メッツァは、鼻眼鏡の位置を直しつつ、倒れ伏す冒険者たちを一瞥。
それから再び屋根の上――先ほどから観察者の気配を感じる方向へと視線を向けた。
ただ、佇んでいるように見えて、メッツァが行っているのは高度な魔術戦。それも情報戦の類だった。指先一つ、呼吸一つが生死を分かつ、静かなる戦場。
(情報遮断は継続中か。手品の種はわかって来たが……厄介だ。光学迷彩による透明化だけじゃなくて、チャフによる探知妨害、近くに直接干渉する幻惑術式……くそ、どこの術師だよ)
解析レンズ越しに、大気中に錬成された微細な
それは物理探知波だけでなく、特定の魔力波長と共振し、そのエネルギーを吸収・散逸させることで、広範囲の情報を完全に隠蔽していた。ふわりふわりと漂う粒子は、ゆったりと落下しながらも広範囲に滞留。
「これはさすがに想定外だな。これじゃ、術式トラップがあっても発見できない。爆風で吹き飛ばすのが手っ取り早いが……」
メッツァの指先が、首から提げた虚数演算宝珠に触れる。高度な光学迷彩も破る手段は限られる。
直接的な攻撃も、位置が完全に特定できなければ、広範囲殲滅術式でもない限り意味がない。だが、このソダルムスという土地で、事をさらに大きくするのは避けたかった。
「――手探る糸っ!」
メッツァは宝珠の輝きを一段と強め、指先で何本も複雑な軌跡を描くように、不可視の糸を飛ばす。
指向性の高い探査波を、ビームのように収束。相手の情報遮断レイヤーを物理的かつ魔力的に『穿つ』ことを目的としていた。
いわば、ナノレベルの魔力振動子を編み込んだエネルギー繊維と針。チャフ粒子の網目を縫い、あるいは一部を逆に『中継点』へと共振で変えてしまうことで、突破を試みる。
「要求されるのは、極微の侵入。これで相手の能力を測るっ!」
当然、隙があれば倒してやるつもりだった。探知波は確かに相手の防御網に到達、が返って来たのは嘲笑。
「クク、やるじゃん。……大学の
手繰る糸の一本が、ぷつりと切断されるような感覚。容易く焼き切られた。メッツァの額にうっすら汗がにじむ。
織り交ぜられたダミー反応、偽者の位置を掴まされ、糸から逆流したエネルギーが薬指の爪を焼いた。
「くっ!? カウンター!?」
次々に逆利用され、切断される糸。免れた数本からの情報は断片的。
展開する遮断フィールドの微細なムラ。光学迷彩を維持するための魔力波のパターンと、行使術式の癖。
「共和国の術式じゃない、中央大陸か? いや、だが似た系統のものは文献で見たことが……」
「あー? さっきからなにブツブツ言ってんだ。えと、メッツァくん?」
「静かにしてくれ、サンチョ。僕は集中をっ!」
ふいに、ひときわ強い『圧』が周囲に満ちた。殺気とは異なるが、呼吸を締め上げる重み。
メッツァは目を見開き、即座に探知範囲を全方位に拡大するが、意味をなさない。サンチョすらも、カメラを手に構えたまま動けずにいた。
「へえ、コレ止めるんだ? いいねぇっ!」
赤髪に金メッシュの男が、無邪気に刃を振り下ろしていた。すかさず受け止めたのは、リューファス。
「見物ならば、駄賃はとらぬというのに。命知らずだな」
キィンッ!と甲高い金属音が路地に響き渡り、火花が空気を焦がす。
リューファスの水晶の剣が、赤髪の男が持つ無骨な大剣が、真っ向からぶつかり合っていた。
赤髪の男の瞳は、爛々と輝いていた。
「いいね、いいねえっ! 最高だねぇ、噂のMrストーンッ!」
「なに? 余を知っているのか」
「ああ、もちろんだ。共和国のインテリと二人旅、あんたらが聖杯をもってるってこともなっ!」
男の立ち振る舞いは粗いが、剣筋は鋭い。一撃一撃の余波が家屋を揺るがすほどの膂力を伴い、剣戟を受けたリューファスの足元に亀裂を走らせる。
だが、リューファスは涼しい顔で受け流し、時には的確な反撃を繰り出す。その剣技は洗練の極致。力任せの相手の攻撃を、最小限の動きで逸らし、自らの力へと転換しているかのようだ。
(この赤髪、魔術だけじゃなくて、身体能力と反射速度が尋常じゃない。そして、あの剣……魔力を喰ってる?)
メッツァの解析レンズが、赤髪の男の大剣が張り巡らせた術式も何もかもを食い破るのを確認。とっさに魔弾を射出して、援護するもことごとく呑み込まれた。
「フム、ずいぶんと騒がしい剣だな。持ち主の性格がよく表れている」
「ハッ! 能書き垂れてる余裕あんのかよ!」
赤髪の男は咆哮と共に、更に踏み込み、大剣を横薙ぎに振るう。
リューファスは身をかがめて躱し、回転の勢いを利用して脇腹へ蹴りを叩き込もうとする。
しかし、男はそれを予測していたかのように、左腕でガード。鈍い音と共に、男の体が数歩後退するが、すぐに体勢を立て直した。顔には、痛みよりも愉悦の色が濃い。
すかさずサンチョとメッツァが、ほぼ同時に斉射して追い打ちをかける。
「いきなりオレらの邪魔してんじゃねえよっ!」
「おっと! ククク、遅い遅いっ!」
赤髪は光学迷彩で姿を隠しながら、大剣で射撃を無力化。弾丸が吸い込まれるように消える。
駆け付けた老騎士キホーテが、「正義の突進じゃっ」とタックルをしようとしたが、間に合わずに勢い余って、軒下の樽にぶちかます。ガシャーン!という派手な音と共に悪臭が漂った。
「ぬぉおおっ!? ぶぶぅっ!!?」
「キホーテじいさんっ! うがっ!」
気を取られたサンチョも吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
メッツァだけが攻撃失敗を察すると、即座にリューファスを盾にするように位置取りを変え、己の安全を確保。
「でも、ついに捕まえたっ! リューファスっ、マーキングしたよ!」
「――ほう、でかした」
僅かにエメラルドの残光が宙を伝っていた。メッツァが仕掛けたマーカーが、赤髪の男を微かに示している。
リューファスは直感で跳躍、水晶剣を振り抜き、不可視の相手に剣を交える。太刀筋すら見えぬなか、何度か刃が衝突し合うと、赤髪は再び姿を現した。
「おおっマジかよ! あははっ、さすがだぜ、英雄サマっ!
「貴様の装備はすべて過去に見たことがあるゆえな、目新しい手品でもない」
互いに一歩も退かぬ攻防のなか、赤髪は浮かべていた笑みを凍らせた。