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メッツァep:トラブルキャッチャー(中編)

 慌ただしい日々の中、同期のダプネが研究者として採用された。

 正直、格差は感じた。でも、研究職で大成する自信はないし、ぼくが選んだ補助者という道も悪くはない。


 ダプネは経験が浅く、プロジェクトに苦戦していた。

 ミーティングではいつも浮かない顔をし、専門用語を必死にメモし、教授の話に熱心に耳を傾けていた。

 愛らしく才能もあったが、男性が苦手で、スタッフとの会話にも戸惑うほどだった。


 そんなダプネだが、メッツァさんを『研究室の貴公子』と呼ぶほど熱心なファンであり、どこか幸せそうだった。

 ダプネがメッツァさんのファンであることは、学生時代からの公言だった。

 確かにメッツァさんは、男性的とは言い難いタイプだが、ダプネが彼にここまで惹かれるようになったのは、ストーカーに悩まされていた時に助けられたのがきっかけだった。

 研究室のメンバーも、苦笑しながらも、温かい目で見守っている。


 ストーカー騒動のことを思えば、メッツァさんは、厄介事を放っておけない性分なんだろう。

 客観的に見れば、ぼく自身もトラブルそのものだろう。食い詰め学生の面倒を見るなんて、普通なら避けるはずだ。


 そういった一面もあるためか、メッツァさんのファンを公言する人は多く、女性関係に目を向けると、当然のようにモテた。

 研究室の女子学生たちは彼に憧れを隠さず、他学科の女性もよく訪ねてきた。


 メッツァさんは、そうした好意を上手に受け流し、仕事に支障がない程度に対応していた。熱心にアプローチされても、いつも穏やかで丁寧、かつ明確に、それ以上の関係を求めない姿勢を示していた。


 その手腕は、ある種の交渉術のようで、感嘆するほどだった。


「まさか、メッツァさん、女の子に興味ないんすか」

「いや? 別にそんなことはないよ、恋人がいた時期もあるし。ただ、今は忙しいだけ」


 メシをたかるついでに尋ねてみると、飾らずに話してくれた。


 メッツァさんが二人で食事に行く相手には、ネストラという美女がいた。

 度々、仕事終わりにメッツァさんを迎えに来るネストラは、知的なクールビューティーという言葉がまさに当てはまるひとだが、強烈な眼力と気の強さで、近寄りがたい雰囲気だった。


「ネストラは、学生時代の同期でね。彼女が卒業する頃に別れたんだよね」

「え、アレって元カノなんすか」

「……アレとはなんだ、失礼だろ」


 イメージとは合わない。メッツァさんの好みのタイプが分からなかった。


「ネストラは名家の令嬢なのだけど、独立志向が強くてね。卒業と同時に起業すると言うから、先に別れを切り出したんだ。彼女の邪魔をしたくなかったからね」

「先にって、どういう意味すか?」

「ネストラの性格からすると、いずれ恋愛はビジネスの邪魔になると考えて、自ら終わらせるだろうと思った。だから、先手を打ったんだ」


 あっけらかんと話すが、あのネストラの雰囲気を考えると、フラれることを素直に受け入れるとは思えない。しかし、論理的に別れるメリットを丁寧に説明し、円満に関係を解消したらしい。

