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メッツァep:トラブルキャッチャー(後編)

 全てが変わったのは、研究室のプロジェクトが成功したあの日からだった。


 ――被検体サンプルX。


 それは約百年前、ペルホの廃教会で発見された石像。これは驚くことに、石化封印によって石になっていた人間だった。

 サンプルXは石化から少なくとも数百年が経過、呪詛に汚染され、致命傷すら負っていた。


 蘇生は不可能と判断され、サンプルは貴重な歴史的資料として保存されていた。


 今回のプロジェクトは、数百年前に石化した被検体の蘇生を試みるもの。


 もし成功すれば、新たな治療アプローチが開かれる。致命傷の延命は勿論、石化封印を施せば、不治の病でさえ未来に託せる。


 だけど、凡人のぼくには不可能に思えた。

 この蘇生理論が、まるで理解できなかったから。


「これ、死体蘇生どころか、『壊れた化石』を生き物に戻すって話っすよね。乾物じゃないんだから、お湯かけて戻るわけないっすよ」

「フフ、『壊れた化石』か。面白いことを言うね、トトリン。だが、理論上は可能と判断できたから予算がついたんだよ」


 結局、メッツァさんの言葉通りになった。

 被検体サンプルXは、本当に目覚めてしまった。


 男はリューファスと名乗り、古の時代の騎士だという。

 輝かしい金髪と碧眼。左眼は呪詛痕により銀に変色していたが、堂々とした態度はまるで物語の英雄のようだった。


 それからのメッツァさんは楽しそうだった。

 自らリューファスの世話係を買って出て、他の者が対応する場面でも率先して動く。いつものことかもしれないが、僅かな違和感があった。


「ダプネ、キミは男の人と関わるの苦手だろ? リューファスの相手は僕に任せてよ」

「でも、メッツァさんはお忙しいのでは……」

「リューファスの体調に異変があったら、プロジェクトの安全性立証に支障が出るからね。まあ、任せてよ。……ああいう手合いを見るのは初めてだから、興味深いんだ」


 この人が何にやりがいを感じてるのか、本当によくわからない。

 余計なことを始めた代わりに、仕事をぼくに任せる頻度が増えた。以前より丁寧に教えてくれるようにもなった。


「もし、キミが事故に遭って、目覚めたら何年も経ってたとしてさ。知り合いが皆死んでいたらどうする?」

「どうするって言われても……あー、絶望するんじゃないすかね。立ち直れる自信ないです」

「ふーん。まあ、普通はそうだろうね。僕もそう思うよ」


 どこか浮ついた態度。ソワソワしながら、ふらりと姿を消すようになった。

 サボってるわけじゃない。蘇生成功で周囲に仕事を任せられるようになり、自分の時間が増えただけに見えた。


 だけど、あの人に暇を与えてはいけなかった。彼はあちこちに根回しをし、予定外の戦闘実験を組み上げてきた。

 結果は知っての通り。老朽化したゴーレム三体を、あの野蛮な騎士は破壊した。


 騒ぎのせいでメッツァさんが首都から出て行くと聞いた時、ぼくは全てを悟った。ああ、メッツァさんは退屈していたのだと。


「じゃ、トトリン。キミなら問題なくこなせると思うから、後は任せるね」


 やけに動きが早かった。引き継ぎもあっさりと済ませてしまう。


「いや、あの。メッツァさんがいかなくてもいいんじゃないですか? リューファスとかいう古代人なんか、誰か別の人に任せれば」

「でも、僕が一番上手く彼とやっていけると思うよ」


 それはそうかもしれない。皆、あの古風な騎士にどう接すれば良いかわからなかったから。


「メッツァさんがいないと、皆困りますよ」

「そんなことないはずさ。別に僕がいなくても、皆なんとかなると思うよ。実際、キミだってかなり要領良いしね」

「全然そんなことっ!」

「……いいかい、キミに教えられることは全て教えたし、ちゃんと身に着けてるよ。だから、大丈夫。今のキミになら任せられるよ」


 いや、少なくともぼくは、メッツァさんがいなければ研究室で働きたいとすら思わなかった。だから、全然大丈夫じゃない。

 そう言いたかったが、声が出なかった。


 これは、メッツァさんなりの信頼と……賞賛だったからだ。


(ズルくないか、それ。散々、世話を焼いてくれたのに、いきなり卒業扱いかよ)


