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第10話 尊さんの家で

 四月三日金曜日。

 まだ学校は始まらないけれど私は家にいたくないから、毎日図書館や神社に通っていた。

 でも今日は、そちらではなく尊さんのお屋敷に向かうことにした。

 ねこまたが欠伸をして見つめる中、私は一枚の小紋を出す。

 白地に桜の花が描かれた着物で、朝日に照らされて花びらが浮かび上がってみるような気がする。これは去年尊さんが誕生日にくれたものだ。それに合わせた帯も帯留めも一緒にくれた。

 尊さん、気が付いてくれるかな。

 僅かに期待しつつ私は鏡の前で着物に袖を通した。

 午前九時過ぎ。私は自宅を出て、尊さんの屋敷へと向かう。

 すると、ちょうど玄関から出てきた尊さんと鉢合わせた。


「尊さん……」


「やあ、おはよう静花」


 そう微笑み、彼は被っている黒の山岳帽のつばを持ち、軽く上げた。


「おはようございます」


 微笑み私は軽く頭を下げる。


「その着物、去年君にあげたものだよね」


 その言葉に私は微笑み頷いた。


「はい、そうです。帯も帯留めも」


 私は思わずその場でくるり、と一回転して見せる。


「ちょうど桜が満開だものね。とても可愛いよ」


 褒められて私は嬉しくて胸が温かくなる。


「ありがとうございます。あの、尊さんはお仕事ですか?」


「あぁ、うん。内務省に呼ばれていて」


 内務省、という言葉に私は思わず目を見開く。

 それに気が付いたのか、尊さんは小さく首を傾げて言った。


「どうかしたの?」


「え? あ、あの……お義母さんお見合いの話をされてそれで」


 言いながら私は苦笑を浮かべる。


「私のお見合い、どうもお父様のお仕事がらみのようなの。内務大臣に便宜を図ってもらうためにすすめられているみたいで」


「便宜?」


 尊さんは呟き、目をすっと細くする。


「はい、あの、うちがもつ鉱山の採掘権のことで国と揉めているみたい。それで、伊佐木伯爵の後妻に私を送り込む代わりに、伯爵から内務大臣に働きかけてもらうとかなんとか」


「あぁ、そういうことなの」


 そう言った尊さんの声がなんだか冷たい感じがした。

 なんだろう……すごく機嫌が悪いような。


「私はこのお見合いをなんとかしたいんだけど……でもお父様のお仕事がらみだしどうしたらいいのかわからなくて。いっそ、別の方との婚約が決まれば逃げられるのかなとかいろいろ考えてるの」


「でも、あてはないだろう」


 じっと顔を見つめられて、私は小さく頷く。

 そんなのあるわけがない。

 できれば尊さんと……って思うけどそういうわけにもいかないし。

 この想いを伝えてしまったらきっと、私と彼の関係は壊れてしまう。

 そう思うと私は何も言えなかった。

 手を伸ばせば届くところに想い人がいるのに、心はとっても遠いなぁ。

 そんなことを思って内心ため息をつくと、彼はにやっと笑い言った。


「わかった、静花。教えてくれてありがとう」


「え? あ、それってどういう……」


「ちょうど内務大臣に会う予定もあるからね。僕は行くよ」


 そう告げて彼は私の横をすり抜けて行ってしまう。


「た、尊さん?」


 戸惑いつつ振り返ると、尊さんは立ち止まりこちらを振り向いて言った。


「あの狐に心を許しては駄目だよ」


 そして彼は門へと歩き出す。

 見れば、門の外に車が待っているみたいだった。

 何が何やらわからないまま、私は彼の背中を見送った。

 尊さんの姿が見えなくなった後、私はお屋敷に入りかがりを呼んでもらう。

 心を許すな、って尊さんに言われたけど……それってどういうことなのかな。

 私にとってあやかしは友だちだけど……でも危ないあやかしがいるのは知っている。

 私だって、祓い師の真似事をしながらそういうちょっと危ないものと関わったことはあるし。

 かがりは私が知るどのあやかしとも違うのよね。

 何が違うのかっていうとよくわからないけれど。

 しばらくしてかがりが姿を現す。

 人の姿をした彼は、今日は藍色の着物をまとっていた。

 長い白髪は後頭部で縛り、ずいぶんと印象が違う。

 妖しい美しさ、と言えばいいのかな。

 尊さんとは質の違う大人の雰囲気は、きっといろんな人を惹きつけるだろう。

 私の好みではないけれど。

 彼は私を見ると、にっと笑い言った。


「やあ静花」


「おはよう、かがり。様子を見に来たんだけど」


「あぁ、わざわざご苦労なことだな。なかなか興味深いよ。たかだか三百年ほどでずいぶんと世の中変わったようだな」


 三百年もあれば変わるのは当たり前だと思うけど、その辺の時間間隔、かがりはとてもずれているんだろうな。

 私は苦笑して、


「それはそうよ。人は常に変わり続けるものだもの」


「そうみたいだな。なあ静花。暇なら三百年の事を俺に教えろ」


「何で命令するのよ」


 呆れて言うと、彼はあぁ、と首を傾げ、


「お前を鍛えてやるから、という条件ならどうなんだ? お前、強くなりたいんだろう?」


 なんて言い、にやっと笑う。

 う……確かにそうだ。私は強くなりたい。

 でもその方法がわからない。尊さんは鍛えてはくれないし、自主鍛錬にも限界がある。

 納得しかけて私ははっとしてかがりを見つめて言った。


「でも貴方、私を食べるつもりなんじゃないの?」


「強くない奴に興味はないと言ってるだろう」


 間髪入れずに言われ、私はちょっとむっとしてしまう。

 確かにそう言われたけど。


「じゃあおいしく食べるために鍛えるって、こと?」


 言いながら自分でも訳が分からなくなる。


「そういうことだな。そもそもお前」


 ぐっと私に顔を近づけたかがりは、にっと笑い小さく言った。


「あいつに認められたいんだろう?」


 う……確かにそうだ。

 尊さんに認められたい。だから私は強くなりたいんだもの。自分の身を守れるように。尊さんに、守られなくて済むように。

 私が頷きも拒絶もしないからだろうか。

 何も答えないことを肯定と捉えたらしい彼は、とてもいい笑顔で言った。


「交渉成立だな」


 そして彼は私から顔を離し、契約でも求めるかのように右手を差し出してきた。


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