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メッツァep:トラブルキャッチャー(前編)

 ぼくは、もう彼が帰ってこないかもしれないと思った。


 フィンダール共和国、魔導学術大学。

 そこに所属するメトリオス・ベスタル、通称メッツァと呼ばれる若手魔術師は、一種の注目の的だった。

 当時、ぼくはごく平凡な一学生に過ぎず、彼は遠い憧れの存在だった。

 その才能に対して驕ることもせず、公平で分け隔てない人柄は、誰もが理想とする『お手本のような優等生』だった。


 魔術師の名家は、一般の魔術師とは違う世界に生きるものだ。そんな中、彼の存在はなおさら際立った。


 だが、そのイメージが肯定的とは限らなかった。


「ああ、昔からそうだよ。あいつは」


 研究室の先輩がそう零したのを、ぼくは耳にした。

 曰く、『あいつはベスタル家の子息だぞ。オレ達とは生まれが違う』と。


 メッツァさんはフレンドリーだけど、常にどこか距離を感じていた。でも、それは周囲のぼくらが見えない壁を作っていたというのも、たぶん事実だった。

 ぼくたちにとって、彼が何かを成し遂げることはもはや当然で、賞賛というよりも、ある種の納得をもって受け入れることだった。


 でも、トトリン。つまり、ぼくにとってのメッツァさんは、他の人とは少しばかり違う関係性があった。


 ぼくはお金に困り、食べる物もろくになかったため、バイト先で食べ物を持ち帰るなどして飢えを凌いでいた。

 それが叶わない時は、研究室で教授から角砂糖を恵んでもらい、それを舐めて耐え忍ぶこともあった。


 マッケリー・アーチマン教授は、ぼくが角砂糖をねだると、面白がって袋に入れてくれた。


「ほう、トトリンくんは糖分で凌ぐのかね。そうかそうか、エネルギー補給は肝要だからね。蟻を観察していた頃を思い出すよ」


 とても茶化されたけど、こんな奇妙な申し出を笑って受け入れてくれる教授は稀だった。

 しかし、その隣に控えていたメッツァさんは、何とも形容しがたい面持ちで、ぼくの袖を引いた。


「流石に見るに堪えないな」


 日頃より、街路樹になった果実を拾い集めたり、ドングリを調理して食している姿を、人目に晒している自覚はあった。が、メッツァさんに咎められた覚えはなかった。


 連れて来られたのは殺風景なアパルトメントで、豪奢さの欠片もない無機質な生活空間。ぼくはなんだかがっかりしたような気分になった。

 メッツァさんの私室は、ぼくが勝手に抱いていたイメージとはかけ離れていた。


「メッツァさんって、良い所のお坊ちゃんなんですよね?」

「まあ、否定はしない」


 出されたのは、バターで風味づけされたウインナーと卵、それに山盛りのパスタだった。

 手の込んだものではなく、シンプルな塩味。ハーブとニンニクが効いてて、めちゃくちゃいい匂いがした。


「食べなよ」

「……なんか、すみません」

「そう思うのなら、あまりみずぼらしい真似はしないでくれ。きみを放置すると、僕の品位が疑われる」

「メッツァさんには関係ないじゃないですか、実際、ぼくは食べる物がないんで、格好つけてる場合じゃないんすよ」


 ぼくがそう言うと、メッツァさんはわざとらしく肩を竦めた。


「そうだね。考えてみたら、僕は食べることに困ったことは一度もなかった。実に恵まれている。バイトなんて言う時間の浪費をしなくても、ひたすら勉強に集中できたし、学費に悩んだこともない」

「はあ、自慢すか」


 勉強ばかりしてる風に言うが、その割に、メッツァさんはあちこちの研究室やサークルなどの色々なグループにも顔を出している。人間関係も驚くほど幅広い。

 出している実績に関わらず、だ。


「ぼくに金があっても、メッツァさんと同じことが出来るとは思えないすね」

「そんな格好良い話じゃない。僕が僕でいられるのは……自分の努力と才能だけじゃない。ただ、それだけの話さ。……きみは黙って食べて、終わったら帰れ」


 いつになく、アンニュイな態度を見せたので驚いた。

 とはいえ、まともな食事にありつけたのは嬉しかったから、たらふく食べておかわりもした。

 呆れたような視線で見られたが、たまには満腹感を得たいと思ったのだ。


 ふと、壁に掛けられた絵画に目が行き、尋ねてみた。それはくすんだ草原と灰色の沼地の風景絵だった。珍しくもない名もなき雑草が花を咲かせ、所在なさげに揺れている。


「あれはなんすか?」

「僕が描いた絵だよ、教養芸術科目では楽器演奏と水彩画を取っていたから」


 「へー」と気の抜けきった声を上げながら、なんだか寂しい絵だなと、思った。

 なんで、メッツァさんがこんな絵を描いたのか、正直よくわかんなかった。


 この後も、時折、メッツァさんには食事をご馳走してもらうことになった。

 調子に乗って甘えすぎると、メッツァさんから手痛い「お仕置き」と、正論でしかない説教が飛んでくるので、ぼくはほどほどに頼る術を覚えた。


 気がつけば、メッツァさんのいる研究室は、ひどく居心地の良い場所になっていて。つい、口をついて出てしまった。


「助手って、今空きあります?」


 研究の仕事にはまるで興味がなかったけれど、そろそろ卒業後の進路を決めなければならない時期だった。正直、メッツァさんの下で働けるなら、それでいいと思った。

 断られるにしても、早めに確認しておくに越したことはない。


「空き? そんなものはないよ」

「そうすか。いや、どうせなら、ここで働きたいなって」

「ああ、さては真面目に就職先を探す気がないんだな、トトリン。そう思うなら、もう少し真剣に勉強したらどうなんだ?」


 と、鼻眼鏡の奥から射抜くような鋭い視線を向けられた。力なく笑って誤魔化そうとしたが、全く通用しなかった。


 しかし、ちょうどその頃、マッケリー・アーチマン教授の『大型プロジェクト』が注目を集め、規模が拡大することになった。おかげで、思いがけないチャンスが巡ってきた。

 ぼくの専門は『疾病薬学』であり、プロジェクトテーマの1つである『呪詛汚染除去』と関連性あったことが功を奏した。おかげで、使い勝手がいい助手として採用された。


「卒業後も、きみの世話を焼くことになるとはな」

「えへへ、嬉しいくせに」


 心底、不愉快そうな顔で睨まれたので、さすがに逃げ出した。

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