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第2話 尊の屋敷

 大照たいしょう十四年四月一日水曜日。トウキョウ、アララギ区コノハナ町。

 文明開化で西洋の文化が入ってきて久しい。

 移動手段は馬車から鉄道、車へと変わり、服装も人々の意識も変化していた。

 男も女も髪を切り、洋装と和装を組み合わせた服を着ている。

 日が暮れても開いてる店は多いから、四時をすぎるこの時間でも通りをたくさんの人が行き交う。

 仕事帰りと思われるハイカラな女性たちとすれ違い、私は思わず立ち止まって彼女たちを振り返る。

 パンツスーツ姿の女性たち。帽子を被ってかばんを肩にかけて颯爽と歩いていく。

 かっこいいなあ。私もあんなふうになりたい。

 この辺りを歩いているってことは、どこかの貴族の子女かな。

 私も女学校を卒業したら働きたいのに。お義母さんは私を結婚させたがる。

 内心ため息をつき、私はその場を離れた。

 この辺りは貴族の邸宅が多く、大きなお屋敷がいくつも並ぶ。

 うちから五分ほど歩いたところにそのお屋敷はあった。

 焦げ茶色の外壁。どこのお屋敷も和と洋を融合させたような建物になっていて、ここも例外ではない。

 このお屋敷は私のお母さんの実家、笠置子爵のお屋敷だ。

 幼い頃に両親を亡くしたお母さんは、縁あって子爵の家に引き取られたらしい。そんな子供が十人はいたときく。

 でも実子はひとりだけ。

 それが尊さん。

 私の血の繋がらない叔父で、三つ上の二十一歳になる。

 私とおなじ、あやかしが見える人。

 そして叔父はそんなあやかしを退治する祓い師だった。

 表向き知られていないけど、人に害をなすあやかしというものがいて、事件を起こすという。

 尊さんは夜、そのあやかし退治の仕事をしているから家にいないことが多い。

 だけど日暮れ前なら家にいるはず。

 いてもいなくても私は女中さんたちにおねがいしてお屋敷にいれてもらうけど。

 大きな門をくぐって庭を通り玄関前に立つ。

 茶色の大きな扉の横にあるブザーを鳴らすと、中から女中さんが顔を出した。


「あら、いらっしゃいませ、桜花お嬢様」


 年配のその女中、江都子さんは、私を見てそう微笑む。


「あの、尊さんは?」


「書斎におりますよ。中にどうぞ」


 と言い、中に招き入れてくれた。

 尊さんの書斎は一階の奥にある。

 元々は二階にあったんだけど、尊さんが子爵をついでから一階の部屋を改装したそうだ。

 江都子さんは茶色の扉を叩き、声をかける。


「尊様、桜花様がお見えです」


「いいよ、中にいれて」


 飄々とした声に、思わずどきり、としてしまう。


「失礼いたします」


 江都子さんが扉を開けて、私に入るよう促す。

 大きな窓に、大きな机。

 それにソファーにテーブルが置かれている。

 壁にびっしり詰まった本たち。

 そんな本棚の前に立つ黒髪の青年。

 彼はこちらを振り向き、にこっと笑って言った。


「いらっしゃい」


 彼が尊さん。

 私が幼い頃から恋焦がれてやまない人。

 だけど簡単に近づけない人。


「尊さん……」


 私は人目もはばからず彼に駆け寄り、がしっとその腕を掴んで言った。


「酷いんですよ、お義母さんってば。私はまだ結婚なんてするつもり全然ないのに。二十も年の離れた方との見合いを持って来て」


 早口でまくしたてると、尊さんは目を見開いて困ったような顔になる。


「落ち着いて」


 と言い、私の肩にそっと手を当ててやんわりと身体を離してしまう。

 いつもこうだ。

 尊さんは私をそっと遠ざけようとする。

 そえが正直不満だったけど、仕方ないかな、とも思う。

 だって彼にとって私は姪、なんだもの。

 血のつながりがないとはいえその壁はそうそう壊せるものじゃない。


「落ち着いてなんていられないです!」


 そう声を上げると、彼は苦笑して本を抱え、ソファーへと目を向ける。