 その後も近況を報告し合う程度の交流はあったようだが、最近になってネストラの方から会いたいと誘われることが増えたそうだ。


 ネストラは今になって何か思うところがあるのではないか、とぼくは勘繰った。


「ネストラのビジネスは順調らしい、とても喜ばしいことにね」

「へー。え、えっと。ネストラさんに未練とかないんですか?」

「ないよ。少なくとも、今は本当に忙しいからね」


 なにか致命的な感覚の差を感じた。


 それが確信に変わったのは、新人歓迎会の夜だった。

 ちょうど、大学に報告する書類期限が迫り、メッツァさんは人一倍忙しかった。それでも誘われたメッツァさんが遅れてバーに登場したから、場が盛り上がった。


「ごめんね、20分だけだけどいいかな?」

「おー! 忙しいのに来てくれたのか、ありがとうな!」

「いや、みんなと過ごす時間も大事だからね。それに、この子たちの歓迎会でもあるし」


 周囲が気を利かせて、ダプネの隣の席にメッツァさんを案内する。

 コートを脱いで座ったメッツァさんが、何気ない動作で微笑みかけると、ダプネは顔を真っ赤にして大人しくなった。


 しかし、ある事実を知っていたぼくは複雑な気分だった。


「いいんすか、今日って別の約束もあったんでしょう?」

「え? ああ、ちゃんと行ってきたよ。だからお腹はいっぱいなんだ」


 実はこの日、ネストラとの食事会が予定されていたことを、ぼくは知っていた。完全にそれを優先すると思っていたから、こちらには来ないと判断していたのだが。


 でも、場の空気を壊したくもないから、それ以上触れることはしなかった。


 実際に助手としてメッツァさんと働くようになると、これまで見えなかった様々な面が見えてくる。


 例えば、助手の仕事には、事務方と協力し、機材の手配や試薬・薬品の補充など、研究環境を整える業務も含まれる。

 そうした雑務にも、メッツァさんはよく顔を出していた。


 研究者が専門的な見地から意見するために立ち会うことはあっても、メッツァさんの雑務への関与は範囲が広すぎるように感じられた。


 ある日、薬品値上げの連絡を受け、メッツァさんは事務室へ駆けつけた

 彼は、営業担当者と本当に親しげに言葉を交わし、相手の立場を理解しながら、交渉の余地を探っていく。


 結局、値上げの理由は、陸路の輸送経路の問題(どこかのサテライトが怪物に破壊されたらしい)による輸送コスト増加と、それに伴う品薄だった。

 最終的に、長期契約を前提に、互いの落としどころを探ることになった。研究所には時期ごとに予算が割り当てられているため、こちらも調整が必要だった。


「相手の抱える『論理ロジック』をきちんと理解できれば、どこに話し合える部分があるか、おのずと見えてくるものだよ、トトリン」

「でも、誰もが理屈だけで動いているわけじゃないでしょう」

「感情だって、突き詰めれば論理の一部さ」


 飄々とした態度だが、メッツァさんが意図的に言葉を選び、相手との距離を縮めようとしているのは明らかだった。彼に言わせれば、相手の感情をコントロールすることさえ、テクニックに過ぎないのかもしれない。

 頭ではわかるけど、実際には誰もがそんな高度な判断ができるわけじゃない。


(この人から見たら、大概の人はバカに見えてるんだろうな)


 思わず、劣等感が頭をもたげた。つまるところ、ぼくもその優秀さを前に、言い訳を探してしまう瞬間がある。『生まれが違う』と。

 メッツァさんは、多くの人が抱えるある種の劣等感を常に刺激する。対等になれない以上、憧れや諦めのような割り切りが必要だった。


 そういう意味では、マッケリー教授は相性が良かったのだろう。


「メッツァくん、さすがだね。ああ、よくまとまっている解析データだ! この新しい論文もだ、これはプロジェクトの理論的アイディアとしても使えそうじゃないか」

「日頃の教授のご指導の賜物ですよ」


 マッケリー教授はその才能を高く評価し、公然と称賛を惜しまなかった。そこには打算もあるだろうが、嫉妬や劣等感は見られなかった。

 教授の破天荒な頭脳は、研究成果にしか興味がないようだった。


 マッケリー教授は倫理観に欠けたサイコパス気味なところがあるが、プロジェクトにおける彼の役割を正しく理解し、替えの利かない部品だと認識していたのだろう。

 メッツァさんを正当に評価し、ここまで褒め称える人物は、実は少なかったのではないかと、今更ながらそう思う。


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