翌日。外出から戻ると、家のそばで私を待ち構えている集団がいた。
「あ、桜花おかえり!」
十歳前後の子供たちが私に気が付くと、大きく手を振る。
この子たちは近所に住む貴族の子供たちだ。
子供らしく好奇心旺盛で、身近に怪しい出来事があると私に教えてくれる。
小さいながらも祓い師としての実績を積んできているんだけど、実を結んでいるのか全然わからなかった。
「待ってたよ、桜花姉ちゃん。聞いてくれよ。ほら、常世の森ってあるでしょ?」
わらわらと集まった子供たちのひとりがそう口を開く。
常世の森はこの近くにある大きな森だ。
久遠神社、というこれまた大きな神社の奥にあって、開発がすすむトウキョウにありながら今も自然が多く残る場所だ。
「えぇ。あるけど……何かあったの?」
「それがさ、森に遊びに行ったら変な狐みたいなやつがいて。じっと動かないんだよ。なんか変な感じがしてさ」
「狐くらい、あの森ならいるんじゃないの?」
「だって白い狐だよ? 絶対あれ妖怪だって! そういうかんじしたもん」
ひとりの子供の叫びに、他の子供たちもうんうんと頷く。
白い狐は存在しないわけじゃないけど、ちょっと気になるわね。
子供たちの中にはちょっとだけそういうものの気配を察知できる子がいる。
成長と共に消えちゃうけど、そういう直感は合ってることが多々あった。
「じゃあ私が見に行ってみるわね。場所はどこ?」
そう言って微笑みかけると、子供たちはぱあっと明るい顔になって頷き言った。
「うん、案内するよ!」
「え、ちょっと」
子供のひとりが私の手をつかみ、森へと向かって走り出した。
時刻は四時過ぎ。
逢魔が時が近い。
そういう時間はあやかしの力が強くなるから気を付けるように言われているけど、ただの狐なら大丈夫でしょう。
本当に狐じゃなかったらちょっと怖いけど。
子供たちに案内された森の奥。夕闇の中にそびえる広葉樹の根元に確かにそれはいた。
穢れのない真っ白な狐が、丸くなって寝ているようだった。
もし危険があったら嫌だから子供たちは先に帰らせた。だから今ここに、私しかいない。
夕暮れなのでちょっと暗くなっているのが少し怖いけど、私はゆっくりとその狐に近づいた。
子供たちが言う通り、僅かにあやかしの気配がする。
真っ白な狐はけっこう大きくて大人ではあるだろう。
でも怪我でもしているのか、微動だにしない。
狐まであと数歩、となった時、狐が急に動き出した。
飛び跳ねたかと思うと私の方へととびかかってくる。
って嘘でしょう?
とっさに避けると、狐は綺麗に地面に着地して、こちらを見つめた。
「……なんだ、子供じゃないじゃないか」
そう言って、狐は大きなため息をつく。
確かに私は今年で十八になるから子供じゃないけど。どういう意味だろう?
狐はぴょこん、と座り、首を横に振りながら言った。
「お前くらいの中途半端な大人は美味しくないんだ。 妖力はありそうだが……」
そこでまた、ため息をつく。
「弱すぎるだろ」
「な、何ですって?」
狐の言葉にカチン、ときて私は声を上げた。
「弱いやつは美味しくないんだよ」
「し、失礼ね! 私、美味しいって言われるくらい強くなるんだから!」
思わず口をついて出た言葉に自分でも驚いてしまうけど、後の祭りだった。
私の言葉を聞いた狐は目を見開いて、口を大きく開けて笑う。
「あはははははは。面白いことを言う小娘だ。確かに、人間だから強くなることもあるだろうし、そうすればうまくもなるだろうが。お前、俺に喰われたいのか?」
「く、喰われるわけないでしょ? たとえよたとえ! 私は強くなりたいんだもの」
言いながら思わず握りしめた拳に力がこもる。
「なんだ。喰われたいのかと思ったのに」
「そんなわけないじゃないの! だいたい貴方、何者なのよ? その姿で人ひとり食べられるの?」
大人の狐とはいえ、人を喰うとは思えない風体をしている。ということは、この狐は別の姿があるんじゃないだろうか。
「あぁ、本当の姿は別にあるんだが……封印から解かれたばかりでまだ本調子ではなくてな。だから弱った狐の姿で人の子をおびき寄せようとしていたんだ。とはいえ、お前みたいなひよっこにやられるようなものではないぞ。祓い師よ」
私、何もしていないのに、正体ばれてる?
警戒して構えると、狐は声を上げて笑った。
「あはははは、言っただろう。妖力の弱いやつには興味がないと。美味しくないし、力の回復にもならない」
「さっきから貴方、失礼じゃないの? 私は強くなるって言ってるなじゃいの! だから見ていなさい!」
私はびしっと、狐を指差す。
「貴方が喰いたい、って思う位、強くなってやるんだから!」
すると狐はにやり、と笑う。
「へえ、面白い」
そう呟いたかと思うと、狐の姿がみるみると変わる。
姿が大きくなり、人の姿へと変わっていく。
そして現れたのは、私よりもずっと大きな青年だった。
腰まで伸びた長く白い髪に、真っ赤な瞳に薄い青の着物を着た美しい人。頭には三角の耳と、背中には尻尾が見える。その数は九。
何これ……もしかして、九尾の狐? 大妖怪じゃないの。そんなの、私が勝てるわけがない。
驚いて目を見開いていると、彼は私の前に立ち顎を掴む。
逃げなくちゃ。そう思うのに全然身体が動かない。心臓は激しく鼓動を繰り返していて、足がすくむ。
どうしよう。尊さんに認められたいだけなのに……このままここで死んだら私……まだ尊さんに何も伝えていないのに。
でも負けたくない。負けたら尊さんに認めてもらえなくなっちゃうもの。私はきっと、狐を睨み付けた。
すると狐はにやっと笑い、私の目を見つめて言った。
「強くなってみせろ、祓い師」
「……なってみせるんだから。その時を覚悟して待ってなさい」
強がっては見るものの、声の震えは止まらなかった。
「へぇ、お前、名前は?」
狐の問に私は口ごもる。
あやかしに名前を教えてはいけない。特に強いあやかしに名前を知られたら、名前は呪いとなって祓い師を縛るものになってしまうから。
そう、尊さんに教えられているから、私はあの名前をゆっくりと口にした。
「……静花よ。貴方は何なの?」
すると、彼はすっと目を細めて低く響く声で言った。
「俺はかがりだ、よろしくな、静花」
そして彼は私の顎から手を離し、面白そうに私をじっと見つめた。