「とりあえず座ろうよ、静花」


「……わかりました」


 静花。というのは尊さんが私につけてくれたもうひとつの名前だった。

 あやかしが見える私に、彼はこう教えてくれた。


「あやかしに本当の名前を教えちゃいけないよ。名前は呪いになりうるから。もし知らないあやかしに名前を聞かれたら偽の名前を名乗るんだよ」


 って。

 それでつけられた名前が静花。私と尊さんだけの、秘密の名前。

 私がソファーに腰かけると、彼もまた向かい側に座る。

 そこに女中さんがお茶とお菓子を持って来てくれた。


「ありがとう」


 紅茶の入ったマグカップ。

 それに焼き菓子ののったお皿が置かれる。

 女中さんが去り、私は深く息をついて言った。


「家鳴り達が教えてくれたんです。お義母様が私に見合いをさせようとしているって」


 そう不満の声を上げると、尊さんは困ったような顔になる。


「今年で十八だし、女学校を卒業するだろう? べつに見合いは普通の事だと思うけれど」


 確かにその通りだ。

 女学校の同級生たちのなかには、見合いだ縁談だ、結婚が決まったなどと言っている子がいる。


「でも厄介払いするために結婚なんてひどすぎる。いくらなんでも二十歳も上の人の後妻だなんてあんまりだと思いませんか?」


 そう言って、私は口を尖らせる。

 もう少し年齢が近いならわかる。私も再婚ならわかる。

 でも、初婚でそれはあんまりだ。

 私はマグカップを手にして、ぐい、とお茶を飲んだ。

 ちょっと酸っぱくって甘みがあっておいしい。これ、レモンティーというものだろうか。


「厄介払い……なんでそう思うの?」


「そう、お義母様が言っていたのを家鳴りが聞いたから」


 私を結婚させて家を追い出したい。家鳴り達曰く、そう、お義母様が言っていたらしい。

 もう怒りしかわいてこないんだけど。

 そんな私の膝に、ぴょん、とねこまたがのる。

 慰めるようにねこまたはこちらを見上げて、


『にゃー』


 と鳴いた。


「ありがとう」


 そう答えてねこまたの頭を撫でると、気持ちよ下げに目を細める。


「それで、君はどうしたいの」


「どうしたいって……結婚は嫌です。私は……」


 そこで言葉を切り、私は尊さんを見つめる。

 だって、私は貴方といたいから、という言葉を飲み込む。


「私は……尊さんみたいに祓い師になりたいんです。だって、私にも力があるんだから、その力を使わないのはもったいないもの」


 それはせめてもの願い、だった。

 きっとこの想いは伝えられないだろうから。せめて私は尊さんのそばにいたい。

 私の訴えに、尊さんは苦笑して言った。


「それは危ないから駄目だよって、何度も言っているじゃないか」


 私は子供の頃からあやかしが見える。だから危ない目に合わないように、と尊さんからちょっとだけあやかし退治の術などを教わっていた。

 でもそれはあくまで身を守るためだ。

 尊さんのように、危険なあやかしを倒すことまでは教えてもらえていない。


「でも……私は尊さんの役に立ちたいんです」


 そうすればそばにいられるから。

 でも尊さんは決して、首を縦に振らなかった。


「静花」


「何?」


「僕は君に危ない目には合ってほしくないんだ。その見合いは確かに嫌だろうけど、結婚して家庭に入ることは悪いことではないと思うよ」


 そして彼はお茶に口をつけた。

 その答えが私にはとても不満だった。

 尊さんが止める理由はわかるのよ。

 あやかし退治は危険が伴う。下手したら死ぬことだってある。だから私に偽名を与えて、尊さんは私を守ってくれようとしているんだもの。

 でも、結婚となると話は別だ。


「でも私、結婚はまだしないんだから」


 口をとがらせて、私はカップを置き焼き菓子を摘まんで口に放り込んだ。


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