私は差し出された手と彼の顔を交互に見て、私はゆっくりと手を上げてかがりの手を握った。
「これで契約成立だな」
「契約って、おおげさじゃないの?」
「俺のようなあやかしには大事なものだ。まあ、この契約がある限り、俺はお前を喰わんよ」
「喰われるくらいになりたけど、本当に喰われたいわけじゃないのよ」
そう強めの口調で言うと、かがりはさほど気にする様子もなく言った。
「それはもったいない。俺に喰われるのは名誉なことなのに」
涼しい顔をしているけれどこの狐、どこまで本気なのかしら?
数百年は生きているであろう大妖怪に、私みたいな小娘が勝てるわけがないことはわかっているけど。ちょっと悔しい。
「契約したし……お望み通り今の事を教えるわ」
「じゃあとりあえず、外に行こうか」
「え、外に?」
驚きじっとかがりの顔を見ると、彼は草履を履き私の方を見てにっと笑う。
「当たり前だろう? 外に出ずに何が分かるんだ」
ど、どうしよう……
かがりを外に出して大丈夫なのかな?
力は弱っている、って言ってたけど……いきなり人を襲ったりしないかな?
悩んでいると、かがりが言った。
「外に出るなら日暮れ前に帰れ、とはあの祓い師に言われてるぞ」
尊さんがそう言ってたってことは、外に出て大丈夫ってこと……かな?
かがりがそんな嘘を言うとは思えないし……まあ、近場ならいいかな。
私は頷き、
「では行きましょう」
と告げ、入ってきた玄関へ振り返った。
外は過ごしやすく、暖かな風が私の胸元まで伸びた薄茶の髪を優しく凪ぐ。
貴族の屋敷ばかりが並ぶ通りで、庭に咲く花々が目を楽しませてくれる。
「徳川は知ってるのよね?」
「あぁ、天下をとり征夷大将軍になった男だろう」
「徳川の時代は五十年ほど前に終わって、今は大照よ。たくさんの異国の文化が流れてきたからすっかり変わってるでしょう」
「ああ、そうだな。建物も道も、人の姿もずいぶんと違う」
面白そうに言い、かがりはキョロキョロと辺りに視線を巡らせた。
彼は今、髪の色が黒い。
どうやら髪の色や目の色を変えられるらしい。
いいな、便利で。私なんてどうすることもできないのに。
でも見た目が見た目だからか、かがりを人の目をひいた。
すれ違う女の子たちが、彼をみてため息をつくのが聞こえてきて複雑な気持になる。
「貴方、モテるでしょう」
「そうだなあ。まあ、異性に困ったことはないな」
愉快そうに笑い、彼はふと足を止めた。そこは彼が封じられていた森の手前にある久遠神社だ。
そこでは今桜が咲き乱れ、たくさんの人が行き交う。
「この花は?」
「桜よ。桜は昔からあるでしょう?」
するとかがりは首を横に振った。
「いいや、俺が知る桜とは違う。桜の花はもっと大きいし、こんなふうに散りはしないからな」
「あぁ、この桜はひとの手が加わってるからじゃなかしら? たしか接ぎ木でしか増やせないんですって」
「ほう、おもしろいな人は」
目を細めて言い、彼は神社の方へと視線を向ける。
「静花、桜をよく見たいからここに寄らないか?」
「え? あ、いいけど……あの、入れるの?」
神社は聖域だ。
うちのあやかしたちは鳥居をくぐるのを嫌がる。
するとかがりはにやっと笑い言った。
「すこしヒリヒリするが、今は力がさほどないからな、人とあまり変わらないんだよ」
「そういうものなの」
力は確かに弱そう……ではあるのよね。
九尾の狐なのになんか頼りない。
鳥居をくぐり、桜咲く境内に入る。
拝殿までの道をたくさんの人が歩き、茶屋で休む人たちの姿も目立った。
穏やかな風が吹くたびに桜が舞い散る。
それを見た人々は声を上げ桜に見入っていた。
「花が散る姿を楽しむのか。人の感性は面白いな」
「考えてみたら不思議よね。咲いているのを楽しむのではなくて、散るのを楽しんでるんだもの」
桜が散る姿って命が消えていくような感じがするのに、その姿が儚く美しい。
その姿に私たちは魅入られている。
「そんなものをわざわざ作り出したのか。なかなか良い趣味だな」
とても褒めてるとは言えない声音でかがりは言い、私は苦笑した。
「まあ、そうね。ねぇ、この神社は貴方が生きていた頃からあったのでしょう?」
「あぁ、そうだな。もう少し木が多かったと思うが、ずいぶんと開けたな。こんなに人もいなかったし、服もだいぶ違う。人々はこんなに楽しそうでもなかったな」
懐かしむように彼は目を細めた。
「飢饉も多かったし、口減らしで捨てられる子供もいたな」
口減らし。
増えすぎた子供が捨てられてた、ということだ。
それを聞くと心が痛くなる。
「トウキョウではあまり聞かないけど、きっと今もあゆんでしょうね」
「トウキョウ……そんな名前の都になったのか。もう将軍はいないんだろう?」
「えぇ。帝様がいらっしゃるし、今は内閣っていうものや選挙があってそれで選ばれた議員たちが政をしているわ」
私の説明を聞いたかがりは、関心深そうに頷いた。
「帝……あぁ、京にいたものか。あの頃はただの傀儡であったと思うがずいぶんと変わったんだな」
「三百年もあれば、人も世も変わるには充分よ」
「あぁそうか。俺が知る人間がいなくなるには充分な時間だな」
それはそうでしょうね。
人はそこまで生きられないもの。
私が死んだ後もあやかしたちは生き続けるのよね。そう思うとなんだか不思議な気持ちだった。寂しい? 切ない? 嬉しいとは違うか……なんだろうな、この感覚。