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第13話 幽霊

 お茶と団子をいただいて、私たちは立ち上がる。

 その時心地いい風が吹いて、桜の花びらが散っていく。

 神社を出たときだった。ひとりの男が私たちの目の前を横切っていった。

 なにやらぶつぶつと呟き、虚ろな目をして歩いている。

 年のころは二十歳過ぎくらいだろうか。

 見るからに普通じゃないけれど、辺りを歩く人たちはまるでその男が見えていないかのように通り過ぎていく。


「ほう。あれは……死人、だな」


「……え、死人?」


 かがりの呟きを聞いて、私は改めてその男を見る。本当にあれが死んだ人、なのだろうか。それにしてははっきり見えるし……

 私は男から目を離さず、かがりの着物の袖を引っ張る。


「本当に死んだ人なの?」


「あぁ。だから誰も気が付いていないだろう」


 言われてみれば確かにそうだ。

 私にはこんなにはっきり見えるのに、あれが死人だなんて信じられない。


「幽霊ってもっとぼんやりとしたものだと思ってた……」


 言いながら私は思わずぶるり、と震える。

 幽霊を見るのは初めてじゃないけど、ここまではっきり見える幽霊は初めてだ。


「普通はそうだな。だが稀にはいるんだよ。はっきりと、生きている人間と同じように見えるやつっていうのが。あれ少々危険かもな」


 面白そうに笑いながら、かがりは言った。


「危険って何が?」


「死んだ人間が生者の世界を彷徨う。何かしら未練がある、ということだろう。それもかなり強い。まだ若い男だからな。心中しようとしたものの、女にだけ逃げられたのかもな」


 そうさらり、と怖いことを言う。

 心中事件なんて最近あったかしら……

 私はここ数日の新聞記事の内容を思い出す。図書館に毎日通っているので、新聞には目を通しているんだけど。自殺がらみのニュースはいくつかあったように思う。だけど内容まではっきりと思い出せなかった。

 とりあえずあれ、放っておけないし追いかけよう。

 そう思って私は、幽霊の男の跡を追いかけはじめた。


「ほう、追いかけるのか?」


 後ろからかがりの足音と声が聞こえてきて、私は頷いた。


「えぇ。だって、幽霊だし何をするかわからないでしょう?」


「まあそうだな。ちょうどいい。見せてもらおうか、お前の『仕事』ぶりを」


 楽しそうに言われてちょっといらっとしつつ、私はスタスタと男の跡を追いかけた。

 時おりその幽霊が見える人がいるのか、ぎょっとした顔で男を見る人がいる。だけど首を傾げるだけで通り過ぎて行ってしまう。

 あの幽霊、どこに行くつもりなんだろう。どうにかするにもここは人が多すぎるし、下手に声をかけて逃げられても困るわよね……

 そう思うと手も足も出ない。

 幽霊はふらふらと道を歩き、人や物にぶつかりそうになるとちゃんと避けていく。

 幽霊ならすり抜けられそうなのに、人だった頃の動きをするのはもしかしたら死んだ、ってわかっていないのかしら?

 この先行くと商店街でその先は……花街だったような……

 まさかそこを目指しているのかしら? もしかして娼婦と心中しようとして失敗した、とか?

 何かしらの理由で遊女とは一緒になれないから、せめてあの世で一緒になろうっていって一緒に死のうとしたのかしら。

 曽根崎心中みたいに。だけどそうはならなかった。男だけが死んで、女の方は生き残ったとか?

 それでその娼婦のいる店に行こうとしているとかかしら。全部妄想だけど。

 男は人通りの多い商店街を抜けて行き、私の読み通り花街へと向かっていく。

 そこは夜の町だから、まだ人通りが少なかった。

 ここまで追いかけてきたもののあの幽霊をどうやって確保しよう?

 人目が多いとさすがにな……

 表向き、この世界にあやかしだとか幽霊だとかは「いない」ことになっている。それにあの男が幽霊だってことは私が下手に声かけたら、私の方が奇人扱いされてしまうんだもの。

 ただでさえ色んな事を言われて人が遠ざかっているのに、目立つことはしたくない。

 その時だった。

 女性の悲鳴が響いた。


「きゃー!」


 あの幽霊の目の前に、若い女性の姿があった。

 店から出てきたところだろうか。赤い着物を着た、私より少し年上と思われる可愛い女性だった。

 時間的にきっと、お風呂に行こうとしているのかもしれない。

 本で読んだけど、花街の女性たちはこれくらいの時間にまず湯屋に行くらしいしから。

 女性は目を見開いて幽霊を見つめ、がたがたと震えている。


「な、んで……し、死んだん……じゃぁ……」


 なんて言っているのが聞こえてくる。


『……こ、はる……』


 男が呻るように名前を呼び、ゆっくりと女性に近づいていく。

 女性は後ずさりしたかと思うと、背中を向けて走り出した。

 その跡を幽霊が追いかけていくので、私も走り出した。

 このまま人気のないところに行ってくれないかしら。そうしたらなんとかできるんだけど。

 女性は逃げていく。ふらつきながらも花街の通りを曲がって曲がって奥へと進んで行く。

 そしてたどり着いたのは、花街の中にある小さな神社だった。彼女は鳥居をくぐって神社の中へと逃げていく。

 神社は聖域なので、ふつうのあやかしは入れないことが多い。あの幽霊も鳥居の前で立ち止まり、じっと中にいる女性を見つめていた。

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