再びリューファスに襲いかかる。その一撃は先程よりも重く、速く、そして破壊的。


 対して、一歩。リューファスはたった一歩踏み込んだ。


「大きくなりすぎたな、戦詩人」


 されどその一歩は、間合いの短縮ではない。研ぎ澄まされた刃が、標的を捉える完璧な角度を定める微細な調整。


 同時に、巨斧が最大の威力を発揮できないほど、間合いは近すぎた。絶対的な距離による支配。呆気なく、斧の軌道が僅かに逸れると、刃は隙間を滑るように通過する。


「な、に……?」


 エギルの声が、驚愕と困惑に満ちていた。


 巨体が、ゆっくりと、しかし確実に崩れ落ちていく。腹部から胸部にかけて、深々と刻まれた傷跡。噴き出す血が、雪原に赤い花を咲かせた。


「貴殿の声は、確かに力強い。――さぞ、良い歌い手だったのだろう」


 最期に届いたのは、優しい言葉。

 意識を失うエギルの耳に、それは冷酷に響いた。蒼天の瞳に映るは、己の絶望の表情。


 遂にエギルは膝をつき、倒れ伏す。もはや雪に埋もれた巨岩。

 睨む眼から光が、徐々に失われていく。


「――ああ、これが」


 戦詩人の口から、続きは紡がれることはなかった。


 リューファスは剣についた血を払う。その表情は、まるで何事もなかったかのように冷静だった。


 戦場は、静寂に包まれた。


 部族の戦士たちは英雄の死に衝撃を受け、咆哮が悲鳴へと変わる。しかし、悲しみはすぐに怒りに転じ、一層激しく騎士たちに襲い掛かった。


 リューファスは、騎士たちへ宣言する。


「進軍せよ。この雪原を、余の詩で埋め尽くすとしよう」


 騎士たちの勝利は目前と思われた、その瞬間。

 戦場の空気は一変した


 凍てつく風は、それの到来を告げるかのように勢いを増し、雪煙を激しく巻き上げ視界を遮る。

 混乱の中、異質な存在の接近を、騎士たちは第六感で感じ取った。


 遠くの地ふぶきの中から、一頭の巨大な白狼が現れた。


 その背に跨るのは、一人の女戦士。


 風になびく赤みがかった金髪と、滾る青灰色の瞳。

 巨人族の血を濃く引く肉体は、女性としては規格外の屈強さを誇り、岩のような筋肉と骨太な体躯は、並大抵の男戦士すら凌駕する。


 だが、その美貌は戦場の悲惨さすら忘れさせた。


 女の名は、ブリュンヒルト。


 九つの部族を束ねる、女大首長。ウルフヘジンの女王。


 その武勇は、北方の民に語り継がれる伝説。


 女は白狼を駆り、戦場を駆け抜ける。部族戦士の間を縫うように進み、騎士の隊列へと突撃。大剣を手に、次々と騎士を薙ぎ倒す。


「部族の戦士たちよ、恐れるな! 我らがブリュンヒルトが来た!」


 部族戦士たちは、ブリュンヒルトの勇姿に歓喜の声を上げた。


 振るわれる大剣は、死神の鎌のように騎士たちの命を刈り取る。吊り上がった青灰色の瞳には、戦いの炎が燃え盛る。


 ブリュンヒルトの到着は、戦場の流れを一変させた。

 部族戦士たちは、その勇姿に鼓舞され騎士を押し返し始める。騎士たちはブリュンヒルトの圧倒的な力に恐れをなし、徐々に後退を始める。


 リューファスは、その登場に獰猛な笑みを浮かべた。


「ああ、また会えたな。……ブリュンヒルト」


 焦がれた待ち人に再会したかのように、熱を帯びた眼差しをブリュンヒルトに向ける。それは明確な戦意とともに、敬意と畏怖の色が入り混じる。


 すぐに、迫りくる『白い稲妻』、ブリュンヒルトと目が合った。


「ライ・ユーファス、『金獅子』よ、我が美しき獲物よ! 今日こそ、貴様を殺す」


 ブリュンヒルトは白狼に跨り叫んだ。刃の声は戦場の喧騒を切り裂き、リューファスの耳に届く。

 その声こそ戦いの始まりを告げる、高らかなファンファーレ。


 二人の英雄が激突し、戦場はさらなる激しさに包まれた。

 ブリュンヒルトの大剣は鎧を切り裂き、肉を抉り取る。リューファスの剣は、真っ白な肌を掠め血を滲ませる。


 二人の動きはあまりにも迅く、戦士たちの目に捉えられたのは残像のみ。


 飛雪は依然として止まない。勝利者は孤独に白銀に立ち尽くし、やがて死者は覆い隠されていくだろう。

 北の死の大地では、力が全てを決定する。吹雪だけが無表情な証人として風景に残り続ける。

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