 結局、何を言っても論理的に言いくるめられ、メッツァさんは間もなく研究室を去ってしまった。


 ダプネの落ち込みようも酷かったが、ネストラの怒りは言葉にできないほどだった。冷静な外見とは裏腹に、内面は激しく荒れ、凄みが半端じゃなかった。


「あの頭でっかち。ねえ、信じられる? このわたくしが、他の男性から結婚前提の交際を申し込まれていると話したのに、普通に旅立つとかどういうつもりなのかしら」

「いや、それをこっちに言われても……困るんすけど」

「貴方も、もっと引き止めなさい。仲良かったんでしょ?」


 そりゃ引き止められるなら……引き止めたかったさ。


 手紙が送られてきた。それも共和国の最北端、エミーロヴァから。

 どうやら、サンプルXこと『リューファス』と相当楽しくやってるらしく、手紙の七割が不平不満で埋まっていた。


「これ、トラブルメーカーを構い倒してる時のメッツァさんだよな、完全に」


 ようやく自分が『手の掛からない人間』に分類変更されていたことに気が付いた。瞬間、思わず舌打ちが出た。

 いつの間にか、メッツァさんはぼくを満足いくまで育て上げていたらしい。


「『別に僕がいなくても』って、そういう意味かよ」


 少し遅れて、メッツァさんが執筆した論文が、実家であるベスタル家から発表され、研究者界隈に大きな衝撃が走った。


 呪詛汚染の中心地、『聖なる火の神殿』をメッツァさんが調査したらしい。調査なんて可愛いものじゃないな、もはや冒険だ。

 調査隊も伴わず、古い時代の危険な調査を行うなんて。まるで小説に出てくる考古学者みたいだ。こんな無謀な行動に出る人ではなかったはずなのに。


 論文には目を通した。神殿の詳細な内部情報、壁画や装飾から判明した文化的背景。機能していた試練の様式、『聖杯』という遺物の発見まで詳細に記されていた。

 それは、フィンダール共和国の前身となった文明が、どれほどの技術と文化を有していたかを示唆する内容。


 『呪詛汚染』の分野をとっても、現地の汚染状況、『慟哭鬼ラメンター』の軍勢や魔獣、そして邪竜と思しき怪物のデータまで記録されていた。

 作り話ではないかと疑うほど、信じがたい記録の数々。


「メッツァさん……あなたは、そんな人じゃなかったでしょ」


 あんな中身のない風景画を描くようなメッツァさんと、荒唐無稽な物語フェアリーテイルを論文に書き記した人物が結びつかない。


「こんな面白いことをするなら……ぼくを誘ってくれればよかったじゃないすか」


 でも、もうわかっている。結局、ぼくらはメッツァさんの欲しかったものを、与えられなかった。ただそれだけのことなのだと。

 だから――もう彼が帰ってこないかもしれないと思った。



****



 吹き荒れる風と魔獣の咆哮が、メッツァの悲鳴を呑み込んだ。


 状況は最悪。もはや錯乱寸前だった。無数の魔獣と亜人が、黒い波濤の如く押し寄せる。

 背後では、自律稼働ゴーレム車両『ポラカント』が砲弾を連射し、飛行型の魔獣を撃ち落とすも、焼け石に水だ。


 メッツァは震える足で立ち尽くし絶望を覚えた。包囲網が完成しつつあったのだ。


「リューファス、逃げようっ! こんなの勝ち目がない!」


 だが、リューファスは至って冷静……否、むしろ興奮した面持ちで周囲を見渡す。


「ふははッ、見ろ、メッツァ! 亜人が魔獣を騎獣にしているぞ! あれはいい、余も欲しいぞ!」


 メッツァの叫びも届かないほど、リューファスは没頭していた。戦闘そのものより、この状況全体を楽しんでいるのだ。

 瞳は獲物を狙う獣の如くギラつき、口元には獰猛な笑みが浮かんでいる。


「言ってる場合かぁああっ!」


 メッツァは必死に止めようとする。が、リューファスは全く聞く耳を持たない。


「あれに乗れば、戦場を縦横無尽に駆け巡れるだろうな! 素晴らしいッ」

「だから、そんな場合じゃないって言ってるでしょ!」


 しかし、リューファスは不敵に水晶剣セレスティンを構え、一歩も退く気配はない。


「ふん。心配するな、メッツァ。この程度、余には肩ならしにもならん」

「いい加減、わかんないかなっ! キミが無事でも、僕が死ぬんだよっ!」

「余と貴殿がいて、切り抜けられぬ道理はない」


 根拠も論理もない、なんと馬鹿げた信頼か。これは期待ではなく、無謀な盲信だ。メッツァには、そうとしか思えなかった。


「バカじゃないのかっ! 本当にバカじゃないのか、こんな状況は――」

「さて、陣形に風穴を開け、企みを叩き潰すとしよう」

「僕の話を聞けぇええええっ!」


 リューファスは雄叫びを上げると、黒い波濤の中へ突進した。水晶剣が閃き、むしろ魔獣たちから悲鳴が上がる。どこにいても嵐の中心、それがリューファスという男だ。


「……少しは話を聞いてくれよ、頼むから」


 メッツァは戦場を解析しつつ、ポラカントの陰に身を隠した。リューファスの戦いぶりは凄まじいが多勢に無勢。状況を打破する必要がある。

 本当になぜ、自分はこんなところにいるのだろう。胸に広がるのは大きな後悔だ。


 カバンから測定補助器を取り出す。広大なフィールドでは、解析レンズだけでは不足だった。

 ふと、目に留まったのは、カバンの中にあった知人たちからの手紙。冒険で知り合った者たち、首都に残してきた者たち……その心遣いが、僅かに心を癒やす。

 ふっと力が抜けた。色々思うところはある。が、感情は今は仕舞っておくことにした。


「まったく。この冒険も、本当にろくなもんじゃないね」


 目の前にあるのは、戦場と言う名の複雑なデータ。

 抽象化され、数値化されていく現実。想い絵描えがくのは、勝利への可能性。目の前の景色が、急速に色付き始めた。

 数値がピタリとはまり、全てが目の前に現れるあの感覚。己の冷徹な計算が、混沌たる戦場をも支配するという高揚感。それらへの欲求がわずかに脳を揺らしてくる。


「――予測可能。勝ち筋は、ある」


 メッツァはゆっくりと呼吸を整えた。

 巻き込まれの天才は、今日も論理ロジックで世界を穿つ。

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