湖があるように見えた地域は、広大な薔薇園だった。ただの薔薇園ではない。金でできた巨大な屋敷を取り囲むように薔薇が咲き乱れている。その中、庭園と思われる場所にはやはり金で作られた像やベンチ等がある。ベンチの上にいた一匹のリスが来訪者の気配を感じて素早く物陰へ隠れるのが見えた。
一歩足を踏み入れた途端、ギルベルトの鼻腔を濃厚な薔薇の香りが満たす。
「うわっぷ、なんだここは」
急激に花の香りを吸い込んでむせそうになる。他の騎士達も顔をしかめていた。かぐわしい香りも強すぎれば苦痛になるという事を初めて知ったという様子だ。
「ここにいるのは……」
「ミダースって奴がここにいるそうっすよ!」
モルガーナが説明しようとしたところにイジュンが割り込んで来た。
「ちょっと、それをアガートラームから聞いたのは私でしょ!」
ギルベルトとの話を邪魔され、口をとがらせ眉間にしわを寄せて抗議するモルガーナだったが、イジュンもまた不機嫌そうに答えた。
「モルガーナはギルベルトさんにくっつきすぎ! オレだってもっと話したいんだぞ」
その態度に面くらって怯んだモルガーナが、弱気な表情になりながらもギルベルトの腕に抱きついて言う。
「そんな事言ったって……」
「あー、またくっついてる!」
若い騎士達が喧嘩を始めたので、呆れた様子でビアスが二人をたしなめた。
「ほらほら二人とも、ギルベルトさんが困っているよ。君達は我等が団長を困らせたいのかい?」
その言葉にしゅんとしおらしくなった二人が口々に謝罪の言葉を述べる。
「ごめんなさい」
それを見ていたトーマスは額に手を当てため息をつき、懸念していた事態が起こってしまったと考えていた。
一方、ギルベルトは険しい顔をしている。子供達の喧嘩を見ていて呆れるよりも、何か強い違和感があるのだった。
(なんだ? 何かがおかしい。何がおかしいのか分からないが普通じゃない気がする)
◇◆◇
「そういえば、そろそろ芽が出そうかな♪」
南進する魔王軍。ジョーカーが思いついたように言う。
「どうした? また悪だくみか」
声をかけるガープに不敵な笑みを返した道化師は、その場で離脱する。
「ちょっと行って来るね♪」
勝手な行動をするジョーカーだが、いつもの事なので特に咎める者はいない。エルバードを攻める目的は侵略ではないので彼ほどの戦力を必要としないのも理由の一つだ。
「フム……奴が動くという事は、良い知らせがありそうだな」
ガープは彼を強さだけでなく行動に対しても信頼している。口では不真面目を気取っているがジョーカーは誰よりも真面目に目的に向かって活動をしている事を知っているのだ。
「ふん、あんな奴がいなくても私が人間どもに力の差を見せつけてやるわ」
メリュジーヌがこのような言葉を口にするのは以前と変わらないが、彼女はこの半年ジョーカーと共に修行を続けていた。かつての彼女とは比べ物にならない強さを身につけ、力を試したくて仕方がないといった様子だ。
「ほどほどにな。絶滅させてしまっては元も子もないからな」
才能値という数値に対する信頼。それは力を与える神に対する信仰であり、魔王軍の怪物達と戦うために才能値を強く意識すればするほど、神と人々をつなぐ絆が強まるのだ。
神とはすなわち混沌の主である。全ては彼女をこの地に迎え、かつ混沌の力で世界を破壊せずに保つために。
「人間だけではない。妖精族、ゴブリン、コボルト、オーク……全ての知的生命体が才能値を受け入れる事で彼女が安楽に暮らせる地を作る土壌が生まれるのだ」
ガープの語る魔王軍の目的に、メリュジーヌは幾らか冷めた目を向けている。彼女は自分が混沌の主と共にあれば、場所にこだわる必要はないと考えていた。
(私だったら、あの方と一緒に世界を破壊して回るのに。その方が絶対楽しいわよ。必死に守ろうとしている連中の顔を見たり、わざと修復させてから壊して絶望させたり。いくらでも楽しませる方法が思いつくんだから)
彼女が良からぬ考えを抱いている事を知る者はいない。ガープやジョーカー、魔王でさえも。